さよならの鎖 (09)
三.想い出の中、彼らはたたずむ

 茜は図書室の中から、校庭を見つめている。
 委員会の途中で不穏な放送が入り、皆は一目散に逃げ出していた。たぶんもう学校には
殆ど人は残っていないだろうと、茜は思う。
 しかし茜は、皆と一緒に逃げようとは思わなかった。
 放送の真偽もわからないし、あの時銃声と共にテロリストだと叫んだ声は、子供のもの
ではなかったように思う。だから誰かがテロリストと出会って思わず叫んだなどと言う事
は、考えられなかった。
 あれは誰かがパニックになる事を見通して、あえて叫んだとしか思えない。だとすれば
叫んだのは、テロリスト本人だったのではないだろうか。だからその扇動にのって逃げ出
したとしても、いい結果が生まれるとは思えなかった。
 もちろん学校に残っても危険は残る。あの声は、もしかすると学校から人をいなくする
為に放たれたものかもしれない。それならば学校の中は、むしろ危ないと言える。
 しかしどちらが正しいのか、あるいはどちらとも正しくはないのかは、茜にはわからな
い。なら深く考えずに自分がしたいようにするべきだと、茜は考えていた。
「克己は、皆と一緒に逃げ出したかな」
 幼なじみの名前をゆっくりと呟いて、それからもういちど外を見つめる。
 こうして校門を眺めている分には克己らしき人の姿はなかった。しかし最初の騒動の時
に逃げ出したのだとすれば、あれだけの人の中では判別はつかないかもしれない。
 克己は携帯電話を持っているから、電話をかけてみる手もある。しかし茜自身は携帯を
持っていないから、電話をする為には一階の公衆電話まで向かわなくてはならなかった。
 いま出来れば一階には降りたくない。
 いや図書室からむやみに抜け出そうとも思わなかった。
 図書室なら広さもあるし、遮蔽物も多い。テロリストが現れたとしても、いろいろと逃
げやすい。いざとなったら本棚を倒して、その隙にでも抜け出す事が出来る。
 また窓から覗けば、ちょうど校門がよく見える位置にあったから、出入りする人の姿も
すぐにわかる。
 図書室は委員会をしていた教室からも近かったし、ついでに本がこれだけあれば長くい
る事になっても退屈もしない。
 そんな理由から、茜は図書室を隠れ場所に選んでいた。
 茜は相変わらず机の上に腰掛けて、そのままゆっくりと背中側に倒れた。教室の机と違っ
て、図書室の机は広い。ひと一人寝ころんでも十分なスペースがあった。
「克己はどうしてるんだろ」
 もういちど呟く。
 机の上に寝ころんでいても、ちょうど校門が見える位置にある。首だけ外を向けて、じっ
と出入りする人の姿を眺めていた。
 今までは殆ど人の出入りしている様子はなかった。
 ただ途中、隆史が一人で外に駆けていく姿は見えた。克己と隆史は仲が良いから、一緒
にいるかもしれないと茜は思っていたのだが、そうでもなかったのだろうか。
 しかしそれも放送からは、ある程度の時間が経った後の事だった。始めから逃げ出した
のなら、もっと早く向かっていてもいい。
 それに隆史は逃げ出したという雰囲気ではなかった。それよりも必死でどこかに急いで
いるような様子を見せていた。
 そう考えると克己と隆史はやはり一緒にいたのではないかと、茜は推測している。何か
があって、隆史だけ外に向かったと考えた方が自然だと思う。
 だとすれば克己はまだ学校の中にいる。
 そう思うといますぐにでも克己を探しに向かいたかった。
 ただ下手に動けば、すれ違ってしまうかもしれない。克己も学校の中に誰か残っていな
いかと、探している可能性もあった。それならばここにじっとしていた方がいい。
 この広い学校の中のどこにいるかはわからなかったけれど、ここからならば外が見える。
だからもし克己が外に向かえば、すぐに確認出来るだろう。
 もう少し時間が立てば外も暗くなり、人がいる教室からは明かりが漏れるだろう。その
明かりに気をつけていれば、下手な騒動に巻き込まれる事も少ないはずだった。
 そうなってから電話をかけにいっても、決して遅くはないと思う。こういう事態だから、
出来るだけ危険は避ける必要があった。
 もういちど外を眺める。
 隆史が駆けて行ってからは、今のところ誰も外には向かっていないし、入ってきてもい
ない。隆史が最後の退出者だ。
 隆史は何故あんなに急いでいたのかと考えて、それから少しだけ羨ましく思えた。
 恐らく隆史は優を探しに行ったのだろう。普段口げんかばかりしている二人だったけれ
ど、二人の距離が近しいのは誰も異論がないところだろう。
「私も迎えに来てほしいな」
 不意に呟いて、それから首を振るう。
 こんな台詞はいつもの自分らしくはない。
 やはり突然の事態に、少し気が弱っているのかとも思う。
 しっかりしないとと心を奮わせる。
 それと同時に図書室の扉が開く。
 慌てて茜は身を起こした。入り口からは、ここは見えにくいはずだから、まだ茜がいる
事には気がついていないだろう。
 本の隙間から、気がつかれないように覗くと、セーラー服の影が少しだけ見えた。
 どうやら学校の生徒のようだった。
 そのまま目線の位置をずらして、なんとか顔が見えるように確認する。
 ちらりと見えた顔は、見知った顔。どうやら理恵のもののようだ。
「赤石さん?」
 少し遠巻きに姿を現して声をかける。
 しかし理恵の方は人がいるとは思っていなかったらしく、大きく体を揺らしていた。
