さよならの鎖 (12)
 全員、視聴覚室に戻ってくる。
 ここにきたのはテレビ等の情報機器がある事に加えて、カーテンがあるからだ。
 部屋の中でうろうろとしていても、外から見てもわからない。つまり暴漢が外部からやっ
てくる危険が多少ながら減る事になる。
 もちろんカーテンをしている事自体が、そこに人がいると示唆しているかもしれなかっ
たけれど、直接いる事がわかるよりはいいだろう。それにこの部屋以外にもカーテンのあ
る部屋はいくつかあるから、それらの部屋のカーテンも全て締めておけば、ここだけが目
立つ事はない。
 もっともこの辺の話は全て英司の提案で、克己はそこまで思いつきもしなかった。そう
いう意味では英司は冴えていて頼りになる。
「さてと、これからどうするか」
 克己は皆の顔をぐるりと見回す。
 隆史や優、浩介の安否も気になるが、まさか探し回る訳にもいかない。それに関しては
皆無事でいてくれる事を願うだけだ。
 それよりもここに揃った皆が、どうすれば無事でいられるかを考えなくてはいけない。
克己はさほど賢くはないから、一人ではいい方法を思いつかないかもしれないが、五人も
揃えば何か方策を思いつくかもしれない。
「そうね。でも、どうしようもないんじゃないかな。外にいけば誰かに襲われるかもしれ
ないし、ウィルス騒動が終わるまでじっとしているしかないんじゃない」
 茜はさばさばとした声で告げる。まるで平時と同じような物の言い方に、微かに克己は
苦笑を浮かべた。茜は変わらないなと思う。
 人形のような表情の変わらない顔を向けて、やっぱり机の上に腰掛けていた。茜はいつ
も通りの態度のままだ。
 確かに茜の言い分は間違ってはいない。外にいけば危険があふれているのは、テレビの
放送でよくわかっている。閉鎖されているのだから、街から逃げ出す事も出来ない。
 もっともこの騒動が、永遠に続くとも思えなかった。テロリストの散布したウィルスH
OPEは、感染から二十四時間たてば確実に死ぬ。つまり逆に言えば、何日かすればウィ
ルス感染者は殆ど死に絶える事になる。
 もちろん一部で感染しながらも生き残る人間がいるかもしれないが、それはごく一部に
なるはずだ。それならば街が落ち着けば、自衛隊の包囲も終わるだろう。
 この日本で感染者のみならず、一つの市を丸ごと隔離するなんていう事が、いつまでも
許されるとは思わない。ウィルス保持のチェックは厳重に行われるかもしれないが、やが
て解放されるに違いない。
 幸い、いまのところ自分達の中では誰も発病していない。数日我慢して、テレビ放送を
注意深くみていれば、解放される瞬間もわかるかもしれなかった。
「大丈夫かな」
 理恵は俯きながら呟くと、茜と克己の顔を見やる。当然な事だけれど、理恵も何かと不
安もいろいろと感じているのだろう。本当は今すぐにでも家に帰りたいに決まっていた。
「大丈夫だよ。ほんのちょっと我慢すれば、きっと助けがきてくれるはずだ」
 克己は理恵へと微笑みかけると、拳を強く握ってガッツポーズをしてみせる。
 それで安心したという訳でもないだろうが、理恵はうんと頷いて、なんとか笑顔を見せ
ようとしてぎこちなく笑う。
「そうですね。その可能性は決して少なくはないでしょう。食事も給食室にパンと牛乳く
らいなら残っていると思います。何日かなら、十分耐えられるでしょう」
 英司が告げた台詞に、克己も頷く。
 数日の間、耐えればいい。それなら何とか持ちこたえられるはずだった。あとは暴漢が
現れた時の対処方法などを、決めておければいいと克己は簡単に考えていた。
 実際その通りだったのかもしれない。何事もなく数日を過ごせば、助けがやってくる可
能性は少なくもないはずだった。ウィルスは接触でしか感染せず、感染したものは二十四
時間以内に死亡する。時間さえたてばウィルスに感染した人間はいなくなり、元の街に戻
るはずだと考えていた。
 寛二の方へと振り向くまでは。
 寛二は何か両手で体を抱え込んで、夏だというのにがたがたと震えていた。大量の汗が
顔中を濡らしている。
 良くも悪くも話したがりの寛二が口を挟まないのを、克己は不思議に思っていたが、恐
らくそれどころではなかったのだろう。
「寛二、どうしたんだよ。大丈夫か」
「あ……うん。……大丈夫」
 どこかぼぅっとしたうつろな目で、それでもなんとか答えると、寛二はあははと声に出
して笑っていた。いや笑ったつもりだったのだろう。しかし喉の奥から漏れてくる声は、
微かで震えていた。
「あの、瀬川くん。大丈夫?」
 理恵が心配そうに眉を曇らせる。
「大丈夫だから、ほら」
 寛二はいいながら、ゆっくりと立ち上がっていた。
 しかしその瞬間、寛二の体がぐらりと揺れる。
「あ……」
 寛二は呟くと同時に、そのまま体ごと後へと倒れ込んでいく。
「寛二っ」
 克己は慌てて寛二へと近寄る。
 そして寛二を支えようとして、手を伸ばした瞬間。
「触るな!」
 英司の鋭い声が、克己の動きを止めていた。
 克己の体がびくんと跳ね上がる。
