僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (03)
「綾音、結愛。これにて両名を正式に天守に任命する」
 守の民の長老である鷺鳴(さぎなり)の声が響く。
『はい』
 厳粛な、しんと静まりかえった雰囲気の中、結愛と綾音の二人が神妙に返事をする。
 いつもならうるさいくらいの結愛ではあったが、それでも今日は静かにしている。やや
むずがゆそうな表情はしていたものの。
「いまさら言うまでもないが、天守はその名の通り天を守る事をその役目としている」
 鷺鳴は低く、しかし年齢の割にはっきりと通る声で静かに告げる。その声には、長い年
月を生きたものだけが持つ明かな威厳があった。
「天。つまりこの世界の事だ。この世界の秩序を守る事。それが私達の役目だ」
 鷺鳴の声に、結愛がごくりと唾を飲み込む。当然知ってはいる事ではあるが、こうして
告げられるとより覚悟が増してくる。
「私達には力がある。術あるいは魔という力だ。しかしその力はあるいは天を返す力でも
ある。私達は守らねばならん。力を持つのは我々だけではない。その力を使えば、天は地
とつながる。世界に鬼が溢れる」
 鷺鳴の言葉に、再び静寂が訪れる。
「つまり地からぷちおにとか、でかおにとか一杯呼び出したりして、そりゃもう世界は阿
鼻狂乱って訳ですねっ」
 結愛が大きく告げる。本人は至って真剣であるが、はっきりいって場にそぐわない。
 しかしその瞬間、綾音は閉じていた目をうっすらと開けて訂正する。
「それを言うなら阿鼻叫喚でしょ?」
「お前等の……」
 呆れた声で鷺鳴は溜息をついた。
 どうやら綾音は寝ていたらしいし、聴いている結愛はどこかとんちんかんな答えしか返
さない。思わず溜息をつこうものである。
「まぁ良い。天守の役目は天を守る事、力を悪用するものを捕らえる事だ。わかるな?」
 簡潔に言い直す。
 二人はこくりと頷いていた。
「よろしい」
 鷺鳴は静かに声を漏らす。
「それではもう一つ。お主等も知っての通り、守の民は我々天守の一族だけではない。地
守。より地に近い場所で守(も)る者達がおる」
 鷺鳴の言葉が急に鋭さを増した。
 それもそのはずだろう。地守について語ろうというのだから。
 地守は天守と同じ守の民である。しかしその立場は天守とは大きく違った。
「地守は、地の番人だと言えよう。私達が天を守(も)る為に力を尽くすとすれば、地守
は地より守(も)る為に存在する。
 地は天と同じく世界でもあるが、その底に位置するもの。鬼の住む世界を表す。
 天守が闘うべき相手は天を脅かそうとするもの。それは所詮は人に過ぎぬ。
 だが地守は地より出でしもの。鬼そのものと闘わねばならぬ」
 鷺鳴の言葉は、今までより格段に冷たさを増していた。
 天守の役目は、鬼や魔物を使役し世界を乱そうとする者より守る事。だが所詮、人が操
る事が出来る鬼には限度がある。どんなに力があろうと抑える事は出来る。
 だが地守の役目は。時折、自力ではい出してくる鬼を倒す事であった。
 地の底から呼ばれるでもなくやってくる鬼。それは多大な力を持っていると言う事。す
なわち地守が闘う時には、必ずといって良いほど多くの犠牲者を出すと言う事でもあった。
 それでも地守が闘う事はさほど多くはない。そこまでの力がある鬼など滅多に現れるも
のではない。
 およそ百年に一度。それが地守の闘う頻度ではある。
 だから、地守にはもう一つの役割があった。天守も含めた守の民全体の糧を得る事。地
を良く知る彼等だからこそ、農耕にも適していた。
 それは長い間うまくいっていたのだ。闘う事の多い天守と、それを支える地守。その役
割分担は。
「だがここのところ我ら天守の一族と、地守の一族の関係は悪化しておる。
 地守の不作が続いている事もある。――我らに死傷者が多く出ている事もある。
 しかし我らは彼等と共に有らねばならぬ。決して諍いを起こすでないぞ」
 鷺鳴の言葉に、二人は再びゆっくりと頷く。さすがに結愛も綾音も軽口を叩けなかった。
