僕まほ2「昨日の夢を見つけたら」 (01)
「どういう事だよっ」
 咲穂(さきほ)は声を荒げて詰め寄っていた。女性らしく整った顔が、しかし今ははっ
きりと歪んでいる。
「しかたない。新たなる天守(てんもり)が選出されたのだから。うちから祝いを出さぬ
訳にもいかぬ」
 長老は痛々しげな声で、ちらりと咲穂に視線を送る。
 しかし咲穂は納得がいかないのか、だんっと大きな音を立てて机へ拳を叩きつける。
「納得できる訳ないだろっ。俺達、守の民(もりのたみ)、いや地守(ちもり)の一族が
どれだけ苦労してあれを作ったと思っているんだっ。それでも今年は不作が続いて蓄えが
足りない。それなのに」
 咲穂は長老に詰め寄るが、しかし長老は全く気にしようとしない。
「咲穂。お主はまだ地守でも、ましてや長老部でもない。お主にはそのような談判をする
権利はない」
 突如、強く告げた長老の言葉に咲穂はくっと言葉に詰まる。
 確かに一介の地守候補生に過ぎない咲穂には長老部の、それも長に進言する権利はない。
例え咲穂が直系の孫だとしても。
 しかしそれでも言わずにはいられなかった。実際に現場で働く皆を知ってる咲穂にとっ
てみれば、とても耐えられる事ではなかった。
 今年の不作はかなり厳しい。地守の一族だけで食べていくのも精一杯だ。
 しかしそれでも地守は、天守の一族に収穫した農作物を差し出さなくてはならない。
 平常なら咲穂も、これは有る程度は仕方ない。役割分担というものもある。そう納得で
きただろう。
 だがこの状況で、さらに祝いを差し出すというのは信じられなかった。例えそれが神に
納める為のものだとしても。
「俺は認めない! 天守ばかり優遇されて俺達はいつも陰にいるばかり。地守だって同じ
ように闘っているのに!」
 咲穂は再び机を叩くと、さっときびすを返して長老の部屋を後にする。
 後ろから長老が何か声をかけてきていたが、咲穂の耳には入っていなかった。
 咲穂は長いその髪がなびくほどの早足ですたすたと廊下を歩いていく。
「絶対に。絶対に許さない。子供達だって満足に食事がとれない状況が続いているという
のに」
 だんっと自分の部屋の扉を叩く。
「天守と地守。その役目は何も変わらないはずだっ。なのにどうして俺達だけがこんな目
にあわなきゃいけない」
 扉に手を打ち付けたまま、咲穂は顔を俯ける。その瞳に涙をうっすらと浮かべながら。
「許さない……絶対に」
 微かな声で、呟いた。

「それで、どうするの? 咲穂ちゃんよ」
 十六夜(いざよい)は、だらけた口調で言うと煙草を吹かして肩肘をついている。
 よれたシャツが、ただでさえある咲穂との年の差を増して感じさせる。まだ十七歳の咲
穂と比べると、完全に中年おやじにしかみえない。
 実際、十六夜はまだ三十前であり、さほどの歳ではないのだが、いかにも若々しい咲穂
と並ぶと際だって見えた。
「顔を見に行くに決まってるっ」
 しかし咲穂はそんなことにはおかまいなしに、声を荒げながら告げる。
 長さ三尺七寸――約一メートル――にも及ぶ刀を背負い、すくっと立ち上がる。
「ま、あんたがそう言うなら俺っちは止めやしないけどねぇ」
 十六夜は煙草の煙で輪っかをつくりながら、ぼーっとした顔で咲穂を見つめている。
 あまりやる気は感じられない。どこか疲れたような表情を見せたままだ。
「んでも、物干し竿まで持っていく事はないんじゃねーかい?」
 咲穂の背にした長刃の刀へとちらりと視線を移す。物干し竿とはこの刀の異名だ。江戸
時代の剣豪、佐々木小次郎の持っていたという剣にちなんでつけられていた。
