僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (12)
 羅刹。鬼の中でも鬼神と呼び名されるものの一つ。その力は軽々と鉄を引き裂き、その
妖力はみた者を凍らせるという。神に近しいもの。
 だがその本質は、人を喰らいその力を増す悪鬼。例え国津神と呼ばれようと、決して神
などではない。
 綾音は今まで羅刹を見た事はない。いや、それどころか十六夜も、あるいは守の民全体
を見渡しても見たことがある人はいないだろう。
「羅刹の中でもたぶん力は強くない方だ。大鬼と大して姿形が変わらないから。羅刹は位
の高い奴ほど、人間離れた姿をしているそうだから、な」
 目の前の羅刹を睨み、そして身構える。まだ羅刹は襲いかかってくる様子はない。しか
し確かに二人に気が付いているようではあったし、いつその気になるかはわからない。
「さて。どうするかね。けつまくって逃げるか?」
「冗談。相手が羅刹だろうが、鬼を放っておく訳にはいかないわ。それとも何かしら、貴
方は怖いから帰りたいのかしら?」
 綾音は羅刹に向けて身構える。
 大鬼相手なら綾音一人でも十分に余裕がある。だとすれば羅刹が相手でも闘えない事は
ないはずだ。特に今は十六夜という味方がいる。彼は地守の一員であり、こういった鬼と
戦う為の存在なのだ。綾音よりよほど上手く戦う術を知っているに違いない。
「正直、怖いね。俺っちは羅刹なんかと戦った事ないからねぇ」
 本気なのかそれとも冗談なのか。どこともつかみ所の無い声で答えると、それでも煙草
の火を消して羅刹へと対峙する。
「咲穂ちゃんもいないから物干し竿もないし。俺っちの愛刀『佐助』だけでどこまでやれ
るかね」
 懐から小太刀を取り出す。
 地守の術は、このような武器を介して行う事が多い。力添である十六夜は太刀は帯刀し
てはいないが、それでも小太刀のような武器を必ず持っている。
「心配いらないわ。貴方が手出しするまでもないもの」
 綾音が呟いた瞬間。
 ついに羅刹は攻撃の意思を見せ始めていた。ぴくりと身体を振るわせ、そして大きく息
を吸い込んでいた。
「炎を吐くか!?」
 十六夜が叫ぶ。
 羅刹は口や目から炎を吐くのだという。大鬼にも口から何かを吐き出す能力を持ってい
るものは多いが、羅刹のそれは大鬼とは比べ物にならないという。
「乾兌離震巽坎艮坤(けんだりしんそんかんごんこん)。八卦より選ばれしもの、我は汝
を使役せす。おいで、坎(かん)!」
 綾音は咄嗟に水の術を唱える!
 目の前の水の楯が現れ、綾音と十六夜の前に広がったかと思った瞬間。
 羅刹の口から炎が吹き出していた。水の楯を一気に包んでいく!
 じゅう。と鈍い音が響き、水の楯は消え去り、そして炎はそのまま綾音へと突き抜けて
いく!
