さよならの鎖 (19)
『なんだ。佐藤らしくもないな。頭の回転の早いお前の事だから、もうとっくに気がつい
ているとばかり思っていたけどな。わからないなら、はっきりと言おうか。私がテロリス
トだ。今回の事件も私と私の仲間が起こした』
「先生っ。冗談はやめてくください。嘘でしょう、先生」
『冗談ではない。私は本気だ。とにかく学校にきてもらおう。誰もが自分の命を大切に思っ
て暴挙を繰り返す中、それでも友達を救う為にテロリストを探して飛び出したくらいのお
前だ。こないとは言わないよな』
「せんせ……い」
 克己は何も答えられない。
 慕っていた先生がテロリストだなんて、そんな事がにわかに信じられるはずもなかった。
『まぁ、どちらにしてもお前は、昼休みに俺と触れただろう。つまりもうすでに感染して
いるんだ。だから死にたくなければ、ここにこざるを得ないんだけどな。では待っている
よ。佐藤』
 先生が告げたその後、電話の切れる音が響いた。
 耳の残る先生の声はどこまでも冷たくて、克己の心を深く冷たい場所へと追いやってい
く。
 どうして先生が。
 どうしてこんな事に。
「あぁ……ああ……」
 絶望すら感じて、克己は声を漏らした。
 そのまま膝から崩れ落ちて、携帯を落とす。しかし克己はその事すら気がついていなかっ
た。
「どうして、どうしてだよ」
「克己。今の電話、先生だったの? どうしたの? しっかりして」
 茜が呼ぶ声に、克己は振り返る。
 今の話を茜に告げていいものかどうか、迷わずにはいられなかった。
 しかし克己は学校に向かうしかない。最初の目的を果たす為にも、自身が生き残る為に
も、茜を守る為にも。
「先生は、テロリストだった」
「え?」
 呟くと、克己の言う事が理解出来ないかのように、茜も目を開いて克己をじっと見つめ
ていた。
「そんな、なんで。え、嘘でしょ?」
 茜は訊ね返すが、克己はそれに答える事は出来なかった。茜は特に近藤先生を慕ってい
た節がある。そう簡単には信じられる訳はないだろう。こうして話している克己自身、今
も納得する事が出来ないのだから。
 だから克己は問いには答えずに、ただ電話口で聞いた話を話し続けていた。
「どうしてだかわからないけど、俺に学校へ戻ってこいっていってるんだ。先生はテロリ
ストで、ワクチンも持っているっていっている。ホントかどうかなんてわからないけど、
だからどっちにしても俺は学校に戻らなきゃいけない。それに」
 一度、言葉を止めて、茜の目をじっとみつめた。
 少しだけためらう。
 そう告げた時、茜はどんな顔をするのだろうか。忌むような表情を浮かべられたとき、
今のままでいられる自信もない。
 だけど告げなくてはならなくて、克己は少しだけ震わせながら声にしていた。
「俺も感染しているらしいから」
 怖くて茜を見つめたままではいられなかった。いつの間にか自然と顔が俯く。
 確かに考えてみると、昼休みに先生に叩かれている。寛二も、克己も。克己がまだ発病
していないのは、部活をやっている分、寛二よりも体力があるからかもしれなかった。
「……そっか」
 茜は淡々と呟く。
 茜がどんな表情をしているのかはわからないけど、克己は頭を上げる事は出来なかった。
「だから、俺はいくよ。寛二を救いたいから。みんなに苦しんで欲しくないから。……で
も、たぶん、それ以上に。俺はまだ、まだ死にたくないから」
 克己はそのまま茜に背を向ける。
 自分はどんなに勇気がないのだろうと、ただただ悔しく思えた。
 寛二を救う為にテロリストと戦う。そう決める事は、さほど難しくなかった。もちろん、
テロリストと戦う事は怖い。
 だけど自分の心はどうしても寛二を助けたいと願った。その為には戦う事だって出来る
と思えた。
 あるいは克己の心は恐怖に対して麻痺してしまっていたのかもしれない。恐怖に震えて
気が狂う人がいたように、克己は恐怖を通り越して行動につながっていたのかもしれない。
 けど茜に嫌われる事が怖かった。
 茜がそこにいるだけで、勇気が振り絞れた。克己にとって、行動する力だった。
 だから茜が離れていくこと。それだけが怖くて仕方なかった。
「私もいく」
 だけど続いた茜の言葉は、変わらない。
 克己のそばに居たいと続けた台詞。それだけを忠実に守ろうとしていた。
 克己の目が急激に潤いを増してくる。
 思わず叫びそうになるほど、胸の奥が熱く浮かび上がってくる。
