さよならの鎖 (16)
 隆史は走っていた。
 つないだ手から優のぬくもりが伝わってくる。それだけで隆史はどんな事でも出来ると
思った。
 二人はいま学校に戻ろうとしている。少なくとも隆史が飛び出した瞬間は、他に危険も
なく安全そうに思えた。
 もしかすればまだ克己達が残っている可能性もある。そうすれば力を合わせる事だって
出来るかもしれない。
 優を安全な場所に連れていく。それが隆史の目標であり、願いでもある。学校ならば隠
れるところも多いし、仲間もいるはずだった。
 出来るだけ人目につかないように遠回りした為、時間はかなりかかっている。もう外は
日が沈み初めていて、空を茜色に染めていた。
 克己は委員長と出会えただろうか。ふと心の中で呟く。克己はいつも否定していたが、
委員長――茜の事を想っているのは間違いない。自分のように出会えていればいいと隆史
は声には出さずに願った。
 しかし今は何よりも優の事が第一だった。克己の事を考えたのも、こうして優と一緒に
いられるからだ。学校が間近に迫って、やっと少しだけ心に余裕が出来たに過ぎなかった。
 今までは偶然、誰にも出会わずにこられたが、これからもそうとは限らない。ぬくもり
を離さないように、つないだ手にほんの少しだけ力を入れる。
「優、行くぞ」
「うん」
 隆史の声に優が答えた。
 辺りに人気がない事を確認して、隆史は交差点を飛び出していく。
 学校はもう目の前に見えていた。ここまでくればかなり安全なはずだった。
 もっともこうして手をつないでいる以上、ウィルスに感染したかもしれない恐怖はある。
しかしもうそれには覚悟が出来ていた。優と二人なら、死ぬ事も怖くはなかった。二人で
いれば、何でも乗り越えられる。
 学校の中に入る。やはりしんとしていて、人の気配はない。
 とりあえず克己達がいる、三階の視聴覚室に向かってみようかと階段を登る。
 そして三階まで登りついたところだった。
 ガンッと鈍い音がどこからか響いた。その後に続いて、何かがぶつかり崩れるような音
も響いてくる。
「隆史、いまの」
 優が思わず声を漏らしていた。小さな声ではあったが、誰かに気がつかれただろうか。
 学校は安全だろうと思って逃げ込んできたが、決してそうではなかったのだろうか。
「……優、四階に行くぞ」
 隆史は小声で告げると、優の手を引いて二人さらに上の階へとかけのぼる。
 四階は三年生の一部の教室と、文化部の部室がある。隆史はこの中でどこか隠れ込める
場所を、なんとか見つけだそうと目を凝らした。
 ふと教室のうちの一つが目に止まる。
 演劇部とかかれたプレートの部屋に、隆史は考える前に飛び込んでいた。
 幸い鍵はかかっていない。恐らくは部活の最中に、皆逃げ出したのだろう。
 演劇部だけあって、よくわからない小物が大量に散らばっていた。またそれらをしまう
為の大きな箱もいくつか見受けられた。
 箱のうちの一つは、ひと一人すっぽりと入れ込めそうなほどで、無数の小道具が雑多に
詰め込まれている。
 隆史はその箱の方に急いで近づくと、箱を倒して中身を全て取り出し始めた。
「隆史、何をしてるんだよ」
 優は首を傾げて、隆史の行動を見つめていたが、隆史は気にせずに作業を続けていた。
 すぐに箱の中身は空っぽになる。それから隆史は箱の周りを念入りに見て回ると、軽く
頷いて優へと振り返る。

 優の姿を上からじっと眺めて、もういちど頷く。優は女の子の中でも小柄な方だ。これ
なら十分に隠れきれる。
「なんだよっ、じろじろみんなよなっ」
 優が少し顔を赤らめて、優は俯きながら告げる。
 いつもなら蹴りの一つも入るところだったが、状況が緊迫している為かそれはなかった。
 こうして頬を染めていると、やっぱり優も女の子なんだと思う。いつもは粗暴な言葉使
いと行動が、優が女の子だと言う事を忘れさせる。それでも今は、彼女が小さくて守るべ
き存在だと思い返させた。
 隆史は女の子だからといって、無条件で守られるべきだとは思わない。それでも優の事
は守りたいと思う。優は背は小さいが運動は得意だ。喧嘩早いとこもあるから、下手な男
の子よりも強いだろう。
 けどそれと隆史の感情は全く関係がない。
 ただ大切だから。好きだから。そばにいたい。誰にも傷つけられたくない。それだけの
ことだから。
 中学生の抱く恋心なんて幻想だと思う人もいるだろう。年をとれば、あるいはそれは正
しいと思うのかもしれない。
 けど今、こうして抱いている気持ちは絶対に嘘じゃない。幼い想いかもしれなかったけ
れど、この想いは確かにここにある。
 ずっと一緒にいたい。離れたくない。だから少しだけ迷いを感じていた。
 しかしもう学校は安全な場所とは言えない。何があっても守り通すと決めたから、迷い
を振り切って優の目をまっすぐに見つめる。
「優。ちょっとここに入ってみてくれ」
