僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (09)
「また厄介な状況になったわね」
 綾音が事も無さげに告げる。
 鬼が百近い数を群れなして現れたなんて場面は、綾音も目にした事がない。
 ましてやそれが天守の隠し里の中であるだなんて想像すらした事もない。
 綾音は守の民きっての天才術士である。しかしその綾音ですらも、このような真似はと
ても出来そうにない。
 もっとも綾音の場合は術力や魔力が不足しているというよりも、単に経験が不足してい
るに過ぎない。熟練の術士になれば、少ない力で多くの効果を上げられるし、様々な術法
にも長けてくる。いずれは可能になるのだろう。
 それゆえか、それとも元来の性格なのか、綾音は急変した事態にも全く驚きを見せてい
ない。
「天と地のバランスが崩れた、か。あるいは本当かもしれないわね」
 先程の十六夜の台詞を思い出して、綾音は淡々と呟きながらも、術を紡ぎを倒していく。
 いまはいつぞやの戦いの時とは違う。万全の体調であり、魔力もみなぎっている。まし
てや奉納の舞のあとで力が高ぶっているのだ。小鬼程度は物の数に入らない。
 ただそれにしても数は多い。散らばる鬼を一度に退治する事は不可能だ。いや他の人間
の事を考えなければ可能だが、それでは巻き添えを食って多数の死傷者が出てしまう。
「一匹ずつ退治していくしかないか」
 雷の術を使い、雷撃を落とす。叫びを上げる間もなく鬼が一つ姿を消した。
「面倒くさいわね。ぱーっとやる方が好きなんだけど、私。しっかし本当はどうしてここ
に現れたのかしらね。この鬼達は」
 やや首を捻りながら、思考を巡らせる。
 可能性は三つだ。
 一つは十六夜の言うとおり、天と地のバランスが崩れ、結界が緩んでしまったという事。
 しかしそれにしては兆候がまるで見られなかった。確かに天守と地守の状況は芳しくな
かったが、それならば結界が緩む兆しがあっても良いのではないだろうか。
 あるいは強い力を持つ術士がこの里の中に、侵入したか、もしくは結界を破りそこから
鬼を送り込んだか。
 しかしこれは殆ど考えられない。隠し里の中に侵入するだけでも一苦労であるし、苦労
して入っても許されざる者は結界の為に力をそがれる。わざわざ不利な状況に自分を置く
術士がいるとは思えないし、いたとしてもこれだけの大量の鬼を呼び出す事は難しいだろ
う。
 また外で呼び出した鬼なら、この中で操作する事が出来ない。それでは目的を達成出す
る事は難しい。もちろん守の民の攪乱そのものを狙う可能性とて無くもないが、しかし天
守と地守が揃った状況ではいかに数を呼び出したとて、多少の怪我人が出る程度で終わる
確率が高い。
 なら、最後に考えられるのは。ここにいる誰かが鬼を呼び出した事。
 天守でこれだけの真似が出来る人物となれば綾音を含めたとしても限られている。しか
し彼等は舞台のすぐ裏にいたし、そのような様子はなかった。
 なら残りは一つ。地守の術士が呼び出したのだ。守の民であれば、結界に術力を左右さ
れる事はない。守の民の一員である地守も、もちろん影響を受けない。
 鬼を呼び出すには、少々骨の折れる作業ではあったかもしれないが、決して不可能とい
う訳ではない。実際、闘える術士であれば誰もが、結界の中で鬼を一度は呼び出した経験
があるはずなのだから。問題は数を呼び出すだけの力があるか否かなのだ。
 恐らくはあの天と地とのバランスが崩れていると宣言した彼が鬼を呼び出したのだろう。
 綾音はそこまで推測して、ふぅ、と溜息をついた。確かに厄介な事になったのだから。
 天と地のバランスが崩れたといった彼の台詞はある意味、正しい。彼のような存在が現
れるというだけでも、確かにバランスが壊れた証拠なのだから。
「綾音さん」
 かけられた声に振り返る。
「冴人。来たわね」
「ええ。僕は貴方の智添ですからね」
「そうね。いくわよ」
 冴人の言葉にこくりと頷き、そして鬼達へと振り返る。
 天才術士である綾音は一人でも術を唱えるのに不自由はない。智添である冴人がいなく
ても、大抵の術は使う事が出来るからだ。
 しかしそれでも智添がいる事は心強いものだ。力が尽きてしまう心配も少なくなるし、
強力な術も使える。そして戦術的、あるいは精神的な支えとなる。
 さっと印を組み始める。巫女姿の袖ががふわりと揺れた。
「乾兌離震巽坎艮坤(けんだりしんそんかんごんこん)。八卦より選ばれしもの、我は汝
を使役せす。いきなさい、震(しん)!」
 呪文と共に雷がいくつか現れ、鬼を数匹まとめて葬り去る。
「さすがですね」
「これくらいは大したことないわよ。……けど、鬼もそろそろ尽きてきたようね」
 百近くいた鬼ではあったが、その全てが小鬼であった。守の民を倒すには心許ない。
「さすがに小鬼程度では、殆ど被害はないですよ。多少は怪我人も出たようですが、死者
はいないようです」
 辺りでは天守および地守達が荒く息をしている。しかしもう戦いを続けている人は少な
い。あと数匹というところだろう。
 しかしもしもここに何かが現れれば、かなり厳しい事になるかもしれない。小鬼と言え
ど、数が多い。力をずいぶん失った守も多いようだ。
「このまま特に何も無ければ良いですが」
「そうね。でもたぶん平気よ」
