さよならの鎖 (17)
 隆史はそのまま音のした方向へと向かう。
 音は視聴覚室のある辺りから聞こえてきていた。だから克己達である可能性は決して低
くはない。
 しかし冷静な英司がいながら、あれだけの音を立てたとなると、何かが起きた事も想定
しておかなくてはならないだろう。
 物音に警戒しながら、ゆっくりと階段を下り始める。そして踊り場にさしかかろうとし
た、その瞬間だった。
 カン、カンと鈍い音が響く。誰かが階段を上ってきているようだった。
 隆史は慌てて身を隠そうと思うが、今からではとても間に合わない。急いで駆け上がれ
ば、当然音が鳴り響く。
 仕方なく隆史は懐から銃を取り出していた。
 上ってきた誰かに突きつけられるように、銃を構える。
 そして音はすぐに目の前まで迫って、踊り場に姿を表していた。
「え、近藤先生」
 その姿を目にして、隆史は思わず声を漏らしていた。
 顔見知りだった事に、わずかに銃を構える力が緩やかになる。
「井口か」
 近藤先生は目を開いて声を漏らす。
 それから先生はいつもと変わらない態度で、ゆっくりと微笑む。
「おいおい、なんだか物騒だな。そんなものはしまってくれないか」
「あ、はい」
 先生の言葉に、隆史は銃を懐にしまう。
 上ってきたのは暴漢かテロリストではないかと疑っていたが、そうではなかった事にほっ
と息をつく。
「井口は無事だったみたいでよかったよ。お前一人か。他にも誰かいるのか」
「いや。わかりません。克己――佐藤くん達がここにいるんじゃないかと思ったんだけど、
まだ誰にも会って無くて」
 問いに答えてから、もういちど安堵の息を吐き出していた。
 隆史もやっぱり普通の中学生に過ぎない。頼りに出来る大人の登場は、ずいぶんと安心
出来た。これで克己達も合流出来れば、優も連れ戻しても平気かもしれない。
「そうか。上はもう見たのか」
「ええ。上には他に誰もいませんでした」
「わかった。なら下を探してみよう。私も上から虱潰しに見ていこうかと思っていたから、
まだ下は見ていないんだ」
 先生は優しく微笑む。
 それからいつものように肩へと置こうとして手を伸ばした。
「先生。駄目ですよ。もしかしたら俺だって、保菌者かもしれない。触ったら先生にだっ
てうつしてしまうかもしれない」
 同時に隆史は叫んで、少し後ろへと下がる。
「……そうだな、井口の言う通りだ」
 先生は少しだけ表情を落としたが、しかしそれもほんの一瞬の事だった。
 先生は振り返り、元きた方へと下り始める。
「行こう。佐藤達がここにいるなら、みんな一つの場所に集めたいからな」
「はいっ」
 隆史は頷いて、そのまま歩き出す。
 先生は階下に降りると、階段のさらに下の方をじっと見つめていた。
「先生。どうしました」
「いや、気のせいだったみたいだ。何か音が聞こえたような気がしてね」
「俺にはぜんぜん聞こえませんでしたけど」
「そうか。それならいいんだ。行こう」
 先生はにこやかに告げると、三階の廊下へと足を踏み出す。
 この時、隆史の意識は少し奥まった位置にある視聴覚室へと飛んでいた。
 いるならそこにいる可能性の方が高いと思う。実際、他の教室には誰の姿もなかった。
 そしてやがて視聴覚室に辿り着いた。
 扉を開ける。
 教室の中には暗幕がひかれ、いまひとつよくみえはしない。ぱっと見では、誰もいない
ように思えた。

 しかし近藤先生は教室の電気をつけると、部屋の中へと声をかける。
「誰かいるか。近藤だ」
 その問いかけに答えるように、机の影から理恵が顔を覗かせる。
「先生? ……先生だ。森田くん、先生だよ。よかった。助けにきてくれたんだ」
 理恵は立ち上がると、大きく喜んで顔を上げる。
「赤石か。俺、井口だよ。森田もいるのか。克己は。寛二はどうしたんだ」
 隆史は慌てて理恵の方へと駆け寄っていく。
 理恵がいた事は意外だったが、やはり人がいるならこの部屋だという認識は間違ってい
なかったようだった。
 隆史がここまで告げて駆け寄った瞬間。どこか渋々といった様子で他の机の影から、英
司が姿を現す。
「近藤先生と、井口くんですか。……とりあえず知らない顔でなくて良かったです」
 訝しげな顔で英司は隆史を見つめていた。
 優を探しに行ったはずの隆史が、ここにいる事を不思議がっているのだろうか。
「これで全員なのか」
 先生は皆を見回しながら訊ねる。こんな状況だと言うのに、どこか余裕を感じられるの
は大人の貫禄というものだろうか。
 隆史は息をなで下ろすと、やっと少しだけ緊張がとれてきていた。張りつめていた糸を
緩めて、隆史は皆を見つめる。
 克己の姿が無かった事が何よりも残念ではあったが、近藤先生もきてくれて理恵と英司
もいる。優も無事でいる。少しずつ隆史にいつものような感情が戻ってきていた。
「あ、はい。さっきまで佐藤くんと西野さんがいたんですけれど、出ていってしまって」
「そうか。なら踊り場の方で音が聞こえたのは、その二人のもだったのかな。それなら呼
び戻せば、ちょうどいいくらいか」
 近藤先生はそういって少しだけ笑う。
 ただその笑みがいつもの優しげなものとどこか違うような気がして、隆史はわずかに眉
を寄せた。
 ちょうどいいとはどういう事だろうか。
「井口」
 近藤先生がふと名前を呼ぶ。
 隆史はそのまま振り返ると、大きく目を開いた。
 近藤先生が拳銃を隆史に向けてつきつけていた。
 しかし隆史が何をする間もなく、激しい音が鳴り響く。
 叩きつけられたような衝撃が肩に走る。
 同時に目の前がぐらりと揺れた。
「がぁっ」
「え、いやぁぁぁぁぁっ」
 叫ぶと同時に、理恵の悲鳴が聞こえていた。英司の驚いた顔がすぐに続く。
「……せん……せ」
 隆史はゆっくりと声を漏らしたが、その声が届いたのかどうかはわからなかった。
 先生が笑ったような気がする。
 理恵の怯える顔。英司のひきつったような姿も目に入った。
 しかしそれだけだ。
 隆史の意識は遠く変わっていく。
 もう隆史には何も出来ない。
 ただ最後に浮かべたのは、優の悲しげな顔。
「俺は絶対に……伝えるんだ……」
 そう呟いたつもりだったけれど、それはもう言葉にはなっていなかった。
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