僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (07)
「ふぅ。食った」
 洋は大きく息をついて、ごろんと横に寝転がる。
「あ、だめですよー。洋さん、食べてすぐ寝ると牛になるですよ?」
 結愛はにこにこと笑いながら、食器を片付けていた。
 手伝おうか、とも言ったのだが、洋さんはお客様なんだから座っててくださいっ、と言
う結愛の言葉に甘えて、ゆっくりと休んでいる。
 少し緊張しているのもあった。洋は結愛と綾音、冴人以外の守の民と会った事はない。
そこに現れるのも気が引ける部分もあるからだ。
「なぁ、結愛。何人くらい集まるんだ?」
「ふぇ? 何人くらい。あ、私は一人暮らしだから、もう誰もこないですよーっ」
 結愛は首を傾げて、それからぽんと柏手を打って、うんうんと頷く。
「だぁっ。そうじゃない! 明日の儀式の話を訊いているんだ!」
「ふぇ。儀式」
 まだ巫女さんのような格好のままで、袴の袖をぱたぱたと揺らしている。
「あ、大祭の儀ですね。明日、私が舞うんですよー。舞いますっ舞いますっ、踊りますっ。
皆の前で踊るなんて始めてなので、すっごく緊張しますっ。大変ですっ。ふぁいとですー。
おーっ」
 結愛は元気よく答えると、手をぶんぶんと振回す。その度に、袖がふわふわと揺れてい
た。どうやらそれが面白いらしい。
 もっとも欲しかった答えは、相変わらず得られなかったが、変わりに一つわかった事が
ある。
 恐らくこの儀式は天守の就任と関係があるのだろう。綾音も同じ格好をしていた事から
も伺える。
「でも綾ちんと一緒だから、比べられちゃいますね。綾ちん、上手だから。私、下手ぴー
なので、がんばらなくっちゃ。よーしっ、がんばるですがんばるですがんばるですーっ」
 楽しそうに告げると、結愛はガッツボーズをしてみせる。
 洋はこいつの前向きなところは見習わなくちゃな、とも思う。
「あ。そろそろお風呂も入らなくちゃですね」
 結愛はふと呟くと、ぱたぱたと奥へと駆けていく。どうやら風呂場に向かったらしい。
「あ、いまちょうどいい湯加減ですよー。洋さん、先に入ります?」
 お風呂場からだろう。結愛の声が聞こえてくる。
「いや、お前が先でいいよ。俺は後で入る」
「はーい。じゃあ、お先させてもらうですー」
 洋が大声で答えると、少し遅れて結愛から返事が返ってくる。
 こういうのも悪くはないな、と何となく思って、慌てて首を振る。なんだか結愛といる
と感覚が狂うなと思いながら。
 そう。時間は、ゆっくりと流れていた。
 テレビもない。ラジオもない。ステレオも、ゲームもない。本は本棚にいくらか並んで
いたが、かなり古いものが多いようだ。
 こういうところで育ったんだな、と不意に思った。
「きゃああ!?」
 その瞬間だった。大きく叫び声が聞こえていた。
「!? どうした、結愛!」
 声を荒げて、風呂場へと向かう。
 バスタオルで前を隠しながら、結愛が飛び出してきていた。
「いまっいまっいまっ。誰かが外に……」
 結愛は慌てながら叫ぶ。
「覗きか!?」
 洋は風呂場へと入って、窓から外を確認する。しかし何も見えなかった。
 もしも誰かがここから覗いたとしたら、どこかに見えてもおかしくはないのに。
 引き返して外に出る。家の回りをぐるっと回る。だけど誰かがいた痕跡もなかった。
 この辺りには遮蔽物も何もない。いくら闇の中とは言え、家明かりもある。誰かが駆け
ていく姿があれば、影くらいは見えるはずだし、足跡も残るだろう。
 家の中へと戻る。
「どうでした、洋さん?」
「気のせいじゃないのか。誰も見あたらなかったよ」
 洋は僅かに眉を寄せて、そして結愛へと顔を向けた。
 その瞬間。さっきまで気が付かなかったが、バスタオルで前を隠しただけの結愛が目に
