鏡の中に生まれた君へ (04)
 しばらくして、僕は目を覚ました。
 いつの間にか自分の部屋のベッドで眠っている。誰がここに運んでくれたのだろうか。
(優矢、気がついたんだ。痛いでしょ。無理しないで)
 祐未の声が響く。
 そうか、恐らくは気を失った後、祐未が僕の体を動かしてここに連れてきたのだろう。
さすがに意識を失ってしまえば、祐未が表面に出てくるのを防げなかったのだ。
「こんなの大した事ないから」
 僕は呟く。しかしそれが嘘だと言う事は、祐未でなくてもわかっただろう。
 ただ僕はそう言わずにはいられなかった。
(どうして私に変わらなかったの。私なら、少なくともこんな風にはさせなかったのに)
 祐未は僕の強がりには触れず、あの時の問いをもういちど繰り返した。
 理由はごく簡単な事だった。
 ただ告げるべきかどうか、僕は迷う。自分の考えがおかしいだなんてことは、言われな
くてもよくわかっていた。それでも感じてしまったものは変えられない。
 どうする。自分自身に問いかける。
 ぎゅっと目を瞑り、だけどすぐに開いて、僕は祐未の問いへと答え始めた。
「祐未は女の子だから。女の子に危険な真似なんかさせられないよ」
 僕の答えは、祐未にとってはかなり意外なものだったのだろう。少し間を置いて、それ
から訝しげな声で答える。
(女の子だなんていっても、私は優矢の中にいるのよ。そんな事気にすることないじゃな
いっ。それであんな風に殴られて、馬鹿みたいよ)
 激しく告げる祐未の声が、でもいつもよりもどこか静かに聞こえたのは僕の気のせいだ
ろうか。
 あるいはそれは僕が感じた気持ちのせいなのかもしれなかったけれど。
「ああ、僕は馬鹿かもね。でも僕はそれだけは譲れなかったんだ」
 僕はそう言うと、それから大きく息を吸い込んだ。
 そしていつもよりも少しだけだけど、はっきりとした声で告げていた。
「だって、僕は祐未の事が好きだから」
(え。)
 祐未は唐突な僕の台詞に、完全に言葉を失っていた。
 それもそうだろう。伝えるつもりになれば祐未には僕の気持ちは、はっきりと伝わる。
だからこの好きという言葉の意味が、友達に向けるものと異なっている事も伝わっている
だろう。
 祐未は僕の中のもう一つの人格。つまり僕は自分で自分の事を好きだと言っているよう
なものだ。馬鹿な事をしていると思う。
 でも僕には祐未がもう一人の自分だなんて思えなかった。
 祐未はちょっと気は強くてお節介だけれど、優しくてはっきりしていて、そばにいるだ
けで僕を正しい方向に導いてくれる女の子だ。
 そんな祐未を僕は好きになった。
 だから好きな子を傷つけたくなかった。危険にさらしたくなんかなかった。
 だから、僕は祐未に変わらなかった。
(な、何ばかな事いってるの)
 祐未は慌てた声で告げるが、僕の気持ちはそれで変わるものではない。
「馬鹿な事言ってるって、わかってるよ。でも好きなんだ。祐未のおかげで、僕は強くな
れた。これからだって変わっていける。だからずっとずっと一緒にいて欲しい。そう思っ
たんだ」
 僕は思わず声に出して告げると、部屋にある鏡の中を覗き込んだ。
 もちろん映っているのは僕の顔。それが祐未に見えたりはしない。
 でも祐未にもきっと鏡に映った僕の顔は見えているだろう。まっすぐに見つめる僕の瞳
も、祐未にも感じ取れているはずだ。
 祐未はしばらくの間、何も言わなかった。
 僕も無言のままで祐未の答えを待った。
 祐未は僕とは違う。僕のようにこんな倒錯した想いは抱かないだろう。
 祐未は僕の想いをどんな風に感じるのか。嫌われるかもしれない。気持ち悪がられるか
もしれない。けどそれでも答えを聞きたかった。
(優矢は本当に強くなったね)
 祐未は静かな声で呟くと、それからゆっくりともういちど話し始めていた。
(優矢。ありがとう。私も、優矢のこと好きよ)
 祐未はいつもよりもずっと柔らかく落ち着いた、そしてどこか寂しげな声で答えていた。
(でもね。私は優矢とずっと一緒にはいられない)
「どうして!?」
 僕は思わず叫んでいた。
 好きだといってくれた事は嬉しい。気持ち悪がられたり、嫌がられたりしなかった事は
正直ほっとしている。
 だけどそんな気持ちが吹き飛んでしまうほどに、祐未の続けた言葉に驚き、そして怯え
ずにはいられなかった。
 一緒にはいられない。
 普通に考えれば、僕は振られてしまったのだろう。だけど僕と祐未の関係は、当たり前
の男女関係とは違う。
 祐未は僕の中にいるもう一人の人格なのだ。だからつくも離れるもあり得ない話だった。
 祐未が僕の事を嫌いになって、話をしてくれなくなるなんて事態は考えた。だけど一緒
にはいられないなんて答えを聞くだなんて、全く考えても見なかったのに。
 僕は困惑したまま、どうしていいものか分からず黙り込んでいた。しかし祐未は僕の困
惑を知らない訳じゃないだろうけど、ゆっくりと話を続けだす。
(優矢。無くなったタペストリーだけど、あれは塚本達が隠した訳じゃないの)
 祐未の言葉に、僕は余計に頭を混乱させていた。どうして今その話が出てくるのか、ぜ
んぜん理解できなかった。
「じゃあ、誰が」
 思わず祐未に訊ね返す。タペストリーを無くしたから一緒にいられないのだとでも言う
のだろうか。
(誰が隠したのでもないの。優矢、ターンオーバーを行った時に聞いた条件を覚えてる?)
