僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (13)
 休日のネズミィランドは朝早くだというのに、すでに入場待ちの列が作られており大変
に混んでいた。
 洋はそれをみるとややげんなりしなくもないのだが、一方で結愛は非常に楽しげに笑っ
ている。その笑顔をみていると、まぁ、いいかなと思えなくもない。その隣で何か悪巧み
をたくらんでいそうな亮さえいなければ。
 しかしここまできて引き返す訳にもいかないし、何よりも楽しそうにしている結愛の期
待を裏切る訳にもいなかった。
 恐らく洋が帰るといえば、結愛は文句は言いつつ、それでも一緒に帰るだろう。だから、
洋は帰るとも嫌だともは言えない。
 洋はただ彼女に笑っていて欲しいと思う。
 彼女はかつて、自分がいたからがんばれた、と言ってくれた事がある。
 だけど洋は彼女に何かをしてあげられたという感覚はない。むしろ迷惑をかけただけと
いう気もする。
 もともと結愛の智添は冴人が担当する筈だったという。もしも彼が結愛の智添だったと
すれば、洋よりも苦労をかける事は少なかったかもしれない。彼女に無理をさせる事もな
かったかもしれない。
 前の戦いの時、結愛が大きな無理をしたのは洋の為だ。もしも洋が無理を言わなければ、
あんな思いをする必要はなかったのだ。
 だから、洋は結愛に笑っていて欲しいと思う。少しでも笑っていられるように。何かを
してあげたいと思う。
 なのに、洋は何一つ出来ていない。ただ、素直になれずに、無愛想に答えるだけで。
「洋さん」
 ふと響いた声に、現実に引き戻される。
「どうしたんですか? 難しい顔して」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
「ふぇ。そうですか?」
「それより、楽しみだな。遊園地」
 亮がもってきていたパンフレットを広げ、じっと眺めてみる。
「そうですねっ。私、すっごくすっごくすっごく楽しみです。こんなところにきたの初め
てですからーっ」
 敷地の中で煌めいているアトラクション達に、結愛は目を輝かせていた。
 そんな彼女をみていると、洋もどこか楽しみになってくる。もうすぎた事を悩んでも仕
方がない。いま、出来る事をしよう。
 いまは結愛の笑顔をみていたい。ただこうして笑っていてくれたなら、洋はそれだけで
十分だと感じていた。
 その為に、いまは笑っていよう。そう、思えた。



 冴人はぱたん、と読みかけの本を閉じた。本の内容は全く頭に入ってこない。
 原因はわかっていた。綾音が帰ってこない事だ。
 もっとも彼女の事だ。心配するほどの事もないだろう、とは思う。ただ気になるのは、
どこか様子がおかしかった昨日の事。
 あの日の綾音は確かにおかしかった。今思えば、どこか思い詰めているようにも見えな
くもなかった。
 ただ綾音がそのように感じる理由が全く思いつかない。いつも飄々として、淡々と笑っ
ている彼女だけに。
 眼鏡の位置を直す。それからやや顔を俯けて机の上を眺めてみる。もちろん特に変わっ
たものは何もない。
 なんとなく落ち着かない。いつもの自分らしくもないと思い、冴人は目を閉じる。
 ただどこかで嫌な予感を抱えていた。当たっては欲しくない勘。
 このままここでじっとしているのは、耐えられそうにもない。しかし探す当てがある訳
でもない。
 だけどそれでもいい。どこか心当たりを探して、そう考えた瞬間だった。
 ドン! と強い音が響く。
「なんだ?」
 冴人が口の中で呟く。
「この気配。鬼か!? それも大鬼か、もしかするとそれ以上の」
 びりびりと伝わってくる感覚。通常、智添は天守よりも気配を感じる力に優れている。
冴人はその中でも特にその力が強い。
 しかしここは天守の里だ。そこに大鬼が現れるだなんてあり得ないはずだった。
 だがあり得ない事はすでに幾度も起きている。もはや、今までの常識は通用しない。
「とにかく、じっとはしていられませんね」
 冴人は綾音の事を頭が振り払うようにして、駆けだしていた。
 家の外へと駆け出す。
 いくつもの叫び声があがっている。声の元、里の中心部へ急ぐ。
「……羅刹か」
 里の中で暴れている鬼をみつめ、冴人は呟く。一瞬、大鬼にも見えたが、あれは確かに
羅刹だ。鬼神とも呼び名される強大な鬼。
 冴人は知るよしもなかったが、それは綾音と対峙した鬼であった。
 力まかせに腕をふるい、炎を吐き出している。その度に家屋が崩れているが、いまのと
ころは里の皆は遠巻きにしていて、近づこうとはしていない。
「油断できる相手ではありませんが、ここは天守の里の中。決して倒せない相手でもあり
ませんね」
 呟いた瞬間には、すでに印を切り始めていた。相手はまだ冴人には気が付いていない。
先手必勝という訳である。
「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤(けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん)。
八卦より選ばれしもの、我は汝を使役せす。こい、震(しん)!」
 冴人の呪文に答えるように、空より雷が一気に落ちる!
