僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (04)
「結愛いちごう。帰りましたーっ」
 玄関を開けるなり、結愛は大きく呟く。もちろん誰からも返事がある訳はない。この部
屋は結愛一人の住まいに過ぎないし、他には誰もいないのだから。
 結愛はこの隠れ里で一人で暮らしている。結愛に家族はいないのだから。父も母も幼い
頃に亡くしていた。それ以来、結愛は一人でここに住んでいる。
 洋と別れてから、実に半日以上の時間が過ぎていた。途中、あちこちに寄り道して帰っ
てきた為である。
「やっぱり、誰もいないね。ここには」
 結愛は小さく呟くと、玄関の扉を閉めて奥の部屋へと向かう。
 一人で暮らすには大きすぎる家。そして家族との想い出がつまった家だった。
 ここにいると時々、息がつまりそうになる。世界中のどこにも誰もいないのではないか。
そんな感覚に囚われる事すらあった。
「ただいま。お父さん、お母さん」
 部屋の片隅に立てられた両親の写った写真に向けて、そっと頭を下げる。
「今日はね。私、洋さんと会ってきたよ。洋さんの傍にいれてとっても幸せだった。洋さ
んはね、洋さんはね、すぐ怒鳴るけど優しい人です。私、やっぱりちょっと人と外れてい
るから、いっつも首傾げてばかりいるけど、洋さん、呆れていないかな」
 写真の前でゆっくりと語り出す。いつもの元気の良い口調とは違う、落ち着いた、だけ
どどこか寂しげな声で。
「洋さん、ときどき無視するけど。しかとするけど。それがちょっと私は悔しいんだけど、
でも、一緒にいると笑っていられるよ」
 淡々と。ただ静かに話し続ける。
「私、これからも笑っていられるかな。元気でいられるかな。がんばっていられるかな」
 結愛は写真から目を逸らさずに、じっと見つめ続けていた。だけど写真は何も語らない。
優しく微笑んだ二人の姿があるだけ。
 やや色あせた、時を感じさせる写真。だけど汚れは全くなくて、埃一つつもってはいな
い。
「がんばって、いられるかな」
 もう一度、同じ台詞を呟く。
 写真は何も語らないけれど、そっと浮かんでいる笑顔に、結愛は大きく「うん」と頷く。
「大丈夫だよね。私、まだがんばれるよね。負けないでいられるよね。
 一人じゃないから。私は、一人じゃないからがんばれる。うん、大丈夫」
 少しずつ言葉に力を込めて、「ふぁいと、おーっ」と大きく気合をいれる。
 そしてくるりと振り返った。
 もう結愛の顔にはどこにも翳りはない。にこやかに微笑んだ、いつもの結愛がそこにい
るだけ。
「よーっし。ひさびさに帰ってきたしっ。今日はお掃除がんばるぞーっ」
 大きく叫ぶと、ホウキとハタキをそれぞれ片手に持つ。
 もう日もすっかり暮れてはいるのだが、結愛はばたばたと動き出した。
 じっとしていられなかったから。
 その時。ちりんちりんと、鐘の音が鳴る。これは来客を知らせるものだ。
「ふぇ。誰だろう」
 結愛はホウキとハタキを手にしたまま玄関へと向かう。
 普段この家への来客はさほど多くない。結愛以外は誰も住んでいなかったのだから当然
ではあるが。
「はいはいはーい、誰ですか?」
 大きく声を上げて玄関の扉を開ける。
「ふぇ、冴人くん? どうしたの、こんな時間に」
 目の前に立っていた冴人に、結愛は首を傾げる。彼がこの家を訪ねる事自体は珍しくも
ないが、この時間に来る事は滅多にない。
 そもそも彼が一人でここに来る事自体が珍しい事だった。だいたいは綾音と共に訪れる
のが常だ。
「今日は綾ちんは? 冴人くん、一人?」
 首を傾げたまま冴人をじっと見つめると、そのままゆっくり身体を倒していく。
「綾音さんはいません。僕だけです」
 冴人は静かな声でゆっくりと告げる。軽く眼鏡の位置を直すと、軽く息を吐き出す。
「お話したい事があります。しばらく時間をいただけますか?」
 冴人の声は、どこまでも真剣なものだった。だけどその中にややいらつきが隠されてい
るようにも思える。
「うん、いいよ。うんと、玄関で立ち話もなんだから、とりあえずあがって」