 綾音は横手へと転がるように飛ぶ。左手を地面につけて体を支え、そのままくるりと回
転して起きあがる。
「ひゅう!」
 十六夜が感嘆の声を上げていた。体操選手さながらの見事な体術だ。
「感心してないで。貴方も闘って」
 綾音は羅刹から目を離さずに、しかし十六夜に向けて言葉を紡ぐ。羅刹から視線を逸ら
す事ができなかったからだ。
 大鬼にも何かを吐くようなものはいる。しかしよほど相性が悪いものでない限り、八卦
施術で作った楯を突破する事はない。ましてや羅刹が吐いたものは炎である。五行で言う
水剋火にあたり、通常であれば水の術に剋つ事はできない。
 ただそれさえも物ともしないほどの強さであれば、必ずしも五行の法則に従う訳ではな
い。炎で水の術をうち消す事は可能である。
 つまり見た目がいかに大鬼と変わらなかろうが、羅刹の中では最弱であろうが羅刹は羅
刹。強大な力を有していると言う事なのだ。油断できる相手ではない。
 しかしそれでも綾音には余裕があった。綾音自身が天才術士だと言う事もあるし、さら
に味方である十六夜も強力な術士である。二人が力を合わせれば、この程度の相手に不覚
をとる事はない。それはすぐに確信できた。
「へいへい。それでは行きますかね」
 十六夜が一つずつ印を結んでいく。八卦施術を使うつもりらしい。
「なるほど。そういうつもりね」
 綾音は十六夜の意図を瞬時に読みとって、身構える。
「ほい、坎(かん)!」
 水の楯を大きく張り巡らせる。
 しかしこのままでは羅刹に突破されるのは目に見えていた。十六夜の術は強い力を持つ
が、綾音にはそれでも及ばない。
 まして十六夜は地守の一族だ。術をそのまま使うよりも、物に込める術の方を得意とし
ている。十六夜の術だけでは防ぐ事はできない。
 ただし、突破されるとはいっても威力を押さえ炎の到着を遅らせる程度の真似はできる。
つまり綾音が強力な術を使うまでの時間稼ぎなのだ。
「乾兌離震巽坎艮坤(けんだりしんそんかんごんこん)。
 天沢火雷風水山地(てんたくからいふうすいさんち)。
 八卦より選ばれしもの。互いを合わせ、更なる威を駆れ! 坎爲水(かんいすい)!」
 八卦施術最大の術、大成を唱えていた。それも水と水の術を重ねる術、坎爲水(かんい
すい)である。
 強大な水の壁が十六夜の術に重なり、自らに取り込んでいく。そしてその壁から、幾重
もの水の槍が生まれていく!
「ぐぎゃぁぁぁぁ!?」
 これにはさしもの羅刹も防ぎきる事ができなかったようで、大きな叫び声を上げていた。
羅刹は炎の鬼でもある。水の術にはやや弱いのだ。
「どう? 少しは効いたかしら」
 羅刹に向けて、綾音は淡々と言い放つ。大成の上に十六夜の術も重なっている。かなり
の力になっているはずだ。
「ああ。効いたようだね」
「え?」
 すぐ真後ろから聞こえた声に、綾音は振り返る。
 いや、振り返ろうとした瞬間だった。ドン、と首の後ろに強い衝撃を感じていた。
「……な!? どうして……?」
 綾音は疑問を隠しきれず、弱々しい声で呟いていた。しかし答えが戻る前に、綾音の意
識は少しずつ失われていた。
 ただ薄れゆく意識の中、十六夜の声が聞こえたような気がする。
「悪いね。どうしても俺っちはやらなきゃいけない事があってね」
 だけど、その声はもう綾音の耳には届いてはいなかった。
「坎爲水。易でいえば大難の相か。綾音ちゃんにとっては、そうなってしまったね」
 この声も。



「あさー。あさだーっ。おきろーっ」
 洋の耳元で大きな声が響く。
「うをぁ!? なんだ!?」
 飛び跳ねるようにして目を覚ますと、きょろきょろと辺りを見回す。
「おぅ。おきたか。洋」
「……親父か」
 げんなりとした声で呟くと、はぁ、とため息をつく。朝っぱら、しかもまだ6時である。
いつも7時過ぎまで眠っている洋にしてみれば、寝不足気味だ。機嫌も悪くなろうという
ものだ。
「じゃあ、いくぞ」
 亮は何も説明もせずにただ告げていた。すでに亮は完全に出支度を終えており、いつで
も外出できる格好だ。
