鏡の中に生まれた君へ (03)
 僕の周りは変わり始めた。
 あれから数日が経つ。その頃には伊橋くんが話しかけてくる事も多くなって、それと同
時に彼の友達とも会話する事が増えた。
 高原さんとは会話らしい会話をする事は無かったけれど、挨拶を交わす事が当たり前の
ように変化している。
 たったあれだけの事。
 それでも僕にとっては、ずっと踏み出す事が出来なかった一歩だった。
 僕の中身は何も変わっていない。
 だけど少しずつ溶け込んでいく事も出来そうな、そんな予感すら感じていた。
(ま、少しはマシになったかしらね)
 祐未も多少は認めてくれたのか、軽い口調だけどそれでも楽しそうに呟く。
 祐未は変わらず少しきつくて、僕に対して容赦なく文句を告げるけれど、決してそれは
嫌な気持ちにさせない。
 祐未の言葉はいつも核心をついていて、僕自身改めるべきだと思っていた事ばかりだっ
た。
 でも一人ではなかなか変えられなくて、意気地なしでしか無かった僕が、一歩だけとは
いえ踏み出す事が出来た。それをきっかけにして、少しずつだけれども成長していると思
う。
 それも全て祐未のおかげだった。
 半信半疑。いや殆ど一信九疑くらいのつもりで試したターンオーバーが、こんなにも自
分を変えてくれるだなんて思いもしなかった。
 祐未がいてくれれば、このまま僕は変わっていける。変えていける。
 そんな事を考えながら、僕は自分の荷物をまとめていた。
 もうクラスの殆どは帰宅するか部活にいくかしている。僕はたまたま日直だったので、
まだ教室に残っていた。
 本当はもう一人日直はいるのだけれど、部活があるみたいだったから、先に行っていて
いいと告げた。どうせ僕は帰宅部で、帰ってからもこれといってする事がある訳じゃない。
 辺りをいちおう見回して誰か残っていないか確認してみる。もちろんもう誰もいない。
(何? わた、た。えっと、そうそう、高原さんって言ったっけ。あの子ならさっき帰っ
てたからね)
 祐未が不意にからかうように告げる。
「違うっ。誰か残っていないか、確認しただけだ」
 慌てて否定すると、一つ溜息を漏らす。
 高原さんは確かに可愛いけれど、そこまで特別に意識している訳じゃない。見ていると
優しい気持ちになるというだけだ。
 祐未は僕の気持ちをわかっていないのか、それともわかっていてからかっているのだろ
うか。
 肩を落としてから、再度息を吐き出す。
 じっとしていても仕方がないので、鞄に教科書とノートを詰め込んだ。
 鞄を閉じて、さぁ帰ろうとした時、不意に違和感を覚えて、もういちど鞄の中を覗く。
 ない。あるべきはずのものがない。
 ターンオーバーで使った、あのタペストリーが見あたらない。
「ないっ。ない。ないよ」
 思わず声に出していたけれど、僕はもうそんな事は気にもしていなかった。
 祐未はあのタペストリーの力で現れたのだ。それが無くなるということは、祐未がどう
なるのかもわからない。
 思わず僕は祐未へと話しかける。
「祐未、タペストリーがないんだ。どうしよう」
(また。優矢のことだから、家に忘れてきたんじゃないの)
 僕は慌てて告げるが、しかし祐未は案外気にした様子はなく、ひょうひょうとした声で
呟く。大変な事なのに、祐未にはまるで気にならないのだろうか。
「そんな事はないよ。絶対に朝入れたよ。祐未だってみてただろ」
 僕は言い放つと、鞄の中身を全て外に出して、もういちど中を確認する。
 だけどやっぱり入れたはずのタペストリーは見あたらなかった。
 祐未の言う通り、家に忘れたのだろうか。いや、それはない。昼間弁当を取り出した時
には確かにあった。
 だとすれば誰かが盗んだのだろうか。しかしあれは高価そうには見えないし、盗むほど
のものではない。
 そこまで考えてから顔を上げると、すぐ隣に三人の男が僕を取り囲むように立っていた。
「中井。ちょっと顔かせや」
 その声に、いい予感は全くしなかった。

 体育館裏。人気のないここは、呼び出しには最適なのだろう。ここなら多少何かをしで
かしても、誰も気がつかない。
 少しだけ体が震えた。殴られるのか、それともかつあげでもされるのだろうか。
 タペストリーを隠したのは、恐らく彼らなのだろう。高校に入ってからいじめにあって
いなかったからって、油断してしまっていた。どうしてあんな大事なものを手元から離し
てしまったのか。悔やんでも悔やみきれない。
「あの。それで僕に何の用ですか」
 たどたどしい声で、それでも何とか彼らに訊ねてみる。ろくな答えが返ってこないのは、
初めからわかっていたが、聞かない訳にもいかないだろう。
 案の定、彼らは僕を睨み付けると、僕の胸元に掴み上げていた。
「何の用、じゃねーよ。お前みたいなウジ虫野郎が、なんで気軽に話しかけてんだよ」
 リーダー格の塚本がそう言うと、突然僕を外壁へと突き飛ばす。