「何があるかわからないだろっ。……新しい天守はなぜか外界にいるとの事だし」
 言ってから一瞬、不安になって声のトーンを落とす。実は咲穂はこの地守の隠れ里から
一度も出たことがない。
 同じ年頃の女の子達はけっこう内緒で街へと繰り出していたりするみたいだが、根がき
まじめな彼女は外に出ようと思った事がないのだ。それだけに外に出る事への不安も強い。
「十六夜。お前も来い。仮にもお前は俺の力添(りきぞえ)だろ」
 自分の不安を隠すように告げると、十六夜の返事も聞かずにすたすたと歩き出す。
「へいへい。うちのお嬢様は相変わらずですな」
 一人呟くと、煙草の火を消してだるそうに咲穂を追いかける。
 これが事件の始まりだった。


「洋(ひろし)さん洋さん洋さんっ。ご飯っ。ご飯が出来ましたよーっ」
 大きく叫ぶと、ごっはんごはん♪と謎の歌を口ずさみながら、結愛(ゆあ)はお盆をもっ
て食卓へと向かう。
 綺麗に皿を並べると、結愛はエプロンを外してとなりの椅子にかけた。
「なぁ。結愛」
 洋は食事の用意された席について、ふぅ、と小さな溜息をつく。
「ふぇ?」
 結愛は思いがけず呼ばれた事に首を傾げると、そのままゆっくりと身体ごと倒していく。
 それ以上、倒したらこけるだろと洋が思った瞬間、ぴたりとそのままの体勢で止まった。
洋は思わず、はぁ、と再び溜息をついた。
「お前、なんでここでご飯作ってるんだ?」
 洋は静かに訊ねていた。
 もっともな疑問である。洋と結愛は兄妹ではない。全く血のつながりもないし、かといっ
て恋人同士でもない。
「ふぇ〜」
 しかし結愛は全く何もわからないと言った様子で、首を傾げていた。
 かと思うと次の瞬間。何か思いついたらしく、ぽんっと目の前で手を合わせて、洋を見
つめる。
「えーっと。洋さんは私の智添(ちぞえ)で、私は洋さんの天守で。智添と天守はいつも
一心同体だから、一蓮托生、一意専心、一寸法師という訳です」
「一寸法師ってなんだよっ。一寸法師って!」
 思わず洋は叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。
「ふぇ〜。知りません? 背の高さが一寸しかない小人さんが針の剣を持って鬼と闘う話
です」
「ああああっ。そうじゃねぇーっ」
 結愛のあくまで真剣な答えに、洋は頭を抱えながら叫ぶ。
 相変わらずまともな会話が成立しない。
 いや会話が出来ない訳ではないのだが、質問には答える事は答えるのだが、その意味ま
で考えた答えが戻ってこないだけの話だ。
 これからこいつとの関係が続くのかと思うと頭が痛い。洋は三度目の溜息をついていた。
 ひょんな事から洋は結愛の智添(ちぞえ)となる事になった。
 天守である結愛を助け、力を貸し知恵を絞る。それが智添の役割である。
 しかし洋は天守の一族――守の民(もりのたみ)ではなかった。一介の男子高校生だっ
たのだ。
 洋には今でも自身が智添であるという意識はない。ただ「結愛」を助けたい、そう願っ
ただけだった。
 しかし。
「一寸法師はどうでもいいっ。なんでお前ここにいるんだよっ。帰れっ、家にっ」
 洋は大きく声を荒げていた。
 洋はこの家に一人で住んでいる。父親は名高い考古学者で滅多にこの家には帰ってこな
い。母親は幼い頃に亡くしていた。
 洋に兄弟はいない。その為、たまにホームヘルパーがやってくる程度で、殆ど洋は一人
で過ごしていた。
 それを良いことに、結愛はこの家に住み着いているのだ。勝手に。
「ふぇ〜。でも洋さん、私の智添だから。私、一緒にいないと」
 結愛はうんうんと一人頷いている。