「は?」
「今日はちょうどいいことに祭日だ。そういう訳で、でかける。さ、準備しろ。いくぞ」
 せかすように言うと、洋を無理矢理ベットから引きずりおろす。
「ちょっとまて!? どこにいくんだよ」
「まぁまぁ、いいからはやくしろ。俺と結愛ちゃんはもう準備万端だぞ。できてないのは
お前だけだ。さぁ、はやく」
 亮は洋へと着替えを無理矢理おしつけると、洋の服に手をかける。
「うわわっ!? 親父っ、なにをっ」
 慌ててふりほどく。しかし亮は容赦せずに力づくで押さえつけようとする。
「なに。着替えを手伝ってやろうというんだ。さぁ、遠慮するな」
「するわっ! っーか、やめろ、くそ親父っ」
 くそ。こいつ人がいやがる事して喜んでやがる、と口の中で呟くと、なんとか亮を振り
払って距離をとる。
 亮もさすがにこれ以上は続けようとはしない。にやりと口元を歪ませて、それから洋の
部屋を後にする。
 かと思うと、扉の向こうから、ひょいと首だけ出していた。
「しかし立派に育ったものだな。なぁ、洋」
 意味深な言葉を呟くと、くっくっく、と笑い声を漏らす。
「お前もちゃんと男だな。安心したよ」
「……?! この馬鹿親父!!」
 亮の意図している事を理解して、枕を思いっきり投げつける。しかし亮はひょい、と体
を壁の向こうに隠して扉をしめる。
 枕は扉に大きくぶつかって、ばんっという音を立てていた。
 あいかわらずかき回される父親の行動に、洋はただ溜息しかつけなかった。

「で、この真冬のさむーーい朝にどこにいくっていうんだ?」
 街中を歩きながら、洋はじっと亮を睨む。いつもながら父親のやる事は突然で、ついて
いくのも一苦労だ。
 もっともこの父親をもっているからこそ、結愛の突飛な行動についていけていたのかも
しれない。
「決まってるだろう。式場を予約しに……ぐをっ!?」
 亮が皆まで言うまでに洋の拳が後頭部を直撃していた。
「何をする洋!? 痛いじゃないか!」
「で、本当はどこにいくんだ?」
「ち。かわいげのない奴だな。なに、ネズミィランドにつれていってやろうと思ってな」
 亮はくっくっくっと口元を歪ませる。
「は? なんでまた突然」
「いや。昨日、結愛ちゃんと話していたら、遊園地にいった事がないって事じゃないか。
これはいかんと思ってな! で、遊園地と言えば王道はネズミィランド! ここしかある
まい!」
 亮は一人燃え上がって、声を高らげる。
「ふぇ、ネズミィランドって何ですか?」
 結愛が一人きょとんとして首を傾げている。ここでいつもならさらに体を傾け、突然
「あ、わかりました!」とか勝手に自分の中で解決するところであったが、それよりも早
く亮が答えていた。
「遊園地だよ。それも女の子の憧れ中の憧れの場所っ。楽しいぞーっ。ミッキーネズミも
待ってるしな」
「ふぇ〜。楽しいですか?」
「おう。楽しい事間違いなしだ!」
「ふぇぇ。楽しみです楽しみですっ」
 亮と結愛の二人は、大はしゃぎで盛り上がっている。その様子に洋はわずかに溜息をつ
く。この二人は非常によく似ている。
 しかし結愛と亮が根本的に違うのは、結愛は天然であり、自然に振る舞っているだけな
のだが、亮は計算尽くでわざとやっているというところだ。
 もしかするとどことなく結愛を許してしまうのもそのせいなのかもしれない。自然にそ
うあれる彼女だから。
 いつもならここは勝手な事を進める亮に、怒鳴りつけたりするシーンだったかもしれな
い。しかし、洋は何も言わない事に決めていた。
 結愛は普通の女の子ではない。守の民という特別な一族に生まれ、天守という使命を帯
びて生きている。
 だから。少しでも彼女に普通の女の子らしい楽しみをあげるのは悪い事だとは思わなかっ
たから。
 少しでも、普通の楽しさを。与えてあげたかったから。そう思うと、少しだけ顔を俯け
る。
 どうして。亮が言い出すまで、それだけの事をしてあげられなかったのか、と。
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