 その衝撃で強かに背を打って、僕の体に激しい痛みが走った。
「うぐっ」
 うめき声を漏らすと、彼らは歪な笑みを口元に浮かべる。
「へ。ウジ虫のくせに、いっちょまえに痛そうにしてやがる」
 塚本の言葉に、僕は歯を食いしばる。
 彼らが何に文句を言っているのかはわからない。しかし大した理由なんてないのだろう。
どうせただ目障りだったからとか、それくらいの事なんだ。
 思わず僕は彼らを睨み返す。
 悔しかった。
 僕には力がない。喧嘩をすれば一対一でも負けるだろう。ましてや三人もいるのだから、
勝てっこない。
 目の端に少し涙が浮かんだ。
 体は痛いし、彼らは怖かった。
 でも泣きそうになったのは、体が痛むせいではない。彼らが怖いからでもない。
 ただ悔しかった。
 こんな奴らに負けたくない。屈したくない。
 でも僕は彼らには勝てない。それはわかっていたから。自分にはどうしようもない事が
悔しくて仕方なかった。
(優矢。私に変わって)
 不意に祐未の声が聞こえる。
 祐未は彼らが現れてからは何も言わずにいたけれど、いよいよ黙っていられなくなった
のだろう。
 まだ大した事をされた訳ではないが、このままいけば殴られたりするのは間違いない。
祐未にもそれがわかったのだろう。
 僕では彼らに勝てない。
 祐未なら、何とか出来るだろうか。
 祐未は僕とは違う。僕よりずっと強くて、頭の回りも早い。力では敵わなくても、対抗
する知恵がうまく浮かんでいるのかもしれない。
「嫌だよ」
 だけど僕ははっきりと告げていた。
(なんで!?)
「なんででも」
 僕は心の中で思うと、もういちど彼らを睨み付ける。
「あぁ、ウジ虫のくせに何がんつけてんだ」
 塚本が再び僕の胸元を掴んでいた。
 体中が震える。怖くないはずはない。
 僕はたぶんこれから殴られるのだろう。何も抵抗らしい抵抗をする事も出来ずに。
 でもだからといって、抵抗せずに殴られるという事じゃない。僕だって精一杯の抵抗を
してやる。僕だって。
「僕は、ウジ虫じゃない!」
 大きく叫ぶと、塚本に向かって思い切り拳を振るった。
 だけどそれは塚本には届かない。その前に塚本の手が僕の腕を掴んで、そのままひねり
上げていた。
「てめぇっ!?」
 塚本は僕が反撃しようとした事がよほど腹に据えたのか、思い切り僕の顔を殴り飛ばし
いた。
「うがっ」
 僕は言葉にならない声を漏らして、そのまま地面を転がっていく。
「ウジ虫のくせに生意気なんだよっ」
 塚本はそのまま容赦なく僕を蹴り飛ばす。その度に僕の体がおかしいくらい音を立てた。
(優矢っ。優矢っ。ひどいよ。あいつら、なんでどうしてこんなことするの。やめて、や
めなさい。やめなさいよっ)
 祐未は何度も叫ぶ。塚本達に非難の声を
 だけどその声は僕にしか届かない。僕の口からは漏れる事はない。
 僕が変わらないと強く思えば、祐未が僕の体に出てくる事は出来ないようだった。基本
的に僕の意志の方が優先される。
 だから僕は絶対に変わらない。そんな事は思わない。
 体中が軋む。痛い。痛い。痛い。
 何で僕はこんな風にされるのだろう。わからない。どうして彼らはこんな真似が出来る
のだろう。わからない。
 だけど僕には耐える事しか出来なかった。
(優矢っ、優矢っ)
 何度か祐未が僕の名前を呼ぶ。その祐未の声だけが何とか支えになっていた。
 少し時間がたって、やがて塚本も殴り疲れたのか、やっと僕から離れる。
「今日はこのくらいにしておいてやる」
 塚本は転がったままの僕を見下ろしながら告げると、背を向けて歩き出す。彼の取り巻
き二人も、その後ろについていく。
「……待て……よ」
 だけど僕はその背を呼び止めていた。
「あぁ!?」
 塚本が叫びながら振り返る。
 僕が声をかけてくるなんて予想だにしていなかったのだろう。顔にはっきりと驚きの色
が現れていた。
「僕の……タペストリーをとったのは、お前か……」
 息絶え絶えに、それでも僕は訊ねていた。
(ばかっ、優矢。そんなこといったらまた)
 祐未の制止の声はもう遅い。
「あぁ、そんなもの知るかよっ」
 塚本は大声を上げると、もういちど僕を殴りつけていた。
 何度も何度も激しく叩きつける。その度に僕の体が跳ねて、軋みを訴え続けた。
 次第に痛みすらも感じなくなってくる。
 目の前がおぼろげに揺れて、視界もはっきりとしない。
「お、おい。それ以上やったらやばいって」
 誰かが塚本を止める声が聞こえた。それでもしばらくは僕は殴られ続けていたが、やが
てまたその手を止めていた。
「くそ。むなくそ悪い」
 塚本が吐き捨てるように呟いた声までは、何とか聞こえてきていた。だけどそこから先
は、意識が少しずつ薄れてきて、はっきりとは聞こえない。
 そのまま僕は気を失っていた。
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