 言っても無駄だと思い、洋は四度目の溜息をついた。最近、溜息が増えた気がして、俺
は年寄りか? と一瞬思って、もういちど息をつきそうになる。
「いまはオヤジがいないからまだいいけどな。これで帰ってきたら何と言われるやら」
 小声で呟くと、洋は目の前の食事へと目を移した。なんだかんだいっても、せっかく作
られた食事だ。ありがたくいただく事にする。
 何せ一人暮らしで一番困るのが食事だ。自分一人ではレパートリーも限られているし、
結愛の料理は確かに旨い。食べたくなるのは自然な感情だ。
「で、今日はちゃんと味見したんだろうな?」
 箸を付ける前にふと気になって目の前の食事を見渡していた。
 どこにもおかしいところはない。純和風の食事ではあるがとても美味しそうにみえる。
 しかし以前、ソースと醤油を間違って作った事がある結愛だ。見た目だけではわからな
い。
「はいっ。もちろん」
 自信満々に言い放つ結愛。その様子に洋はほっと息を吐き出す。その瞬間。
「してません!」
「しろっ。味見くらい。頼むから!」
 洋は思わず叫んだ後、じっと食事を見つめる羽目になった。
 見た目だけはまともだが、どこにトラップが仕掛けられているか分からない。
 しばらくの間、目の前の食事とにらみ合う事になったのだった。

「それでは結愛いちごう。帰ります!」
 結愛はしゃきっと姿勢を正すと、そう言ってぺこりと頭を下げる。
 どうやら最近はこれがマイブームらしく、時々自分の事をこう呼ぶ。どうやらテレビに
影響されたらしい。
 結愛は今まで殆どテレビを見たことがないとの事だった。結愛の住む里にはテレビがな
いのだという。
 隠し里。結愛は自分の住む里の事をそう呼んだ。地図にも載っていない、誰も知らない
里。天守の一族、守の民だけが住むというその里。結愛はずっとそこで暮らしてきたのだ
という。
 天守の一族。彼等が何をしてどう暮らしているのか、洋は全く何も知らない。結愛に言
わせれば「正義の味方ですっ」との事なのだが、もちろん洋は聞き流している。
 いや、嘘ではないのだろう。結愛は嘘は吐いた事がない。しかしその答えが非常にずれ
ている事は大いにあり得る。
「気をつけて帰れよ」
 結愛をじっと見つめて、静かに声をかける。ふと以前にもこんな事があったな、と思う。
「はいっ。洋さんも。でも、今回は別にぷちおに送り込まれたりしないと思いますから、
大丈夫ですっ。洋さんもまほー使えますし」
 結愛はうんうん、大丈夫。大丈夫。と小さな声で呟いて、バスに乗り込む。
 あの時。始めて洋は小鬼と対峙した。人に有らざるもの。鬼。その前にいかに人が無力
な存在であるかも。
 洋は全く手がでなかった。何もする事が出来なかった。ただ逃げまどうだけで。
 それも無理の無い話だった。洋はただの高校生だったのだから。いくら空手の黒帯であ
ろうと鬼の前には何の役にも立たない。
 そんな風に洋が物思いに老けているうちに、バスは走り出す。慌てて結愛へと軽く手を
振ると、バスの中にいる結愛も手を思いっきり振り返し、そしてこけそうになっているの
が目に入る。
「相変わらずだなぁ、あいつ」
 軽く微笑んで、そして去っていくバスを見つめていた。
 変わらないように思える日々。
 だけど確かに変わっていたのだ。
 洋は、結愛を助ける為に術を身につけた。普通の人には使えないもの。
 今はただ日常が流れている。でも、それがもう壊れようとしている事に、洋は気がつい
ていなかった。
 もう戻れない道へ歩きだした事に。
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