僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (11)
 やや照れながら言う亮に、洋は大きく目を見開いた。
「竜英組って、あの有名なヤクザのか? まさか、母さんはぜんぜんそんな風には見えな
かったけど」
 最近、結愛のおかげで驚きには耐性ができてきた洋ではあったが、さすがにこれには狼
狽が隠せない。
 洋の記憶の中にある優しい母の面影と、ヤクザが全く結びつかないのだ。
「まぁ、母さん自体は全く関わりなく花よ蝶よで育てられたらしいから、そう見えなくて
も当然だ。私も初めは全く知らなかったしな」
 亮はどこか遠い昔を懐かしがるような目で、ゆっくりと語り出す。
「で、だ。娘さんを下さい、と挨拶にいこうと思ったら、なんだ。こうごっつい兄ちゃん
達に囲まれてな。はげ頭のいかつい親父が一人傅かれていてな。『われ、覚悟は出来てる
んやろうな』いうんだ。ありゃ、怖かったな」
 亮はわはははと笑いながら告げる。

 笑ってる場合じゃないだろ、それと洋は思うが、しかし昔の事だ。想い出話とはそうい
うものかもしれない。
「でなぁ。『儂の娘を傷物にした責任はとってもらう』とか言われて、こう包丁とまな板
が用意されてな。包丁が突き刺してあるわけだ。『われの覚悟みせてもらおうか』ってな
ー、できるかぼけっー、とか思ったけどな。
 でも、俺も男だ。母さんを嫁にすると決めた以上は、それくらいで後にはひけん。指の
一本や二本くらいくれたるっ、と思って包丁を手にとったんだけどな。これがまた手が震
えてうまく動かんのだよ。
 それでもな、なんとかこう、包丁を一気に落としたんだけどな」
 わはは、と笑う亮に、洋は驚くやら呆れるやら何とも言えない。
 もっとも亮の指はいまもきちんと付いている。結果として指をつめたりはしていないの
だろう。
「まぁ、実は包丁の刃は落としてあってな。切れはしなかったんだけど、また一気に落と
しただけに指の骨おれてな。しばらく大変だったよ」
 亮は仮にも娘の好いた相手だ。娘を溺愛していたらしい組長も、流石に実際に指を詰め
させる訳にはいかなかったのだろう。
「ま、でも。それで気に入られたおかげか、母さんを娶る事を許されたよ」
 亮はにやりと口元を歪ませる。
「何があっても母さんと一緒になるつもりだったからな、俺は。そして今、お前も同じ事
を言う。だから、お前はやっぱり俺の息子だよ。父としては、止めたけどな。男としては、
お前にも諦めて欲しくはない。
 苦労しても辛い目にあっても。あの子を守ってやれよ」
「……ああ」
 洋はぼっきらぼうに答える。
 いつものほほんとしている父親に、そんな過去があったとは思いもしなかった。
「で、それはそれとしてだ」
 亮は軽く流すように告げると、にやりと口元をほころばせる。
「で、あの子とはどこまでいったんだ?」
「……このっ。バカオヤジーっ! 今さっきまでしてた表情はどこにいった!?」
 思わず洋は叫んでいた。もはや疲れ切って何も言えはしない。
「お前の事だから、最後まではいってないだろうが。でもキスくらいはしたのか?」
 怒鳴り声も全く気にしていない様子で、ただ自分の聞きたい事だけを訊ね続ける。その
顔はすでに元の好奇心に溢れた子供の表情にも戻っていた。
「してないっ! つうか、俺と結愛はそういう関係じゃない!」
「なにぃ!? お前、なんてことをっ。まさか、お前がそんな奴とは全く思っていなかっ
たぞ。結愛ちゃんが可哀想だろう!?」
「なんの事だよ?」
「遊びはダメだぞ。洋」
「いちど死ねっ。死んで頭、クリーニングしてこいっ」
「おおっ、ひどい。我が息子とは言え、なんという事を」
「言われたくなかったら、もっと普通にしろーっ」
 洋は大きく叫んでいた。


「キキィ!」
 小鬼が大きく叫ぶ。
 だが、次の瞬間には冴人の術が打ち付けていた。
「これで七匹目ですか。偶然にしてはできすぎていますね」
 冴人は眉を潜めて、ゆっくりと呟く。あの事件以来、里には時々、小鬼が出没するよう
になっていた。しかし外との結界が緩んだ様子はない。外から鬼が侵入してくる事だけは
考えられなかった。
「そうね。ここまでくると信じざるを得ないかしら」
 淡々と告げ、そして鬼がいた場所を見つめてゆっくりと振り返る。しかし綾音の言葉に