 ドン!
 強い音が響いていた。
 羅刹の体がじゅうと鈍い音を立てて煙を浮かべる。
 しかし羅刹は殆ど傷を受けた様子もなく、冴人へと振り返る。
「く。大したダメージを受けないか。しかし、なぜ……」
 羅刹とはいえど天守の里の中では、結界により力を殺がれる。しかもこの鬼は羅刹の中
では実力は下の方である。それほどの驚異的な相手ではない。
 とはいえ、羅刹は羅刹。これが結界の外であればこのような結果に終わっても不思議で
はないのだが、ここは里の中、結界の中だ。力を殺がれてるはずであり、ダメージを受け
ないなんて事は考えられなかった。
 だが羅刹は考える時間など与えてはくれない。一気に加速して冴人へと向かってくる。
「震が通用しないなら。大成を使うまでです。
 乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤(けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん)。
 天沢火雷風水山地(てん・たく・か・らい・ふう・すい・さん・ち)。
 八卦より選ばれしもの。互いを合わせ、更なる威を駆れ!
 雷はその身を持って震と為る! 震為雷(しんいらい)!」
 冴人は呪文を解き放っていた。
 同時に二つの八卦を呼び出す術、大成。これを使える智添は、天守の里でも唯一冴人し
かいない。
 智添は天守と比べ魔力は強くても、術を使う為に必要な力が少ない。従って大きな術は
使えないものなのだ。
 だが冴人は違った。天守には劣るものの、大抵の術を使う事が出来るし、得意とする震
(しん)――雷を招来する術であれば、大成とて使いこなす事が出来る。
 その大成。震と震を掛け合わせる術、震為雷(しんいらい)は巨大な雷となって、一気
に羅刹へと撃ちつける!
 ドン!
 巨大なつんざくような音が響く!