 それだけ地守との関係は一触即発の状態にあるからだ。本来、手を取り合うべき守の民
同士であるにも関わらず。
 この新たな天守の任命。これが諍いの種にならねばいい。鷺鳴は内心、そう願っていた。
 新しい天守が任命された時には、祝いを差し出すのが通例である。実際すでに多くの祝
いの品が届いていた。
 だがそれがどれだけの無理を強いているのかは、鷺鳴にも分かっている。
 地守の一族の中には強い不満を持つものも多くあるだろう。
 これが原因で争いが起きねばいいが。
 もう一度、そう願っていた。


「と、いう訳ね」
 綾音は淡々と語る。にこやかに微笑んでいるその表情からは、今ひとつ感情が読みとれ
ない。
「なんかわかったような、わからないような」
 洋はぽりぽりと頭を掻きながら、曖昧な返事を返す。
 ただ地守と天守とが複雑な関係にあるという事だけは理解できた。
「ま、それでいいわよ。別に貴方は守の民じゃないし。ただ地守とこれ以上何も無ければ
それでいいの」
 綾音は淡々と告げると、それから一瞬、にこりと微笑む。
「それにしても、このお茶。出がらしね。あんまり味でてないわよ」
 お茶を啜りながら、ぶつくさと小声で告げる。
「勝手に人んちのお茶のんどいて文句つけるか、あんたは」
 呆れながらも洋は素直にきゅうすのお茶っ葉を取り返す。
 新しい茶葉で入れ直すと、綾音の湯飲みにお茶を注ぐ。
「これでいいか?」
 洋の言葉に、綾音はもう一度お茶をすすり。
「ぬるいわね」
 笑いながら告げていた。


「くそ。なんとか変えられないものか!?」
 咲穂はあからさまに苛ついた声を上げる。自分の部屋の中で、うろうろと右往左往して
いるが、何も良い知恵は浮かばない。
「ま、咲穂ちゃん。そう焦ってもいい事ないよ。のんびりいこうじゃないの」

 十六夜は壁に背をもたれかかったまま、煙草を吹かしていた。
「十六夜! この部屋は禁煙だと何度言えばわかる!」
 咲穂は怒鳴りつけるように言うと、きっと強い視線を十六夜へと向けた。
 その様子に十六夜は「はいはい」と答えながら煙草の火を消す。
「で、咲穂ちゃんが変えたい状況っていうのは? 天守のうちらに対する意識? それと
も地守の置かれた状況?」
 十六夜はさほど興味もなさそうに呟くと、じっと咲穂を見つめていた。ただその瞳はど
こか何もかも見透かされているような気がして、咲穂は一瞬、声を失う。
「両方だ。だけど、俺達が置かれている状況――この食糧不足を俺一人でどうとかしよう
とは考えていない。だから、せめて天守達の意識を変えてやりたい」
 苦々しい口調で、しかしはっきりと答える。
 せめて天守達に収めた祝い。あれだけでも取り返す事が出来れば、苦しくとも食べてい
けるはずだ。咲穂はそう思っていた。
 今のところ餓死者が出るには至っていない。しかし食糧が行き渡っているとは決して言
えない。
 育ち盛りの子供達が、いつも物欲しそうな顔をして大人を見つめている。そんな状況を
少しでもいいから変えたかった。
 華やかな天守に対して、地守の方が環境が悪いのは理由がある。
 地守はその立場上、外界との接触は少ないし一般には禁じられている。その為、生活は
ほぼ里の中だけで行われ、生活も自給自足での生活となっていた。
 それに対して天守は外界と接触する事が多い。従って外で暮らす為の資金等も必要となっ
た。
 その為、天守の一族は時に外からの仕事を請け負う事があった。呪術に対しての備え。
防護。そう言った仕事での収入を得ていた。
 また地守の作った作物の三分の一程度は、天守へと納められる。その分、天守は地守へ
と外界で仕入れてきた道具等と交換するのだが、その条件は地守の方が厳しく思える。
 かつてはそれでも対等だと言えた。さほど生活水準に違いはなかった。だが今は違う。
 便利な道具が。あるいは食糧が。些細な金銭で買う事が出来る。
 しかし地守には収入はない。里の中だけで生活が完結しているのだから、それも当然と
言えた。