 同時に寛二はそのまま背中から倒れ込んでいた。激しい音が響いて、机や椅子と共に崩
れていく。寛二はちょうど机を背に座っているような形になって、床へと崩れていた。
「あ、あはは。なんか、ちょっと、貧血かな」
 寛二は倒れても、運良く大した怪我はしなかったようだ。ゆっくりだけど皆へと手を振っ
ている。
 この時、茜もやっと机から降りてきて、心配そうに寛二の顔をのぞき込んでいた。
「瀬川くんさ、平気? 立てる?」
 訊ねながら茜が近付こうとした瞬間、それにも英司は手を伸ばして遮っていた。
 茜はその手に驚いたようにして、その場で立ち止まる。
「英司!? お前、何を」
 克己は眉を寄せて、声を荒げる。
 しかし英司はゆっくりと、しかしどこか冷たくすら感じる声で告げていた。
「さっきもいったでしょう。僕達はお互いに触れないようにしようと。そういう事ですよ」
「な。寛二は具合が悪そうなんだ。手を貸してやんなくてどうする」
 克己は英司から目を逸らして、寛二の方へと向き直る。
 寛二を起きあがらせるのに、もういちど手を伸ばす。伸ばそうとした。
「やめろ!」
 英司の声はつんざくほど激しく響いた。いらついた顔をはっきりと覗かせていた。
「わかってないですね。具合が悪そうと言うなら、余計に触れちゃいけないんですよ。そ
れも貴方の頭じゃ、理解出来ないんですか」
 英司はもういちど呟くと、そのまま机を思い切り叩き付けていた。
 鈍い音が響き、一瞬、しんと教室の中が静まりかえる。
 だがその次の瞬間には、克己は頭に血が登ってくるのを感じていた。
「なんだと」
 いらついた声で呟くと、英司を真っ正面から睨み付ける。
「聞こえなかったようですから、もういちどいいましょうか。馬鹿じゃなければ、病気の
瀬川くんに触れないようにしろと言っているんです」
 冷たい声で呟くと、克己の目をじっと睨む。
「英司。お前はどこか嫌味なところがあるとは思っていたけど、ここまで冷たい奴だなん
て思わなかったよ」
 そう告げながらも、衝撃的に英司を殴り飛ばしたくなる。さすがにそれは何とか抑える
が、手は小刻みに震えていた。
「そうですね。僕は冷たいですよ。けど優しい佐藤くんは、看病くらい普通に出来るんで
しょう。例え瀬川くんがウィルスの保菌者だとしてもね」
 英司の台詞に、克己は思わず目を開く。
 克己だけではない。茜も呆気に取られたように寛二をみつめていたし、理恵は口元を手
で押さえて何かを堪えているようだった。
「寛二が!? まさか」
 克己はあまりの驚きに、どうしたらいいのかもわからなかった。
 ただ寛二をまっすぐに見つめて、しかしそれ以上には近付く事が出来ずにいる。
「この状況でそれを疑わないのは間が抜けているとしかいいようがありませんね。自分達
は大丈夫だなんて根拠は何もありませんから。佐藤くんも、西野さんも、赤石さんも、そ
れからもちろん僕も、今は発病していないだけで保菌者なのかもしれない。だから誰にも
触れてはいけないんです。被害を広げない為には。それは例え僕が倒れたとしても同じで
す」
 英司の呟きに、克己は息を飲み込んでいた。
 英司の言う事は、克己にしても頭では理解していた。だからこそ克己も茜には触れない
ように気をつけていたし、竹内を取り押さえようとした時にも少しだけ躊躇していた。
 それでも自分は感染していない。あるいは皆は感染していない。心の奥底でそう信じ込
んでいたのかもしれない。
 だから寛二が倒れた時にも思わず支えようとしていた。ウィルスに冒されていないと信
じていたから、そうする事が出来た。そう思いたかったのかもしれない。
 しかしこうして寛二に触れれば死ぬかもしれないと、その事実を突きつけられた後でも、
平気で触れられるかと言われれば、ためらわざるを得ない。
 いや、触れられるはずもなかった。
 克己だって死にたくはない。けれど、どこかまだ起きている事態が、本当の事だと思え
ずにいたのかもしれない。
 英司は全てを受け止めていた。覚悟も出来ているのかもしれない。誰かが倒れても、助
けずにいると決めて、自分が倒れたとしても、助けられない事を受け入れているのかもし
れない。
 それは簡単なことではない。
 自分が死ぬとわかっていれば、誰かに救いの手を差しのばさない事は難しくはない。自
分の心に素直になれば、殆どの人間がそうするだろう。
 しかし自分が倒れた時、誰の助けも得られない事を認めるのは恐ろしい事だ。ガラス張
りの世界の中に、一人で閉じこめられている。人は自分の姿をみられるけれど、決してそ
ばによる事は出来ない。そんな状況に近いのかもしれない。
 だけど、英司はそれすら受け入れてしまっているのかもしれなかった。
Back Next
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  面白かった  まぁまぁ面白かった  普通
いまいち  つまんない 
★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!