 羅刹が雷に打たれ、ぷすぷすと焼けこげて煙を吐く。
「さすがにこれは効いたでしょう?」
 冴人の言葉通り、羅刹は片膝をついている。とどめを刺すまでには至らなかったようだ
が、確かに羅刹といえどダメージを受けていた。
「結界が消えて無くなったという訳ではなさそうですが、力が弱まっていますか」
 淡々と呟く。恐れていた事が現実に近付いていた。このまま結界が消え去るような事に
なれば、鬼神が、そして神と呼ばれるもの達が現れてしまう。
 この中津国――人の住む世界を手にいれる為に。
「とにかく。目の前の羅刹をどうとかする事が先決ですね」
 冴人は印を結ぶ。
 その時、はたと気が付いたが不思議な事に他の術士の姿が見えない。天守の里とは言え、
術士はそう多い訳ではないが、しかし冴人の他に全く姿が見えないというのも解せない。
「紫苑や、星佳。紅火、奈月は? 鷺鳴様や、想紀様は? ――雪人は!?」
 天守の術士達の名前を挙げる。そして、天守の最大の宝であり、意志でもある、雪人の
名も。
 雪人は力である。かつての天守達の魂と意志が集まってできた意志の集合体であり、純
粋な力。
 天守と智添が魔力を受け渡し出来るのも、雪人を介して契約を結ぶからだ。意志の集合
体である雪人を通じる事で、お互いの意志を結ぶ。これによって魔力を渡す事が出来た。
 天守と智添はまさに一心同体と化す訳である。その結びつきは強く、お互いの想いや時
には体の痛みさえも共有する事がある。
 しかし雪人がいなくなれば、お互いの意志を疎通させる事も出来なくなるのだ。
 その雪人は、天を守るという大きな一つの想いをもっている。天守の里の危機に現れな
いなんて事はないはずなのに。
「まさか!?」
 冴人は強く叫んでいた。
「予感が外れていなければいいのですが。とにかく、まずは目の前のこいつを倒さない事
には始まりませんね」
 再び印を結び始める。
 すでに羅刹は大きなダメージを受けている。一撃でしとめるという訳にはいかないだろ
うが、冴人が負ける事はないだろう。
 一対一であれば。
 冴人は大きく身をひねる。
 その瞬間。たった今まで冴人がいた場所を水の刃が切り裂いていた。
「しとめ損なったみたいね」
 不意に現れたのは、一人の若い女性だった。高い背の後ろに広がる長いまっすぐな黒髪
が目を引いた。
 だが、それ以上に目を引いたのは、大きく開いた首もとから覗く、鎖骨の下にちらりと
見えた刺青。黒い蛇が二匹重なり合う姿が見えた。
「黒蛇真教。ですか?」
「ええ。貴方達、天守に滅ぼされた、ね」
 彼女はじっと冴人を睨む。だがその瞳がどこか笑っている。
「私はその生き残りって訳」
 彼女は淡々と呟くと、ピンっと指を鳴らす。
 その瞬間、羅刹が「ぐぉう!」と一鳴きして姿を消した。
「貴方が召喚した訳ですか」
「ええ。そうよ。羅刹を召喚するのは骨が折れたけど、十分に役目は果たしてくれたわ」
 楽しそうに告げると、口元からくすくすと笑みが零れていた。何がそんなに楽しいのか
はわからなかったが。
「なるほど、復讐と言うわけですか?」
「あら。違うわよ。教団が滅ぼされたのなんて十年も前の話だし、まだ私は小さかったも
の。私の知った事じゃないし。そんな事の為に、こんな苦労はしないわ」
 少女はにこやかに微笑みながら、その手をすっとかざす。
「!?」
 慌てて冴人は身を翻す。そこに水の槍がいくつも飛びかかってくる!
 殆ど転がるようにして避けると、そのまま勢いをつけて立ち上がる。
「雷火っ!」
 冴人も軽く呪文を唱えていた。八卦施術よりもずっと格の落ちる技ではあるが、まとも
に受ければ強いダメージを受けるし、牽制程度にはなる。
 ばちばちと火花をはじかせながら雷が襲いかかる!
「その程度の技は通用しないわ」
 少女は軽く手をかざすと水の壁が現れる。そして雷の放つ火花は完全に防がれていた。
「水禍急撃!」
 続いて大きく叫んで手を振り上げる。
 その瞬間。空気中の水分がいくつもの珠となって凝固していた。
 かと思うと、それらの水滴が恐ろしい勢いで冴人めがけて降り注いでいく。
 たかが水滴。しかしそれも恐るべきスピードで放つ事により、弾丸よりも強い威力を放
つ事が出来る。水滴が地面を穿つたびに、いくつもの穴が浮かんでいく。
「くっ。なら――こい! 坤(こん)!」
 呪文も唱えずにノータイムで八卦を呼び出す!
 呪文や印は魔力を増幅させ消費を抑える。しかし威力を抑える。あるいは魔力の消費を
気にしなければ必ずしも結ぶ必要はない。その分、術が完成するスピードは速い!
