僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (10)
「ふぇ?」
 突如開いたドアに、結愛が首を傾げていた。
 どうやら今日の食事は鍋らしい。下準備を済ましているのがわかる。いや、そんな事を
気にするんでなくてだな、と内心、あたふたと慌てながらも、洋はなんとか冷静を保った
ふりをする。
 父親がくるりと振り返る。じっと洋を眺めたかと思うと、もういちど台所へと振り向い
た。
「ふぇ〜。こんばんわですー」
 結愛はとりあえずぺこりと頭を下げる。何がなんだかわかっていないようではあったが、
それは父親も同じようだった。
 しかし。結愛が反応するよりも早く、再び父親が洋へと向き直る。
「洋、お前……」
 掠れたような声。その肩がぷるぷると震えていた。
(やばい。怒ってる?)
 声にはせずに呟くと、逃げ出しそうになる気持ちをなんとか抑える。ここで逃げても状
況は悪化するばかりだ。
 しかし父親の怒りももっともかもしれない。自分が留守の間に女の子を連れ込んで同棲
しているだなんて事を、普通の父親なら許せるはずがない。
 それは誤解ではあるが、この状況ではそう見えても不思議ではなかった。たまたま遊び
にきたにしては、結愛の態度はこの家に慣れているし、料理している間はきちんとエプロ
ン姿ですらある。
「親父。これはだな、その」
 なんとか説明しようと思うが、なんと説明していいかもわからない。鬼が襲い来る可能
性があるから結愛が傍にいるだなんて話は突拍子も無かったし、天守の事を話す訳にもい
かない。
 だが、父親はすたすたと洋の前へと歩み寄り、その手を大きく上げた。
 殴られる! そう思い、しかしそれでも覚悟して目を瞑る。
 そして次の瞬間。
 ばんっ、とその手が洋を叩いていた。その肩を。
「でかしたっ。さすが、俺の息子っ! よしよし、いつの間にこんな可愛い彼女をこしら
えたんだ? いやー、こうしてみると、どこか母さんの若い頃に似ているな。うむ」
 ばんばんと肩を叩きながら、父親は満足そうに言う。
「怒ってるんじゃないのか!?」
「怒る? なんでだ。俺は、いい歳して女の子の話の一つもしないお前を心配していたん
だぞ。いやー、しかし、俺のいない隙に彼女を連れ込むくらいの甲斐性はもっていたか。
おっと、そうだ。君、名前はなんて言うんだね? 私はこの馬鹿息子の父親だ。あ、お父
さんと呼んでくれて構わないぞ」
 父親は一気に言い放つと、結愛へと振り返り、楽しそうに笑っている。
「ふぇ? 洋さんのお父さん。お父さん。ふぇ〜、宜しくお願いします」
 結愛はぺこりと頭を下げる。片手に鍋つかみをしたままなので、どこかおかしいが、し
かし結愛も父親も気にしていない。
「あ、私はゆあって言いますっ。愛を結ぶって書いて結愛です。わ、いい名前ですねー。
びっくりです」
「ふむふむ。結愛ちゃんか。これはまた可愛いらしい名前だ。どうか、洋の奴としっかり
愛を結んでいってくれたまえ。宜しく頼むよ」
「はいっ。宜しくされますっ」
 結愛はにこにこと楽しそうに微笑んでいる。
 父親はにやりと口元に笑みを浮かべていた。
 厄介な相手が二人に増えた事を感じて、洋は大きく溜息をついていた。