「ああ。覚えてるよ。でも、それが何の」
 関係があるんだと告げようとした僕の声を遮って、祐未はさらに言葉を続ける。
(そう。じゃあよく思い出してみて。占い師が告げたのは時計の針が十二時ちょうどを指
した時、このタペストリーを広げて呪文を唱えなさい。そうすれば五日の間だけ、貴方の
中に新しい人格が生まれる。それがターンオーバー。つまりね、もうすぐ終わりなの。だ
からタペストリーが消えたのよ)
「そん……なっ!?」
 僕は夜中だと言うのに大声で叫んでいた。
 思わず時計を確認してみる。
 十一時五十七分。あと三分で今日が終わる。五日目の夜が終わろうとしていた。
(私と優矢が繋がっていた時間はもうおしまい。だから私はもう一緒にいられないの)
 祐未の声はどこか憂うようで、少しだけ震えていて。でも諦めきった、覚悟したような
口調で。
(でも今日が終わる前に優矢が目を覚ましてくれてよかった。ちゃんと最後に別れの挨拶
も出来るし、それどころか私の事を好きだっていってもらえるなんて。私は幸せだね)
「いやだっ。そんな言葉聞きたくない。終わりだなんて言うなよ。どうして。どうしてだ
よ」
 僕は声を大にして叫び続けていた。両親が起き出してくるかもしれないなんて事も、い
まこの瞬間には完全に忘れていた。
(決まっているから、どうしようもないの。でもね、最後にこれだけ言わせて。私もこう
して優矢とつながったから、隠れていた自分を正直に出す事が出来た。だからとても嬉し
かった。優矢と一緒にいられて楽しかったよ)
 祐未の声はとても暖かくて優しくのに、静かに溶けて消えていこうとしていた。
 少しずつ音が小さくなっていく。まるでろうそくの光が消えていくかのように。
「祐未っ。いやだ。いかないで。祐未がいないと、僕はどうすればいいのかわからないよ。
また元に戻ってしまう。弱くなってしまうよ。消えないで、行かないでよ。お願いだよ。
どこにも行かないで、祐未っ」
 僕はただ声が続く限り泣き叫んだ。
 だけどその願いが叶う事もなく、祐未は今にも消えそうな声で別れを告げるだけだった。
(大丈夫。優矢なら、これからも強くなれるから。もうお別れの時間だね。ばいばい、優
矢。私はもういなくなるけど、優矢はもっと強くならないといけないからね)
「祐未っ、祐未っ」
 僕にはもう彼女の名前を呼ぶことしか出来なかった。
 どうしたら別れが避けられるのか、答えを探そうにも時間がなさすぎて、僕には何も見
つけられなかった。
 十一時五十九分三十秒。
 時計の針がいよいよ終わりを告げようとしている。
(そうだ。最後に)
 祐未が不意に呟く。
 そして僕の身体を少しだけ動かして、鏡の前へと顔を向けていた。
(優矢の顔を見たいから。ねぇ、笑って)
 祐未の言葉に激しく胸が痛んだ。
 笑えない。笑えるはずがない。
 好きになった子が消えてしまうのに。自分の目の前からいなくなってしまうのに。どう
して笑えるんだ。
 僕は思う。
 だけどもう時間はない。
 祐未はすぐに消えてしまう。
 壁に掛けられた時計はちくたくと無情にも針を進めていく。
 あと十秒。九、八、七……。
 終わりを冷静にカウントし始めていた。
 止まれ、止まれよ。止まれ。
 願うけれど、時間は冷静に動き続ける。
 五、四、三……。
 最後の一瞬はすぐそこにある。
 僕はぎゅっと目を瞑り、そして開いた。
(ありがとう、優矢。私も……好きよ)
 祐未の声。
 同時に三つの針が重なって、今日の終わりを告げていた。
 ばいばい……。
 そう聞こえたような気がした。
 だけどもう呼び止めようと届かない。
 祐未が自分の中から消えてしまった事を、言われなくとも理解していた。
 もう祐未はどこにもいない。
「祐未っ!」
 最後に彼女の名前を叫んで、僕はそのまま激しく目を瞑り続けた。
 最後の瞬間、僕は笑えていただろうか。
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