 綾音は、舞台の奥。十六夜が消えていった方向を見つめていた。
 もしも彼がこの鬼を呼び出したのだとすれば、もはやこれ以上の騒ぎを起こす必要はな
い。彼の目的は、地守の立場向上なのだろうから。
 そして恐らくその目的は果たされる。天守とて地守との関係をこれ以上悪くする訳には
いかない。
 綾音のように彼が怪しいと考える人がいないとは考えられない。しかしそれを馬鹿正直
に告発する事は出来ない。もしも告発したとすれば、天守と地守の関係は確実に破壊され
る。
「そこまで計算して行ったとすれば、いやらしい男ね」
「? 何のことです」
 不意に呟いた言葉に、冴人が首を傾げる。
「なんでもないのよ」
 綾音は何気なく手をふり、そして里を見渡した。いまは、これで終わる。だけどこれは
始まりにしか過ぎない事を綾音は確かに感じていた。


 数日が過ぎた。
 その後、儀式は再開される事なく延期となった。結愛と綾音、それから冴人は天守の里
に。咲穂や十六夜は地守の里へと帰っている。
 鬼が現れた原因に関しては調査を続けている最中だ。しかし綾音の言葉によれば、恐ら
く答えはでないとの事だった。
 洋は結愛と共に自分の家へと戻っている。初めは一人で戻るつもりだったのだが、一人
でいると何が起こるかわからないという結愛の言葉に、彼女がここにいる事を承諾してい
た。そうさぜるを得なかったのだ。
 何かが起こり始めている。それは洋にもはっきりと感じられた。それもあまり良くはな
い何かが。
「なぁ、結愛」
「はい? 何ですか、洋さん」
 結愛は突然の呼び声に、軽く首を傾げている。ほっておけば、そのまま身体ごと倒して
いくのだろうが、それを眺めている気分にもなれなかった。
「あ、そっか。わかりました!」
 しかし結愛は何も言う前から、ぽんと手の平を合わせる。
「そろそろお腹すきましたよね。ご飯にしますっ。待っててくださいねっ」
「ちがう! そうじゃないっ」
 結愛の勝手な決めつけに、洋は声を上げる。いつもの事ではあるが、どうも反応してし
まう癖は抜けない。
「ふぇ〜。じゃ、ご飯いらないですか?」
「いや、いるけど。そうじゃなくてな」
「あ、やっぱりご飯ですよね。ごっはんごはん♪」
 洋の言葉を最後まで聞くこともなく、謎の歌を歌いながら台所へと向かう。
 はぁ、と溜息をついて、とりあえず話をするのを諦める。こういう時はとりあえず結愛
のしたいようにさせた方がいい。変に続けようとすると、余計に話が混乱するだけなのだ。
「俺もあいつの扱い方が上手くなったな」
 いらない知識だけどな、と内心続けて、もういちど大きく息を吐いた。
 料理が出来上がるのをしばらく待つ。
 と、その時だった。ガラリ、と玄関が開く音がする。
「ん?」
 洋は思わず声を漏らすと、聞き耳を立てた。確か玄関のカギはかけておいたはずなのだ
が、結愛が何か買い出しにでもいったのだろうか。ふと思う。
 しかし、次の瞬間。どしどしと廊下を歩く音が聞こえた。
「!? まさかっ」
 洋はあきらかに狼狽が隠せない。
 居間の扉が、どんっと開けられる。
 ひょろりとした痩せ形の男。歳の頃は四十は越えているだろう。しかしその目には子供
のような輝きが強くある。
「洋っ。いま帰ったぞっ。いやー、ケニア草原は広かった」
「おやじ!? 帰ってくるのは来月じゃなかったのか!?」
 慌てて声を上げる。
「うむ。お前を驚かせようと思ってな。内緒にしておいたのだ」
「なんでいつもそーいう子供みたいな事を! 帰ってくるなら、帰ってくるで言ってもら
わないと」
「まぁ、いいじゃないか。お前の驚く顔が見たかったんだよ。……しかし、いつもなら
『なんだ帰ってきたのか』で終わりなのに、この反応。む、何か隠しているな」
「うっ」
 やばいやばいやばい。洋の頭の中に繰り返させる言葉。まさかこのタイミングで親父が
帰ってくるとは思ってもみなかった。洋は額に汗が流れるのをはっきりと感じていた。
 いまこの隣の台所で結愛が料理をしている最中だ。もしも見つかったなら何を言われる
かわかったものではない。
「な、なにも隠してないさ。それよりケニアはどうだったんだよ。スワヒリ語はいいかげ
ん覚えたのか」
「まぁな。それより喉が渇いたな、お前の事だから冷蔵庫に冷えたコーラがあるだろう。
一杯いただくとするか」
 立ち上がり、そして台所に続くドアを開けようとする。
「わーわーわーっ。いやっ、親父っ。この寒いのにコーラなんてダメだって。こういう時
は暖かいお茶だよ、お茶。俺がいれてやるから、な。ほら」
「む。そうか」
 洋の父親は頷いて、ふたたび腰掛ける。その様子に洋はほっと息を吐いた。
 しかしこのままでは料理を作り終えた結愛がやってきてしまう。なんとかせねば、とお
茶をいれながら洋が思っていた。
 その、瞬間だった。
「ばかめっ。油断したなっ。台所に何か隠しておるくらいわかっておるわっ」
 洋がポットからお湯を出そうと背を向けた瞬間。父親は立ち上がり台所へと向かう。
「おおかた猫でも隠しておるのだろう。さっき猫の匂いがしたからわかってお……」
 ばんっと大きな音を立てて扉を開ける。
「るぞ! ……って、おお!?」
 洋の父親は、かなりの声で叫んでいた。
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