「まぁ、私も理解ある父親でありたいと思う。細かい事はきかない事にしよう。だかしか
しだ、それでも一つだけ聞いておきたい事がある」
 洋の父親は威厳のある声で告げる。こうしていると、世界的考古学者らしく見えなくも
ない。
 もっとも内情を知っている洋から見れば、はっきりと分かる。父親がこういう声を出す
時は、ろくでもない事を考えている時だと。
「で、式はいつにするんだ?」
「この馬鹿親父ーっ!!」
 大声で叫ぶと、洋は思いっきり父親の頭を殴りつける。父親相手だけにか、つっこみも
容赦がない。
「おおっ、何するんだねっ、洋。いたいじゃないか!?」
「何でいきなりそうなるんだよっ!? っていうか、俺はいくつだと思ってるんだ!」
「十六、いや十七か。おお、あと一年で結婚できるな。よし、式はお前の誕生日だな」
「そこから離れろーっ!」
 ぜいぜいと息を荒げながら、洋はそれでも思いっきり声を上げる。
「ふぇ? 私と洋さん、結婚するですか? 知らなかったです」
「結愛も変な事言わないでくれ……」
 疲れ果てて、大きく肩を落とす。
「まぁ、なんだ。とりあえず本気は置いておいてだ」
「本気か!?」
「本当に聞きたい事はそれじゃない」
 父親は洋のつっこみをさらりと流して言う。
「……はぁ。で、なんだよ?」
 呆れた声で、それでも渋々とした声で訊ねる洋に、父親はにやりと笑みを浮かべた。
「うむ。もうやったのか?」
「帰れ!!」
「おおっ。つれない、つれないよっ。我が息子ながら薄情な」
 父親はまるでこの世の終わりのように嘆くと、すみっこでいじいじとのの字を書いてい
る。
「いいんだいいんだ。どうせ俺なんか、唯一の家族にも嫌われて、人生寂しく生きるだけ
なんだ。そして最後はケニアの草原で、ライオンに食われて死ぬんだ、俺は」
「うるさい。むしろ親父は一度食われてこい」
 冷たい声で言い放つ洋に、結愛が「ふぇぇ」と声を漏らす。
「洋さん、ダメですよ。お父さんにそんな事言ったら」
 結愛は隅でいじけている洋の父親の前へ立つと、「元気だしてくださいです」とそっと
声をかけた。
「うう。結愛ちゃんは優しいねぇ。うちの馬鹿息子とは大違いだ」
 結愛にすがりつくようにして、おいおいと声を出しながら泣いている。
「そんなことないですよ。洋さんもとても優しいです。きっとひさしぶりにお父さんにあっ
て照れてるですよ」
 結愛の言葉に、洋の父は「おお、本当にいい子だ。洋にはもったいない」と言いつつ涙
を流す。
 しかし結愛に見えないように、父親は洋へと顔を向けると、大きく舌を出してみせた。
「……このくそ親父……」
 洋はぴくぴくとこめかみを揺らしながらも、しかしなんとか怒鳴りたくなる衝動を抑え
る。ここで声を荒げたなら、父親の目論見にまんまとはまってしまう事は目に見えていた。
「くそ。まずは結愛を取り込みやがった。あああ、この親父の事だ。また何ろくでもない
事をたくらんでるに違いない」
 声には出さずに呟く。
 もちろん、洋の父親はその予想に反せず、しっかりと企みを抱えていた。
「あ、そうだ。ばたばたしてて忘れてましたけど、とりあえずご飯にするですっ。今日は
鳥鍋ですーっ。美味しいですよーっ」
 結愛はそんな父親の態度にも気が付かずに、ぽんと手を打って楽しげに提案する。
 洋ははぁ、と大きく溜息をついて、父親はふふんと口元をほころばせていた。