「だだだ、だ、だれっ」
 あからさまに怯えた顔で、茜の方へと振り返る。もう少し脅かせば、あっと言う間に泣
き出してしまうんじゃないかと思えた。
「私。西野」
 理恵の位置からもう少し見えやすい場所に移動して声をかけると、今度は理恵も気がつ
いたようで、大きく安堵の息を漏らす。
「あ……よかった。西野さんか」
 理恵は大きく胸をなで下ろすと、そのまま力が抜けたようにしてふらりと体を揺らした。
「大丈夫?」
「あ、うん。平気」
 理恵はかなり怯えていた様子ではあったが、それでも何とか答えを返していた。知り合
いであった事に、少なからずほっとしているのだろう。
「それなら良かった」
 淡々とした声で呟くと、茜はそれから少しだけ首を傾げる。
 理恵はとても大人しい女の子で、どちらかと言えばクラスでも地味な存在だ。茜が様々
な意味でかなり目立つのとは対照的だった。
 それから考えれば、あえてこの場に残った茜とは違って、理恵は恐らく騒ぎの時にも逃
げそびれたのだろう。どうしていいかもわからずに、思わず通いなれた図書室にきてしまっ
たのかもしれない。
「安心していいよ。ここには私の他に誰もいないから」
 茜は言いながら、にこやかに微笑む。いや微笑もうとしていた。
 普段、人形のようだと言われる茜ではあったが、笑顔を見せる方法を知らない訳ではな
い。むしろ克己達と話している時は、笑顔を見せる方が多かった。
 しかし逆に親しい相手でなければ、感情をなかなか表現出来ない分、無表情に見えるの
かもしれない。
 もちろん茜にも感情がない訳ではない。
 いろいろ思う事はあるのだが、友人といる時ほど素直に心を表に出す事が出来ないだけ
だ。外から見えるほど、茜は冷静で感情に乏しい訳ではない。だけど克己が思っているほ
ど、素直に感情を表す事も出来なかった。
 それでも今は笑おうと思っていた。
 理恵は茜とは違う。一人でいた事に不安を感じてもいただろうし、そこで出会った茜と
もそれほど親しい訳ではない。いろいろと心細いに違いなかった。
 だから何とか笑顔を浮かべていようと思う。そうする事で、少しでも理恵も笑ってくれ
ればいいと思えた。
 しかし思うような表情を浮かべられなかったのか、理恵は少し眉を寄せて、茜の顔を怪
訝そうに見つめていた。
「西野さんは、怖くないの?」
 訊ねる声は震えていた。
 理恵にとって、茜は感情のない人形のようで、親しみの感じられない相手なのだろう。
 もちろん茜だって恐怖を感じていない訳ではない。
 何とか平静を保っていられたし、冷静に考えられる思考も残していた。
 しかしそれだけだ。一人でいる事が心細くもあったし、寂しくもあった。だからこそ危
険を承知で理恵に声をかけたのかもしれない。
「怖いよ」
 どこか淡々とした声で答えてしまって、それからすぐに後悔する。
 もう少し親しみやすい声で返せたら、もっと仲良くなれるのかもしれなかったけれど、
なかなか茜にはうまくできなかった。
 その声は理恵にはやはり少しとっつきにくさを感じさせたのか、もういちど眉を寄せて
いた。
「そういう風には見えないかな」
「あ、うん。そんなことは、ないけど」
 答えた理恵の声は、どこか濁りを感じさせる。それが茜には寂しく思えていた。
 それでも少しは話せた事は、茜にとっては嬉しい事だった。茜にしてもこの事態に一人
でいる事は不安を感じていたし、人がいる事はほっとさせる。
 それに茜は意識してはいなかったが、理恵がきた事でやるべき事を見つけ出していた。
 今まではただ時間が過ぎる事を祈り、克己と話そう。それ以上の事は特別には考えては
いなかった。ただ教室から抜け出す事の危険性を知っていただけだ。
 しかし理恵が訪れた事で、茜は理恵を守らなきゃと無意識のうちに考えていた。
 理恵は大人しいけれど、その分、仕草や態度が可愛らしい女の子だ。こういう事態だけ
に、良からぬ事を考える奴らが現れないとは限らない。
 だから理恵を守ろうと思った。
 そして少しでも笑っていてくれたらいい。そう思っていた。
「そういえば、私と理恵とで二人でいるのは初めてかもしれないね」
 茜は何とか話のきっかけを作ろうとして、ゆっくりと話し始める。
 だけど、てっきり頷くとばかり思っていた理恵は静かに首を振るった。
「ううん、違うよ。西野さんは覚えていないかもしれないけれど、西野さんとは以前にも
話した事あるから」
「え?」
 茜は思わず訊ね返すと、それから過去をいろいろと思い返す。
 しかし理恵と同じクラスになったのは今年に入ってからの事だ。理恵は優と仲が良い事
もあって、たまに話しをする事はあるが、二人で話した記憶はない。
 ほんの一言二言ならあったかもしれないが、殆どが優を交えて話していたはずだ。
「やっぱり覚えていないかな。あの時はまだ入学してきたばかりだったから。でも、私は
よく覚えてる」
 理恵がそう呟いた瞬間。
 茜は「あ」と小さく声を漏らした。
 忘れていたけれど、そういえば記憶の中に確かに理恵の姿がある。
 ただこの時は理恵の名前も知らなかったし、クラスも違っていた。それに話したのもほ
んの少しの事だったから忘れていても不思議はなかった。
 でも、今あの時の事を思い出す。
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