 一方、天守には大きな収入がある。呪術に対する防護。今の世に、それを可能とする者
は少ない。その為に企業や政府が、ひそかに彼等を頼っているのだから。
 だから地守は一度、農作が不作となればそれだけで生活に苦しんだ。天守がほぼ安定し
た生活を営んでいるのに比べて。
 しかしせめて天守の意識が変われば、この状況が少しは変わるのではないかと。咲穂は
そう思っていた。
「ま。それなら多少は考えが無くもないよ」
 ふと十六夜が小さな声で呟く。
「本当か!?」
 咲穂は思わず身を乗り出していた。少しでも何か方法があるのなら、躊躇するつもりも
ない。
「んー。ま、俺っちに任せてみな」
 十六夜は淡々と告げると、その口元に小さく笑みを浮かべていた。


「まずい事になりましたね」
 冴人は眉を寄せながら淡々と告げる。いつも冷静な彼にしては珍しく、やや動揺してい
る様子すら伺えた。自身の部屋の中、視線を彷徨わせる。
「そうね。まぁ、でも何とかなるんじゃないかな?」
 綾音は軽やかに言い放つと、にこりと微笑んでみせる。彼女の方はこの事態にも全く動
じていないようで、むしろ状況を楽しんでいるようにも見えた。
「相変わらずですね、貴方は。それはこの里でもっとも力ある貴方だからこその台詞です
か?」
 呆れるような、しかしどこか挑むような口調で告げると、片手で眼鏡の位置を直す。
 現存する天守の中でもっとも強い力を持っている綾音。天才と称しても過言ではないだ
ろう。彼女ならこの事態でも軽く乗り越えられるのかもしれない。
 しかし綾音は何も答えない。ただにこやかに微笑んだまま、すっと立ち上がる。
「私達の出番も近いかもしれないわ。場合によっては戦う事になるかもしれない」
 綾音はその顔から微笑みを消し、そしてはっきりとした視線を冴人へと向ける。
「そうならない事を祈りたいですね。天守の。いや守の民始まって以来、そんな事態に陥っ
た事はないのですから」
 冴人は淡々と告げると、窓の外へと顔を向けた。
 部屋の外には明るい日差しが舞い、穏やかな風が吹く。その下で、子供達がはしゃぐ姿
も見えた。
 平和なこの天守の里。人は誰も知らないはずの隠し里。
 この里が、戦いの舞台になるかもしれないなどは想像もしたくは無かった。
「ま、そんな訳だから。彼にも伝えておいたから。洋くんだっけね」
 綾音は淡々と告げる。
 その言葉に冴人は振り返り、わずかに眉を寄せた。もっとも窓の外へと顔を向けていた
ので、綾音には見えなかったが。
「なぜ彼に? 彼は只人(ただびと)に過ぎません。関係がないでしょう」
 冴人はあからさまに表情を歪めながら、綾音へと振り返る。
「関係なくはないわよ。彼は結愛の智添なんだから。これからいくらでも関係していくわ。
だって彼は端からみれば天守の一族にしか見えないのよ。私達がどう思おうと」
 しかし綾音はその言葉をはっきりと否定する。
 冴人は思わず声を失っていた。確かに綾音の言うとおりだった。
 洋は天守の一族からみれば、例外中の例外に過ぎない。ろくに術も使えない一介の高校
生。只人(天守は一般人をこう呼ぶ)なのだ。結愛の事情によって、たまたま彼は智添に
選ばれただけの話だ。
 しかし彼が結愛の智添である以上、部外者から見れば彼は天守の一族なのだ。たとえ力
がなかろうと、たとえ何も知らないとしても。
「まぁ、私も出来れば巻き込みたくはないわ。私達の問題だもの。でも、そういう訳には
いかない。相手は選ばないわ。彼が何者であろうと。そして一番、狙われやすいのも彼。
いま隠し里にいない天守は、彼と結愛だけだから」
 綾音の言葉は有無を言わせない迫力があった。
 そして実際、冴人も何も言えなかった。
 例え彼がどう思っていようと、事態を動き出しているのだから。
「結愛さんに伝えなくてはなりませんね」
 冴人はゆっくりと呟いた。
 微かに。ほんとうに微かにだけ、寂しげな瞳を見せた。
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