 ホウキとハタキをもったまま、どうぞーと家の中へと招き入れる。
 その様子に冴人は僅かに苦笑を漏らしたが、しかし結愛はそれには気が付かなかった。


「さてと、そろそろ頃合いかね」
 十六夜はそっと呟くと、静かに印を切り始める。
 召還術。術によって生き物を呼び寄せる術。現実のどこかから。あるいは地の底に住む
鬼を。
「まぁ、小鬼(しょうき)で十分だろうな。二匹、いや一匹で事足りるか」
 十六夜は力強く呪文を唱える。
「地より生まれしもの。黄昏に住まいしもの。きたれ、我が元に!」
 高らかに上げられた声に、かっと光が放たれる。
 そしてその光の中心に、明らかに人に有らざるもの。異容。そうとしか言いようのない
小さな生物。
 尖った耳、つり上がった目端。黒茶の肌はエナメルのような鈍い輝きを放っていた。
 しかしその生き物――小鬼は、口元から鋭い歯を覗かせてにやりと笑った。
「来たか。それでは命じる」
 十六夜の言葉に、小鬼はこくりと頷く。十六夜は小鬼を完全に操っていた。
 召還術はこのように生物を呼び出す事が出来る。それは比較的難しい術ではない。
 問題は呼び出した生物を自分の意志で操る事が出来るかどうかだ。
 しかし十六夜は完全に呼び出した小鬼を操りきっていた。それだけでも十六夜の術士と
しての力の程が分かるというものだ。
 しかも十六夜はまだ大きく余力を残していた。恐らく小鬼程度であれば、軽く十数匹は
呼び出せるであろう力だ。
 ただ十六夜は、そのような大量の鬼を呼び出した事は無かった。召還術で鬼を呼び出す
事は禁忌に触れるからだ。
 守の民、特に地守は鬼と戦う一族である。その守の民が鬼を呼び出す等という事は、決
して許される事ではなかった。
 もっとも鬼を知らざる者は鬼と闘えない。その為に術そのものは術を使える者は全て覚
え、そして一度は自らが呼び出した鬼と戦う試練をも受ける。しかしこれは決して利用し
てはならない力なのだ。
 しかし今、十六夜はその禁忌を平然と破っていた。まるで日常に行う作業のように。
「さて、これで布石は全て打った。後は鬼が出るか蛇が出るか。おっと、すでに鬼は出て
いるだったかね」
 一人呟くと、煙草をくわえマッチで火をつける。大きく吸い込むと、思いっきり煙を吐
き出した。
「人の心の中には鬼が住む。たとえ天守と言えどね」
 ただ泰然とした声を漏らした。


「えっと、xが3の時yの二乗が6でそれを微分した時の値を……って、わかるか、んな
もんっ」
 数学の宿題を前に、洋は大きく声を上げる。
 洋はどうも数学が苦手だった。決して嫌いではないのだが、細かい作業が苦手なのだ。
 洞察力や構成力には長けていた為、成績としてはさほど悪くもないのだが、すぐに投げ
だしたくなってしまう。
「ふぅ。やめやめ。一休みするか」
 筆記用具を置いて、買い置きしておいたコーラでも飲もうと台所へと向かう。
 冷蔵庫の扉を開けて、キンと冷えたペットボトルのコーラをがぶ飲みする。
「ふぅ、生き返る……って、オヤジか俺は」
 一人ぼけつっこみしながら、誰も返答がない事に寂しく思う。
 ここ数日の間、結愛が入り浸っていたのでいないとなると妙に寂しい気もする。今まで
はそれが当たり前だったのに。
 まだ知り合って、そう長い年月が経った訳ではない。いや、正確には知り合ってからな
らずいぶんと時間がたっているのだが、再会してからはやっと一月ほどが経過したところ
だった。
 幼い頃のたった一日だけの出会い。忘れていた。いや、忘れさせられていた想い出。
 だけど二人の心の中に、はっきりと残っていた記憶。
 あの時交わした約束。それを守る為に、結愛は洋の前に現れたのだから。
 結愛はちょっと、いやだいぶん変わった女の子だったが、でも傍にいて悪い気はしなかっ
た。時々、疲れる時もあるけども。
「いればいたでうるさい奴だけど、いないとなるとそれはそれで寂しい気もするな」
 ま、静かでいいけど。と、続けて、洋はペットボトルを冷蔵庫にしまう。
 その、瞬間だった。
 振り向きもせずに身体をひねる!