「なぁ、洋」
 洋の父親――新堂 亮(あきら)――は、ぽつりと息子の名前を呼んでいた。食事も終
え、いまはまったりとした時間を過ごしている。
「なんだよ、親父」
 亮の方へと視線を移し、その顔をじっと見つめる。しばらくみないうちに、少し老けた
ような気もした。
 いま結愛は風呂に入っていてここにはいない。親子二人だけが、こたつで向かい合わせ
に入っていた。
「あの子、結愛ちゃんか。可愛い子だな」
 先程までの声とは違い、ややトーンを落とした渋めの声で告げる。その顔は少しも笑っ
てはいない。
「ん、まぁ、そうかもな」
 洋ははっきりとは告げずに、やや言葉を濁す。洋とて結愛の事を可愛いとは思っている
が、何となくここで認めてしまう事は出来なかった。
「で、なんだ? 今度はどこで知り合ったんだ、とか、どこまでいったんだ、とか訊くの
か?」
 軽く流すように言ってみる。だが、洋も本心から訊ねている訳ではなかった。さすがに
父親は普段は家にはいないとはいえ、唯一の家族だ。雰囲気から、真剣なのか、そうでな
いのかくらいは察する事が出来る。
 今の亮の声に、ちゃかすつもりもぼけるつもりも全くない事くらいは分かっていた。
「いや、そうじゃあない。だが、確かに訊きたいのはあの子の事だ。
 洋。私はこう見えても考古学者としては、一線で活躍しているつもりだ。世間様は学者
というと机の上で理屈をこねるのが仕事だと思っているだろうが、実際はそうではない。
特に私のような分野の仕事は、発掘を行ったりなどの一人では行えない作業もある。
 おのずから人と触れあう事も多いし、嘘を掴まされる事も多いから人を見る目も肥える。
それについては私もそれなりに自信はある」
 亮は寂しそうな瞳で、ゆっくりと一人独白するかのように告げる。それから洋が口を挟
もうとしない事を確認して、再び語り始めていた。
「その私の目から見て、あの子はとびきりのいい子だと思う。ちょっと間の抜けたところ
もあるかもしれないが、優しく自分を持っていて、今時の子にはない素直さと力強さがあ
る。さすがは我が息子。いい子を見つけたとほめてやりたいところだ。――あの子が普通
の女の子であればな」
 亮の言葉に、ぎょっとして洋は目を見開いていた。まさかほんの少し話しただけの父親
が、結愛が普通の少女ではない事を見抜くとは思ってもみなかった。
 もちろん結愛が何者なのかも、不思議な力を持っている事もわかりはしないだろう。だ
が、彼女の中に他と違う何かを感じている事だけは間違いがない事はわかる。
「これだけは父親として言わせてもらう。あの子は、やめておけ。あの子が何者かはしら
ないが、なまはかな覚悟でつきあえる子ではない。あの子といれば、たぶんお前は辛い思
いをする事になる」
 そう言った言葉は、よくあるような嫉妬や自らの保身からの声ではない。家族をとられ
る事へ嫌悪でも、あるいは家柄や格式を気にした小さな自意識からくるものでもない。
 そこにあったのは、たった一人の息子の事を想い案じる気持ち。ただそれだけ。
 洋にも、それは痛いくらいにわかった。その証拠に今まで洋が選んだ事に、父親は一度
たりとも反対した事がなかった。何か押しつける事も、過保護に守る事もない。何事も本
人の意思と力によって為すものだと言うのが、亮の信条である。だから洋が決めた事に反
対はしなかった。
 ただし理由も無く中途半端に物事を投げ出す事だけには、大きく声を荒げ叱った。
 その亮が、いまこうして告げる事にどれだけの心が込められているのか。それは洋にも
はっきりとわかる。
 だけど、それでも。受け入れられる言葉では無かった。
 結愛とは亮が思っているような関係ではない。天守と智添。天を守る使命を持つ少女と、
それに力を添える男。ただそれだけの関係に過ぎないのだから。
 洋には天を守ろうなんていう意識はない。洋にとって今でもそれは遠い世界の事に思え
る。
 ただ、かつて交わした約束。それを守りたい。いま傍にいる少女を助けたい。ただ、そ
れだけ。
 それだけを叶えたいから。この言葉は、聞けない。洋の中での理由。
 でも、洋は未だ知らない。その理由にほんの少しだけ嘘が含まれていた事を。芽生えだ
していた知らない気持ちが。
「親父。俺はそれはわかってる。たぶん親父が思ってるような理由ではないけども、結愛
の奴といる事が覚悟がいる事だという事も」
 洋は一度、言葉を止める。ぐっと息を飲み込んで、そして亮の目をじっとみつめる。
「それでも、俺はもう決めたんだ。あいつの傍にいるって。俺の出来る事をしてやろうっ
て。だから、例え親父の言う言葉でも聞けない」
 洋ははっきりと告げる。しかし「ふむ」と頷いて、まっすぐに見つめ返してくる亮から、
照れるように顔を逸らした。
「そうか。お前にその覚悟があるなら、俺はもう止めない」
 亮は淡々と告げると、それからにやりと口元をほころばす。
「しかし、やっぱりお前は俺の息子だな」
 どこか遠い目をしながら、ゆっくりと呟く。
「俺もな、母さんを娶る時には、すったもんだしたものだよ。今だからいうけど、母さん
な。実は竜英組の組長の娘なんだよ」
Back Next
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  面白かった  まぁまぁ面白かった  普通
いまいち  つまんない  読む価値なし

★一番好きな登場人物を教えて下さい
洋  結愛  綾音  冴人  みゅう
咲穂  十六夜 

★もしいたら嫌いな登場人物を教えて下さい(いくらでも)
洋  結愛  綾音  冴人  みゅう
咲穂  十六夜 

★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!