は、いつもの切れがなかった。どこか何か考え込んでいるような、僅かに歯切れの悪い声。
「どうかしましたか? いつもの貴女らしくないですね」
 冴人は眉を潜め綾音へと視線を移す。
「なんでもないわ」
 綾音は軽く呟くと、にこりと微笑む。
 もういつも通りの顔。どこにも翳りは見えはしない。しかし冴人には、いまの言葉がど
うしてもどこか気になって仕方なかった。
 しかし綾音がそういう以上は追求する事も出来ない。追求したとしても綾音は恐らく答
えないだろう。
「わかりました。何にしても、このまま事態を放っておく訳にはいきませんね。何らかの
手を打つ必要があります」
 冴人は敢えてその事には触れずに、差し迫っている事態へと意識を移す。
「そうね。もっと抜本的な解決策を考えなくてはいけないわね」
 綾音はいちおうは聞いているらしく、答えはまともではあるのだが、しかしそれでもど
こか上の空であった。
「天と地の関係を見なおす必要があるかもしれない」
 綾音がぽつりと呟いた台詞に、冴人は強く眉を寄せていた。
「あの男の話ですか? 戯言でしょう。確かにここのところ天守と地守の仲はさほど良く
ありません。しかし、それほど決定的な何かがあった訳でもないかと思いますが」
「そう、ね。何があった訳ではないわ。今のところは、ね」
 思わせぶりに言葉を濁すと、綾音は何か思うところがあったのか、ゆっくりと歩き出す。
「報告は貴方に任せたわ。私、ちょっと行きたい場所があるの」
 綾音は一人、答えも待たずに告げるとその足を速める。
 冴人はただ肩をすくめ、そして軽く息を吐き出していた。


「さてと」
 十六夜は煙草の火を消して、灰皿へと捨てる。
「こんなところに呼び出して、何の用かな?」
 十六夜は軽く辺りを見回していた。
 街頭が僅かに辺りを照らすだけ。先日、咲穂によってまっぷたつにされたバス亭のベン
チは今も二つになったまま、そこに転がっている。
「私、回りくどい事は嫌いだから単刀直入にきくわ」
 綾音はまっすぐに十六夜を見据え、しかしやや距離をとったまま、ゆっくりと話し出す。
「大祭の儀の時の鬼。貴方が呼び出した。そうでしょう?」
 綾音の言葉に、しかし十六夜はぴくりとも反応しない。
「何のことかな?」
「とぼけないで。あの場でそんな真似が出来るのは貴方しかいないのよ」
 綾音は珍しく言葉に刺を含めて、強い口調で声を返していた。逆に十六夜は飄々とした
態度で、全く動じていない。いつもの綾音の立場が全く逆だ。
 どこか綾音には余裕が無かった。なぜだかこの男の前では、いつも通りに振る舞う事が
出来ないのだ。
「おいおい。俺っちもこう見えても守の民の一員だよ。そんな事する訳がないだろう?」
 十六夜は、呆れたとも驚いているともとれる声で答えると、大仰なほどに両手を広げて
みせる。
「でも結界の外からあれだけの鬼を呼び出すなんて無理。かといって結界には守の民以外
は入れないわ。そして守の民の中でも、あれだけ大量の鬼を呼び出せる術士なんて限られ
てるもの」
 綾音はじっと十六夜を睨むように見据えていたが、しかし十六夜は全く動じる事もなく
にやりと口元を歪ませる。
「まぁ、そうだねぇ。例えば綾音ちゃん、君とかだねぇ」
 からかうような口調で笑いながら言うと、新しい煙草に火をつけていた。
「……私は煙草は嫌いよ」
「そうかい? 俺っちはこれがないと生きていけないね」
 煙草を深く吸い込むと、十六夜はふぅと吐き出す。外の冷たい空気と煙の色で、辺りが
真っ白に染まっていた。
「天と地のバランスが崩れている。貴方の言う通りね」
 綾音は静かに、どこか覚悟を決めたように告げる。
「貴方がもしも鬼を呼び出したとしても、それだけの事態に追いやられているという事だ
から」
「まぁ、俺っちはそんな事はしてないが。天と地のバランスが崩れている事は確かだよ。
そしてまずは地が壊れるね。このままなら羅刹や馬頭といった鬼神すら現れるだろうよ。
そうなれば、俺達だけでは手が追えない。今の地守ではね」
 綾音の言葉に、十六夜はしかし微塵も動揺を見せない。
 綾音は表情を変えはしないが、内心では眉を寄せていた。思っていたよりもずっと十六
夜は感情を見せないのだ。
 軽い挑発によって見せた感情の乱れをつくのが綾音の本来の交渉術だ。普段は落ち着き