入ってくる。身体に巻き付けてすらいない為、あちこち肌が露出していた。
「ばか! ちゃんと身体くらい隠せ」
「ふぇ?」
 結愛は洋が何を言っているのかわからないと言った様子で首を傾げると、そのままいつ
も通り身体まで倒そうとしていた。
 ちらりと肌が覗きだして、慌てて洋は背中を向ける。
「ばかっ、見えるだろ!」
 胸の鼓動が強くなるのを感じながら、洋は思わず叫んでいた。
 覗きには驚くんだから少しは恥ずかしがれ、と内心悪態を付きながらも、まんざらでも
ない気もして、洋は小さく笑みをこぼしていた。



「明日は大祭の儀だね」
 十六夜は淡々と告げると、ぶすっとした顔で咲穂は返す。
「何で俺が天守の儀式に出なくちゃいけないんだ」
 咲穂はぶつぶつとずっと呟いていた。かなり不満が溜っているらしい。
「まぁまぁ、しきたりだからねぇ。仕方ないでしょ」
 十六夜はたしなめるように言うと、それからにっと口元に笑みを浮かべていた。
「それにね。明日はたぶん面白いものが見られるよ」
「面白いもの? なんだ、それは」
「それは当日のお楽しみってね」
 十六夜は再び笑みを浮かべる。
 咲穂は怪訝な顔で十六夜を見つめていたが、しかしこういう時の十六夜は問いつめても
決して答えない。
 これ以上、十六夜から話を聞き出すのは諦めて思考を巡らせる。
 大祭の儀は、新しい守が生まれた事の祝う儀式である。恐らく今回も新しい天守達によ
る舞が見られるだろう。
「どんな奴らか、確かめてやる」
 十六夜には聞こえない程度の声で、ぽつりと呟く。
 咲穂はまだ新しい天守の事を知らない。ただそのうち一人が洋の家に住んでいるという
事くらいしか。
 結局、その天守とも出会えていない。智添である洋を見つけただけで。
 同じ守という立場として興味もあった。自分よりも先に守として就任するのだから、少
なくとも自分以上の実力を持っていなければ認めたくないという気持ちもある。
 咲穂はまだ地守候補生だ。地守になる為にはいろいろな課題を突破しなくてはならない。
しかし能力的に劣るという訳ではない。
 ただ経験が足りないだけなのだ。
 ある程度は、自身の力に自負するところもある。それだけにその自分を先置いて守に就
任した新しい天守は良くも悪くも非常に気になる存在でもあった。
「楽しみと言えばそうかもしれない」
 咲穂は再び呟いて、そして明日を思う。
 その隣で十六夜はただゆっくりと笑っている。
 いよいよ、明日だ。
 僅かに高鳴る気持ちを抑えながら、咲穂は物干し竿をぎゅっと握りしめた。



「これが会場か?」
 洋は舞台を目にして、ぽつりと呟く。
 いわゆる神楽殿(かぐらでん)という奴だろうか。神社の境内に立てられた建物の一つ
で、前面が広い舞台となっている。
「そうですっ。ここですっ。私と綾ちんはここで踊るですっ。舞うですっ」
 結愛は楽しそうに告げると、じゃあここでしばしお別れですね、と言って建物の奥へと
消えていく。
 すでに多くの人が集まってきていた。恐らく今、集まってきているのは天守の一族なの
だろう。
 この様子なら総勢三百人程度になるのだろうか。小さな村とほぼ等しい人口だ。
 見慣れぬ顔の洋に、しかし誰も特に気にするでなく、すれ違いざまにぺこりと頭を下げ
ていく。
 慌てて洋も礼をすると、その後から「ぷっ」と小さな笑い声がこぼれてきた。
「あはは。洋くん、貴方は礼を返す必要なんてないのよ」
 振り返ると綾音が口元を抑えながら、くすくすと笑っている。昨日と同じ巫女姿だけに、
あるいは平安時代に戻ったかのような感覚に囚われる。
「礼をしているのは貴方に対してではなくて、この舞台に対して、つまり神様に対してだ
もの」
「あ、ああ。そうなのか」
