僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (18)
 忌み杜。守の民の隠し里。
 しかしこれと言って他と変わった様子はない。
 ただ強いていうならば、他のどこよりも空気が濃い気がする。濃厚な空気の中で、身体
が軽い。そんな気もしなくもない。
 しかし特に運動能力が増加するだとか言うレベルでは決してない。
 中はしばらくは森の中の道が続いていた。歩けども分かれ道の一つもない。
 ただこの辺りで、確かな違和感を感じていた。
 全く物音がしないのだ。一行のたてる音以外は。
 風で揺れる木の葉の音も。虫の鳴き声も。獣の息吹も。全くここでは感じられない。
 閉ざされた世界。それがはっきりとわかる。ここは特殊な場所なのだと。
「怖いほどに静かだな」
 洋は思わず呟いていた。辺りの静寂にも息が詰まりそうになるが、無言で進む皆にもや
や戸惑いが隠せない。
 もともと一行は仲良しグループという訳ではない。特に咲穂はある意味で敵対していた
とも言える。一緒にいて息苦しく感じるのは確かだ。
「忌み杜には生きているものは何もいない」
 その咲穂が淡々と答える。特に振り向きもしない。
「封印と結界の二重作用によって、完全に外とは遮断されていますから。忌み杜の中では
生き物は暮らせないんです」
 結愛が補足するように告げる。
 結愛も緊張しているのか、いつものような騒ぎまくる声ではない。
「でもでもでも、今は鷺鳴様とかいらしてるはずですからっ。誰もいないって事はないで
すよっ」
 少し喋って調子を取り戻してきたのか、やや表情を明るく変えた。
「あ、そうだ。雪人もいるはずだし。たぶん雪人なら、みゅうの居場所もわかるでしょう
から聞いてみましょうっ」
「そうだな。みゅうは雪人の一部でもある訳だからな。何かわかるかもしれないな」
 洋はこくりと頷く。
 その、瞬間だった。
 音もしないはずの忌み杜で、不意に草木が揺れた!
 ザァッ、という音をかき分けて現れたのは。
「綾ちん!」
 綾音、その人だった。結愛が嬉しそうに声を上げる。
「待たせたわね。みんな」
 綾音は淡々と、しかしにこやかに微笑んで答える。いつも通りの冷静な顔。思わずほっ
と洋も溜息をついた。
 綾音が敵対する。そんな事実は想像すらしたくもない。術士として強い力を持っている
からだけではない。綾音はかつて洋に術を教えてくれた恩人でもある。出来れば闘いたく
なんてない。
「私はしばらく捕らえられていたの。でも、なんとか逃走する事が出来たわ。心配かけた
かもしれないわね。お詫びするわ」
 綾音はあまり悪いとは思っていなそうな顔で、微笑んだままだった。しかし、それがい
つもの彼女なのだから、怒る気にもならない。 ただ無事だった事にほっと息を付いただ
けだ。
「良かった。綾ちんが無事でいてくれて。冴人くんなんか酷いんだよ。酷いんだよ。綾ち
んがもしかしたら敵に回ったかもしれないって言って。ほんと、私、びっくりしたんだか
ら」
 結愛が嬉しそうに、本当に嬉しそうに綾音へと近付こうとした瞬間だった。
「結愛さん。それ以上、近付いたらいけません」
 冴人が冷たい声で制止していた。
「え?」
 冴人の声に、思わず結愛の歩みが止まっていた。制止の声を聞いた訳ではない。ただ突
然の言葉に、どうしていいかわからなかっただけの事だ。
「綾音さん。私は貴方の智添です」
 冴人が不意に告げる。
「何をいまさら」
 綾音は不可解な物を見るかのように、眉を潜める。
「綾音さん。私は貴方の智添です。そしてそれが私の誇りでした」
 しかし冴人は同じ言葉を繰り返す。じっと綾音を見つめたままで。
「自分の力が人よりも優れている。私にはその程度の自負はあります。しかし貴方にはと
ても敵いません。
 天守、いや守の民でも随一の力を持つ貴方の智添として選ばれた事は、私にとっては誇
りであり勲章の一つでもありました」
 真剣な眼差しを向けて。
 そして一歩、綾音へと歩み寄る。結愛を背にするようにして。
「冴人くん?」
 不思議がる声を上げた結愛に、しかし振り向こうともしない。
「本来、私は結愛さんの智添になるはずで、それを残念に思いもしましたが。綾音さん、
貴方の智添に選ばれた事を後悔した事はありません」
 冴人は、ゆっくりと目の前で手を結びあわせる。
 それは、八卦施術を使う為に必要な印の始めだった。
「冴人。冗談はよして欲しいわね。いまはそんな事態ではないのよ?」
 綾音はあくまでも冷静に答える。
 しかし冴人はその印を崩そうとはしない。
「でも、今、私は貴方の智添である事を悔やんでいますよ。
 忘れましたか? 智添は天守と魂を一つに結びつける事によって初めて認められます。
それは心を結びつける事でもあります。天守の殆どが自らの智添と添い遂げる事が多い事
からもそれは明らかです。
 ……私は、貴方の心がわかるんですよ。綾音さん」
 冴人が言い放つと、そしてそのまま印を組み始める。
 延ばした三本の指を、いくつも形に組み上げていく。
「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤(けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん)。
八卦より選ばれしもの、我は汝を使役せす。こい、震(しん)!」
 両手から延ばした三本の指のうち、一番下だけを触れさせて、冴人は大きく叫ぶ。
 カ! 大きく光り輝くと、雷撃がその手から生まれていた。
「冴人くん!?」
 結愛が叫ぶ。突然の展開に洋も、咲穂も思わず喉に息を詰まらせていた。
「巽(そん)!」
 綾音が呪文を解放していた。風を呼び出すと、雷撃を空気の流れで拡散させ防ぐ!