感情を露わにしない冴人でさえ、綾音の前には思わず反応してしまうくらいだ。普通の人
であれば、かなり手玉にとる事が出来る。
 しかし十六夜は全く反応をみせなかった。内心どう思っているにしても、普通であれば
微妙な変化があるものなのに。全く。塵一つ動かす事もなく十六夜は話を進めていた。む
しろ綾音の方が、どこか苛ついて冷静さを失っているくらいだ。
「けど、もしもそんな事態になったなら。今のような状態ではいられないわね。天守と地
守は本来同じ立場なのだけど」
 綾音は淡々と告げると、じっと十六夜の顔を見つめていた。しかしやはり変化は見受け
られない。
 綾音の言葉には、いろいろと意味を含まされている。特に十六夜のような鋭い相手であ
ればあるほど、隠された意味まで読みとりどこかに反応が現れるような台詞。
 この台詞であれば、天と地の立場に違いがない。つもり十六夜の行動こそがそれを崩す
ものだという意味を含めている。初めにストレートに質問したのも、綾音一流の交渉術の
一つだ。それらの術は、この深い意味をとれる相手に対して、より効果の高いものなのだ。
 もちろんそういった相手は感情を隠すのも上手いものではある。表面的には何も見えな
い。ただ綾音はその類い希なる観察力で、小さな変化も見逃す事はない。
 だからこそ、それでも変化の見受けられない十六夜に心の中で舌を巻いていた。
「地守は飢えているからね。力を発揮する事は出来ないかもしれないな」
 煙草の煙を吐き出しながら、十六夜はふむと小さく声を漏らした。
 冬の空気がとても冷たい。それも夜中ともなればひとしおだ。
 しかし、いま綾音の身体が震えたのは寒さの為ではない。未だなかった自分よりも優る
だろう好敵手に、何か感じ取るものも見つけていたから。
 綾音は何事につけても自分よりも優る才能を見た事がない。術にしても、あるいは単純
に身体能力にしても。
 もちろん個々に比べれば、男性には筋力は劣るし、洋のように特に強い魔力を持ってい
る訳ではない。
 しかしそれらのものは、単体で使うものではない。総合的に見た時、綾音は誰よりも優
れた能力を持っている。
 だが今、目の前にしている男は違う。術力でいえば、確実に綾音には劣る。添であるだ
けに魔力は十六夜の方が強いが、しかしそれも僅かな差でしかない。身体能力でいえば筋
力はあるかもしれないが、柔軟性や耐性は綾音の方が優っているかもしれない。
 しかしそれらをカバーするに足るだけの知恵、策略。そして演技力に関しては十六夜の
方に強く分がある。綾音は、いまそれを痛感していた。
「でも貴方にはずいぶん余裕があるように見えるけども。少なくとも煙草を吸うだけのね」
 綾音は十六夜の吸っている煙草をじっと見つめる。この煙草は特別に拵えたものではな
い。街の自販機で売っているものだ。
「ま、俺っちは役割柄、外に出る事も多いからね。こういったものが必要になる事もある
しねぇ」
 十六夜は、煙草をぷぅっと吹かす。こういったもの、とは煙草の事ではない。
 十六夜は咲穂の力添であり教官でもある。しかしそれ以外にも情報員としての役目もあっ
た。あちこちに行き来し、外の情報を仕入れてくるのだ。その為にお金が必要となる場合
もある。従って十六夜は多の地守よりも財布の中身が厚い。煙草を吸う程度の事は何とい
う事もないのだろう。
 それは殆ど里から出る事のない地守の生きる術の一つでもあり、また鬼が現れる前兆を
素早く掴む為でもある。
「まぁ、気苦労も溜るあるしねぇ。これくらいは許してもらわないとね」
「そう。まぁ、いいわ。でも、貴方の……」
 と綾音が告げかけた瞬間だった。
 ドン! と大きな音が響く。
 慌てて音のした方向へと振り返る。そこにいたのは――
「鬼、ね。それも小鬼でも中鬼でもない。大鬼、かしらね」
 冷静に呟く。綾音にとってみれば大鬼程度の鬼は、油断は出来ないが強敵と言う程の敵
ではない。
 だが珍しく十六夜が引きつった声で答えていた。
「違うな。あれは――羅刹、だ」
 その顔にはっきりと緊張の色が浮かんでいる。十六夜の声が震えてすらいる。
「羅刹! あれが!?」
 綾音も思わず声を揺らしていた。
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