 キィィィィ!! 甲高い金属音が走る!
 冷蔵庫の表面に鋭い爪痕が残っていた。
「なんだっ。何が!?」
 距離を開けながら、慌てて振り返る。
 背中に強烈な殺気を感じて、思わず身体が反応していた。長年続けてきた空手と先の戦
いによって身につけた勘だった。
「キキィ!!」
 振り返った先で、小鬼が声を漏らしている。不敵な笑みを浮かべ、その爪と牙を剥きだ
しにしていた。
「ぷちおに!? いや、ちがうっ。小鬼か」
 叫んでしまってから思わず修正する。
 結愛は小鬼の事を「ぷちおに」と呼ぶ。その為、思わずそう呼んでしまったのだ。
 ちなみに結愛によるとぷちおには倒すと一点らしいが、点数を集めると何かがあるのか
どうかはよくわからない。
「なんでこんなところに?」
 洋は小鬼を睨み付ける。
 この家に小鬼が現れるのは始めての事ではない。しかし、そこには敵の存在があった。
そもそも結愛が現れたのも、その敵を倒す為でもあったのだ。
 だが今は全く心当たりがなかった。小鬼は自然発生するものではない。誰かが使役しな
い限り現れないものだ。
 とは言っても洋はさほど慌ててはいない。今は洋も只の高校生ではない。彼にも術を使
う事は出来るのだ。
 洋が使える術は、数ある術の中でも基礎中の基礎となる現(うつつ)の術。それだけで
ある。
 通常であれば、その術だけでは敵を倒す事は出来ない。多大なに魔力を消費してしまう
からだ。従って普通はさらに高度な術を使う事により、魔力の消費を抑える。術力の消費
は激しくなるが、魔力は使わずに済むからだ。
 しかし洋にはその術力が無かった。その為、もっとも簡単な術である現の術以外は使う
事が出来ないのである。
 それでも洋が余裕を持っていられるのは、洋には他の誰にも負けない莫大な魔力がある
からだ。
 普通なら消費が激しすぎて使えない現の術でも敵を倒す事は出来る。そしてその消費を
補えるだけの魔力が洋にはある。
「何にしてもほっておく訳にはいかないな」
 洋はその手に力を込める。
 瞬間、ぽぅっと手から淡い光が放たれていた。この光が魔力の輝きである。
「キキィ!?」
 小鬼が大きく叫びを上げていた。洋の術に反応したのだ。
「悪いな。俺もまだ死にたくないし、消えてもらう」
 洋は抑揚のない声で呟く。
 その瞬間、小鬼は逃げようとして背中を向ける。
 だが! 洋の拳はそれよりも早く小鬼を捕らえていた!