 隆史が呟くと、優はわずかに首を傾げる。隆史が何をしようとしているのか、計りかね
ているのだろう。
「いいけど、なんで」
「いいから、早く」
「わかったよ。たく、なんなんだよ」
 隆史がせかすと、優はぶつくさと言いながらも素直に箱の前にたつ。
「足あげるけど、下着みんなよな」
「見るかよっ」
 優の言葉に、今度は隆史が少し顔を赤らめた。余計な事いいやがってと口の中で呟く。
 優は椅子を用意して、なんとか中に入り込む。箱の大きさはかなりのもので、これだと
そう簡単に出たり入ったりは出来ないだろう。優はちょうど頭だけを覗かせている格好に
なる。
 これなら問題がないだろうと、隆史は心の中で頷く。
「うわ。こうしてみると、でっかい箱だな。ボクだと頭しか出ないよ、これ」
「そうだな」
 隆史は呟いて、それから散らかした小道具を集めていた。
 優が訝しげに首を捻るが、そう簡単には出られないだろう。
「優。いいか、お前はここに入って隠れてろ」
 ぶっきらぼうに言い放つと、目の前の少女をじっと見つめる。
 ゆっくりと眺めると、優しい顔立ちをしていた。女の子らしく目も大きくて、長くのび
たまつげ可愛らしく覗かせている。
 優が好きだ。
 もういちど深く心から想う。
 離れたくない。一緒にいたい。
 そう思う心より強く、無事でいてほしい。誰よりも大切な人だから。
 隆史は声も無く呟く。
 その想いはどこまで伝わっているのかはわからないけれど、優は驚いた顔を隆史へと向
けていた。
「隆史、何いってんだよ。ボクだけがここに隠れるなんて嫌だ。隆史がどこかにいくなら、
ボクもいく」
 言い終えてから、強い意志の込めた瞳をまっすぐに突きつけてくる。そして箱から何と
か抜け出そうとして、箱の縁に手を置いていた。
 わずかに息を飲み込む。
 優を連れていきたい。そんな誘惑に駆られて、思わず頷きそうになる。
 だけどそうする訳にはいかない。
 優を守る為には、今は離れるべきだ。
 まずは周りの安全を確かめて、さっきの音の主を探さなくてはいけない。
 それがもし克己達であれば問題はない。しかしもしテロリストや、この事態で気がおか
しくなった暴漢の立てたものだったとしたら。
 隆史が持っているくらいなのだから、相手も銃を持っていると考えるのが自然だった。
特にテロリストであれば言うまでもない。
 隆史一人なら、銃もあるし足も早い。逃げ出す事が出来るかもしれない。しかし優を連
れていけば、優がまず狙われるだろう。
 そうすれば隆史も優をかばう。優とて足は早い方だが、それでも大人の男の全力にはと
ても敵わないだろう。
 あるいは隆史の方が狙われて、もし怪我をしたなら。優は恐らく戻ってきてしまうだろ
う。そうしたら二人とも死んでしまう事になる。それは絶対に避けなくてはいけなかった。
「駄目だ。いいから大人しくここに入ってろ」
 言い放つと、隆史は集めた道具を一度に箱の中へと投げ込んでいた。
「わっ」
 思わぬ事に優は驚いて手を離す。小道具に巻き込まれるようにして、箱の底にぺたんと
座り込んでいた。
 それと同時に近くにあった毛布のようなものを箱の頭からかける。毛布と小道具に隠れ
て、優の姿は完全に見えなくなっていた。
「優。いいか、俺は辺りをみてくるだけだ。すぐに戻ってくる。もしいま叫んだりすれば、
敵に気がつかれてしまうかもしれない。だからじっとしていてくれ。それと、戻ってきた
ら」
 隆史はここで一度、言葉を途切れさせていた。息を大きく吸い込んで、ゆっくりとしか
し確かに次の台詞へとつないでいた。
「言いたい言葉がある。だから、そこで大人しく待っていてくれ」
 いつものぶっきらぼうな物の言い方ではなく、幾重にも心を込めた台詞。
 優もその声に思わず頷いていた。
「う、うん」
「いいか。すぐ戻ってくる。万が一、誰か他に人がきたら、誰もいないふりをしているん
だ。外からみれば、人がいるようには見えないからな」
 隆史はそう言い放つと、そのまま教室から抜け出していた。
 そのまま廊下へと向かうと、先に進む前に一つだけ、静かな声で呟く。
「優。お前はさ、元気で明るくて男勝りで、そんなところもいいところだけど。たまに女
だって事を忘れてんじゃないかと、いつも心配だよ。だからさ、たまには俺にもかっこつ
けさせてくれ」
 聞こえたかどうかもわからない声だったけれど、答えも聞かずにすぐに走り出す。
 ここに戻ってきたら、その時こそきちんと言葉にして伝えようと思う。
 ずっと秘めていて、言えなかった台詞。
 思えばいつも素直になれなくて、告げる事が出来なかった。
 だけど今は違う。
 戻ってきたら、絶対に告げるんだ。
 優の事が好きだと、絶対に絶対に。
 心の中で誓う。
 だけど隆史の心は、今はまだ届かない。
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