「さすがは冴人ね。でも、私としてはそのまま大人しく眠っていてくれた方が助かったん
だけども」
 綾音が淡々と呟く。まるで、いまの攻防など無かったかのように。
 そして、その後ろから。
 一人の男が姿を現していた。
「よっ。みんな、ひさしぶり」
 明るく言葉を掛けてきた男。
 十六夜、その人だった。
「十六夜! お前、どうしてここに!」
 咲穂が突如、大声で叫んだ。今にも駆け出しそうになって、しかし不意にその足を止め
る。
 目の前に生まれた。耐えきれないほどの威圧感に押されて。
 十六夜は何も表情を変えていない。いつも通りのへらへらした笑みを浮かべているだけ
だ。
 ここが言わば聖地である忌み杜だからか、いつもの食わえ煙草は無いものの、その笑み
だけは変わらない。
 なのに。そこから生まれてくる威圧感だけは、いつもと比べ物にならなかった。
 ぞくり、と背に冷たさが走る。
(こいつは、違う)
 洋は思わず思う。同じ天才、同じ多大な力。確かに綾音にも冷たさはある。しかし彼女
はなんだかんだ言っても、どこか優しさ、温もりを隠しきれていない。
 しかし。十六夜は、違う。
 彼にだって優しさも温もりもある。敢えて取る必要のない方法ならば、無理はしない。
 ただ、もしもそれしか有り得ないとすれば。
 一瞬もためらわないだろう。例えそれがどんなにえげつない手段だとしても。
「俺達を、倒しに来たのか?」
 洋が、呟く。
 凍える声で、震える声で。
 恐怖が隠しきれない。
 怖い。
 怖い。
 確かに、そう思っていた。
 刃を喉元につきあてられているような。あるいは火のついた爆弾が目の前にあるのに、
消す事すら出来ないような。そんな恐怖。
「そうさね。君達が俺っちの邪魔をするというなら。そういう事もなるかもしれないねぇ」
 十六夜は、にへらと微笑みを返して。人差し指を立てて左右に振る。
「十六夜。お前は何を考えてる!? 何をするつもりなんだ!?」
 咲穂が甲高い声で叫ぶ。
「何をする、か。それは」
 十六夜は張り詰めた空気の中で、そっと一同を見回していた。
「教えてあげないよ」
 十六夜が呟いた瞬間。
 カ! っと眩い光が放たれる!
「な!?」
 咲穂が声を荒げた。しかし光に包まれて視界が遮られている。
 すぐに光は消えたが、突然の光に目が眩んでまだはっきりとは物が見えない。またいつ
のまにか煙がもうもうと上がっており、それが更に視野を悪くしていた。
「今のは!? あいつらは!?」
 視界を取り戻してきた洋が辺りを見回す。しかしすでに彼らの姿はない。
「八卦施術、震の応用ですね。雷撃を局所的に放ち短絡させる事で強い光を放ったのです。
煙はその副産物でしょう」
「そんな冷静にいってる場合か! 目くらましを放ったという事は、俺達を出し抜いて忌
み杜の奥へ向かったに違いない。追いかけなくては!」
 咲穂はいらついた声で怒鳴ると、答えを聞く前に走り出している。
「やれやれ作戦も何もあったものじゃありませんね」
 冴人が呆れ顔で答えて、肩をすくめる。そして洋と結愛の二人へと視線を投げかける。
「うんっ。追いかけるよっ。咲穂さん一人じゃ危険が危ないし。洋さんも、行きましょう」
 結愛はいつものように、明るい声で告げていた。
「ああ。あの二人が何をするつもりかは知らないけど、とにかく止めないと」
 洋は頷いて、駆け出していく。
 綾音と十六夜が何をするつもりなのかは知らない。天から何かを呼び出すつもりなのか。
黒蛇真教と手を結んだのか。
 でも、洋にはそんな事はどうでも良かった。
 ただ。明るい声で告げた結愛の。その中にある翳りを晴らしてあげたい。
 そう、思った。
 その瞬間。
 ズゥン! 遠くで大きな音が響いた。
「今の音!?」
 洋が叫ぶ。
 一人、先を急ぐ咲穂が唇を噛み締めた。
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