「キィィィィ!!」
 鬼は大きく叫びを上げて、そしてじゅうと嫌な音を立てて消えていく。
「……慣れないな。この感覚は」
 もはや跡形もない鬼のいた場所をみつめて、洋はそっと呟いていた。出来ればあまり慣
れたくもなかったが。
 鬼を倒す感覚。
 生き物を、殺す感覚。
 これが式神であれば、追い返すだけの事だ。しかし召還術で呼び出された鬼は、その命
を奪う事になる。
 鬼が人を襲う存在だと言えど、出来れば倒したくない。慣れたくない。
 だけど洋は死にたくもなかった。
 生きる為に殺す。それは恐らく正しい。それも普通の生物ではない。相手は化け物であ
る。
 それでも何かを失ってしまいそうな感覚に、洋はいつまで経っても慣れる事が無かった。
力を振るう度に、強烈な違和感を感じる。
 始めて術を覚えたのは、結愛を助ける為。だけどその目的を果たした今。どうして術を
使わなければならないのか。その意義をどうしても見いだせなかった。
 でももう戻れない。洋は、少しずつ只人では無くなってきていたから。
 日常は少しずつ壊れだしていたから。
 しかしそれでも洋は失いたくはなかった。この環境を。
「それにしてもなんで俺の所に鬼が?」
 もはや跡形もない鬼の居た場所を見つめて、思考を巡らせた。
 また何か事件が起こっているのだろうか。
「教えてあげようか?」

 不意に声は響いた。
 どこかで聴いた事のある声。
 ふと振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
「あんたも夕方の。確か十六夜とかいったか」
 洋は十六夜の姿を認めると、ゆっくりと言葉を返す。
「お、覚えてくれたかね。嬉しいね」
 煙草をくわえたまま、ゆっくりと十六夜は答えていた。
 やや挑戦的にも見える瞳で洋を見つめると、どかっと音を立てて椅子に腰掛ける。
「鬼の発生条件っていうのを知ってるかい?」
 十六夜はそう告げると、煙草の煙を吐き出して輪っかを作って見せる。
「鬼の……発生条件?」
 洋は思わず訊ね返していた。
 洋の知っている鬼が現れる方法は、式神として使役するか、あるいは召還術で呼び出す
かだ。それ以外の方法は知らない。
「鬼は呼び出すだけでなく、自然に現れる事もある」
 十六夜は淡々と告げると、じっと洋を見つめていた。
 出会った時は飄々としていた彼の、しかし今はどこか真剣な眼差しに洋は思わずごくり
と息を飲み込む。
「地と天が乱れている時。そのバランスが壊れた時に、鬼は現れる。鬼が地の底から出て
これないのは守の民による結界があるからだ。しかしそれが壊れた時、鬼が現れる事もあ
る」
「それって?!」
「つまり天地のバランスが崩れつつあるという事だ。たぶんあんたの所に鬼が現れたのは、
もっとも襲いやすい場所にいるからだろ。鬼は守の民に引き寄せられるからな」
 確かに鬼には力あるものに引き寄せられる習性があった。それは力あるものを喰らう事
で力を増すからだとも、力同士が引き合うのだとも言われている。
 その中でも特に守の民の回りに現れる確率は高い。守の民が鬼と敵対しているからか、
それとも違う理由なのかは未だに分かってはいないのだが。
「俺は守の民でも天守でもないぞ」
 洋はゆっくりと告げる。
「天守じゃない? 何をいまさら。あんたは智添なんだろ?」
 十六夜は怪訝な目で洋を睨むように見つめると、煙草の煙を思いっきり吐き出す。
「俺はたまたま結愛の奴に巻き込まれただけだ。ただの高校生なんだ」
「ふぅん。ま、こんなところで生活してるからには守の民では無かったのかもしれないけ
どね。でも、今のあんたはもう天守の一族さね」
 十六夜の言葉に、洋は大きく目を見開いた。思ってもいない言葉だった。
「少なくとも俺っちや、他から見ればね」
 十六夜ははっきりと言い放つと、どこか挑むような瞳で洋を見つめている。
「ま、それはそれとして。鬼があんたんところに現れるという事は、天と地のバランスが
崩れてるって言う事だ。
 今は小鬼程度だがね。このままだとそのうち大鬼、あるいは羅刹、馬頭といった鬼神す
ら現れる事もあり得るってことよ」
 十六夜はそう言い放つと、すっと立ち上がる。
「あんたも今は天守の一族だ。伝えてもらおうか。天と地の天秤を正せとね」
 十六夜はふふんと鼻を鳴らすと、呪文を唱え始める。
「巽(そん)!」
 風を意味する八卦(はっか)を呼び出す。旋毛を巻いた風が、十六夜を包み込み、そし
てその瞬間、姿を消していた。
 あとには一人、洋だけが残される。
「俺は、もう普通じゃいられないのか?」
 ただ寂しげに呟いた。
 誰も答えはしなかったけども。
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