 ぽりぽりとこめかみを掻きながら、洋はやや顔を逸らす。
 何かおかしいとは思ったんだけどな、と内心考えながら。
「まぁ、貴方らしいけどね。ん、そんな訳で私もいくわ。いちおう晴れ舞台だし、しっか
り見ておいてね」
 綾音は言うだけ言うと、軽く手を振って舞台へと歩いていく。どうやらそれだけ言いた
かったらしい。
「やれやれだな」
 洋は呟くと、そして舞台へと意識を戻した。
 気が付くとさらに人が集まっている。そろそろ始まるのかもしれない。
 遠目から眺めていると、舞台近くの席に冴人の姿も見える。また右手の方には、先日襲
いかかってきたあの娘、咲穂や十六夜の姿も見えた。
「あいつらも来ているんだな。そうするとこれが守の民全体、か」
 天守と地守を総称して守の民と呼ぶ。しかしそれでも三百人程度しか見受けられない。
「少ないな」
 ふと思う。
 しかしこの少ない二つの里の人間によって、平和は保たれてきたのだ。知らないところ
で、知らないときに。
 なんだか胸がきゅっと締め付けられた。
 今、洋はこうして守の民の一員としてここにいる。しかし洋は何も知らない。彼等の使
命も、その重みも。
 ただ、たった一つの約束を守る為だけに請け負った役目なのだから。
「そろそろ始まるか」
 ざわめきが静まりだしていた。誰もが感じ取っているのだろう。緊張の伝わる雰囲気を。
 空気が凍るような。そんな気すらしていた。
 そして舞台の上に、彼女達は現れた。
 先程みた巫女姿の結愛と綾音が舞台の中央へと進んでいく。それから数名の楽器を手に
した烏帽子が被った男性が左右に現れる。
 しんと空気は完全に静まりかえっていた。誰も物音一つたてようとはしない。
 笛の音が流れ始める。澄んだ音は、かろやかに響く。時折、小太鼓を鳴らす音も聞こえ
る。
 だけど何よりも目を引いたのは、やはり二人の踊り手だった。
 結愛が袖をなびかせるようにして、腕を振るう。かと思うと、綾音がそれに合わせるよ
うにしてゆっくりと回る。
 綺麗だ。洋にはそれ以上の感想は何も思いつかない。いつもの結愛や綾音からは全く想
像も出来ない、落ち着いた静寂の中にある時間。指先まで神経が行き届いた、洗練された
動き。
 まるでそこだけが世界が変わったかのように思えた。時間が止まったような感覚。だけ
どそれでも流れていく舞い。
 見る者を釘付けにしていた。そこにどんな感情が含まれていたとしても。
 不意に二人はそっと伏せるようにして座る。見ようによっては誰かに対して深く礼をし
ているようにも見える。
 その瞬間。急に笛の音が変わった。
 激しく、何かと争うような音。先程までの静寂が一気に打ち破られる。
 それから結愛だけが立ち上がった。いつの間にか小さな短刀を手にしていた。
 かと思うと、伏せている綾音めざして短刀を振るう!
 しかし綾音もさっと身を翻し、振るわれた刀を避ける。同時にやはり手にしていた短刀
で結愛めがけて斬りつけていた。
 もちろんそれが舞踊の一部である事は分かっている。しかし、あまりにも鬼気迫る動き
に一瞬、まるで二人が本当に争っているようにすら思えた。
 幾度か短刀同士を打ち付け合う。その都度、二人の衣装がひらひらと舞った。
 これが剣舞という奴なのだろうか。洋には良くわからないが、とても美しく、そしてど
こか悲しいと思った。
 いよいよクライマックスなのか、いっそう動きが激しくなっていく。あまりの動きに、
それが舞だと言う事も忘れて二人の身を案じそうになる。
 だけど、次の瞬間。大きく短刀を二人とも振り上げて、そして。ゆっくりとその剣をお
互いへと突き刺そうと、ぐっと力を入れる。
 その、瞬間だった。
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