 土壁が冴人の周りを覆うようにして現れる。少女の放った水の珠は、全てその壁に防が
れていく。
「ばかね。その術では貴方自身も身動きがとれないでしょう? 呪文なしの術は完璧では
ないわ。開いた頭上を狙えば――水槍!」
 一気に術を解き放つ。
 同時に大量の水が現れ、一本の槍と化す。そして冴人の頭上へと降り注ぐ。
 ザン! 切り裂くような音が響いて、土壁の中へと炸裂する。
「やった!?」
 歓喜の声を上げようとした瞬間。
 バチバチ!! と少女の体に電撃が走る!
「ぐぅく、うわ!?」
 言葉にならない声を上げていた。雷撃がその身を捉えている。
「馬鹿は貴女の方ですよ。なんの為に呪文も印も組まずに術を唱えたと思いましたか? 
しかも天守である私が、わざわざ天地人のうち地に当たる術を唱えたのか。
 別に水の珠を防ぐのに土壁である必要はありません。震(しん)でも巽(そん)でも兌
(だ)でも、使いやすい術を使えばいいのです。あえて威力が劣る地の術を唱えたのは、
貴女から視界を遮る為」
 冴人は背後からゆっくりと少女へと近付きながら、静かに語る。結愛が呪文を唱える時
に区切る「けんだり、しんそん、かんごんこん」はそれぞれ天・人・地を表しているのだ。
すなわち地の術である『坎艮坤(かんごんこん)』は天守とは若干相性が悪く威力が低い。
「普通に巽(そん)を使い姿を消したなら、貴女に現れた瞬間を狙われたでしょう。しか
しこうして坤(こん)で作った土壁を囮にすれば気が付かれぬ内に後ろをとれたという訳
です」
 雷撃は彼女を完全に捉えていた。冴人はほっとしてやや力を抜く。さすがに呪文なしの
術を三連続で唱えたのは、ずいぶん力を消費していた。
 土壁を現わした坤(こん)。瞬間移動を行う巽(そん)。そして雷撃を放った震(しん)
である。この連携はスピードを重視する為に、印を結んでいる余裕はない。智守としては
多大な術力を誇る冴人ならではの技の一つだ。
 しかし大成を唱えた後である。魔力はまだしも術力がやや限界に近付いてきていた。
「さてと、それでは聞かせてもらいましょうか? 貴女がどうやってここに侵入したのか
を」
 冴人はゆっくりと少女へと近付いていく。彼女はまだ痺れが完全にとれていないらしく、
身動きもろくにとれないようだ。
「……手を借りたのよ。守の民の」
 少女は、にやりと口元を歪ませて答える。
「馬鹿な事を。守の民が貴女のような人を身の中に入れる訳ないでしょう?」
 冴人が呆れて答える。確かに守の民が手引きしたとすれば、確実に里に入る事は出来る。
しかしそれは里を滅ぼす原因になりかねない。誰がそのような真似をするというのだ、と。
「私は嘘は言ってないわよ。そいつは、守の民でありながらも天守を憎んでいるんだから」
 にやりと口元を歪ませる。
「天守を憎んでいる……まさか……?」
 その言葉にふとある顔が思い浮かぶ。
 有り得ない。そう信じたい。しかし、今、天守との関係は最悪の状況だ。何があっても
不思議ではない気もしていた。
「そう。彼の名前は……」
 そう告げようとした瞬間。
 突然、少女が飛び上がるようにして立ち上がる。もうとっくに電撃の痺れから立ち直っ
ていたのだ。
「しまった!」
 衝撃的な言葉に、ついきちんと捕らえるのを忘れていた。彼女の演技にも騙されていた
のだ。恐らくはハナからさほど術も効いていなかったのだろう。
 少女が飛んで逃げようとした瞬間。
 しかし。ピタリ、とその喉元に刃が突きつけられていた。
「その話。詳しく訊かせてもらおうか」
 咲穂はゆっくりと告げると、物干し竿の刃をぴたりとつける。
「……」
 少女は何も言わず、ふと両手をあげていた。
 降参の印であった。
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