 その言葉が嬉しくて、だけど克己は静かに首を振るった。
 ゆっくりと振り返って、それから茜の目を見つめる。
 茜は目を見開いて、驚いた様子を見せていた。茜の顔を見るのは、まだどこかで怖さも
感じている。だけど、言わなくてはいけない言葉も、とるべき態度も一つしかない。
 克己は視線を逸らさずに、ゆっくりとした言葉で告げていた。
「茜。俺はお前が好きだ」
 克己の台詞に、再び茜が驚いた顔を浮かべていた。
 その中に嬉しさが隠れているような気がしたのは、克己の希望がそう見せただけかもし
れない。
 しかしだとしても構わなかった。
 克己は答えが欲しいのではなくて、決意を知って欲しいだけだったから。
「だからだから。茜には生きていて欲しい。死んで欲しくない。先生と、いやテロリスト
と戦うなんてことは、やっぱり馬鹿な事だ。自分でもわかってて、俺はその道を選んだ。
どのみち俺は自分が生きる為にも戦わなくてはいけないみたいだし。そうしなければ、結
局死んでしまうんだろう。だけど茜はそうじゃない。このままでいれば、感染せずに済む
かもしれない。だから」
 もういちど言葉をとぎらせる。
 今度は茜から目を逸らす事なく、はっきりと告げられていた。
「茜は来るな」
 そばにいてくれる事が嬉しかった。
 そばにいて欲しかった。
 それでも茜にはきて欲しくない。
 近藤先生が何を考えているのか何て、克己にはよくわからない。しかし無事でいられる
なんて保証は無い。むしろ命を失う事になる危険の方が強いだろう。
 その時は、せめて茜だけでも生き延びて欲しかった。
「いや」
 茜は呟くように答えると、どこか睨むような、それでいてすがるような瞳を克己へと向
けてきていた。
「茜。わかってくれ。どこかに隠れてやり過ごして欲しい。運良くワクチンが手にいれら
れたら迎えに行く、だから」
 茜の目を見つめていると、胸が締め付けられるかのように切なく染まる。
 そのまま見つめていると、茜から離れられなくなりそうで、克己は微かに目を逸らした。
 その瞬間だった。
 影が目の前に迫っていた。
 同時に唇に柔らかいぬくもりを感じて、軽く吐息が作る音が耳元で聞こえた。
 茜の顔がすぐ目と鼻の先にある。
 克己は瞬きする事すら出来ずに、目を開いて茜をみつめていた。
 茜の頭が少しだけそれて、右肩の上に置かれる。胸の中に茜の手が置かれていた。
 克己は何が起きたかも理解する事が出来ずに、ただ呆然としたまま立ち尽くす。
「これで私も感染者だから、行く理由が出来たね」
 淡々とした口調で告げる茜の声は、それでもどこか熱っぽくて。どこか遠い場所で告げ
られているように通り抜けていく。
 触れあった唇の感触だけが、克己の中に残されていて、心臓が何度も激しく波打ってい
た。
「私も、克己の事が好き。だから離さないで」
 茜はすがるように、胸の中の手に力を込める。その手が少しだけ震えている事に気がつ
いて、克己は胸がぎゅっと締め付けられた。
 どうして茜は自分に触れたのだろう。克己は声も無く問いかける。
 克己はその答えを知っている。
 だけど茜には無事でいて欲しかった。
 克己が本当に感染者なのかどうかは、実際のところはわからない。寛二はたまたま発病
しただけで、近藤先生のはったりだと言う可能性もある。
 だとしたらいまこうして触れても、茜は隠れてさえいれば、無事に一日を過ごせるのか
もしれない。
 しかし茜はその道を選ばなかった。
 克己と一緒にいたいから。それだけの理由で命をも投げ出していた。
「あかね」
 もういちど茜の名前を呼ぶ。
 茜を愛しいと、今ほど思った事はなかった。
 こんな事態になったから、茜を求めているのかもしれない。極限状態に置かれた二人は
恋に陥りやすいと言う。命を未来につなげようとする心が、二人をそうさせるのだと。
 それでも克己にとって、茜が何よりも愛おしい存在ではある事は、きっと以前から変わ
りはないはずだ。
 だから触れあった隣にいる少女を、克己は強く抱きしめていた。
 もう二度と離したくなかった。
Back Next
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  面白かった  まぁまぁ面白かった  普通
いまいち  つまんない 
★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!