さよならの鎖 (05)
 すでに先客がいるのではないかと考えていた視聴覚室には、他に誰の姿も見えなかった。
それどころか学校の中には、もう誰もいないのではないかと思えるほど静まりかえってい
る。
 本当は大声で茜の名前を呼びたい気持ちもあった。しかしあの銃声が本当にテロリスト
のものだとすれば、傍にまだいるかもしれないから危険な事は出来ない。
 克己は携帯電話を持っているが、残念ながら茜が所持していなかった。だから連絡をと
る事すらもままならない。
 テレビがあるのは視聴覚室と職員室だけだ。それだけに茜達もここにやってきているん
じゃないかと、淡い期待を少しは抱いていたのだが見事に裏切られていた。
 克己は奥歯を噛み締めるが、軽く首を振るう。もう茜と会えないと決まった訳でもない。
茜は克己の携帯の番号を知っているから、突然かかってくる事だって考えられた。
 とにかく今は情報を得る事の方が先だと、心の中で呟いて意識を奮い立たせる。
「とりあえずテレビをつけてみよう。まださっきのやつやってるだけかもしれないけど」
 克己の言葉に皆が頷く。
 英司がテレビのスイッチを入れると、ぶぅんと鈍い音が響いてブラウン管がゆっくりと
映像を映し出した。
 どうやらすでにテロリストの電波ジャックは終わっているらしく、代わりにニュースを
生中継で行っていた。
 自衛隊の自衛官達が、ジェラルミンの盾を持って道を閉鎖している。その奥には戦車や
装甲車の姿すら映し出されていた。
「自衛隊。一体、何を」
 英司が思わず呟く。克己もこの状況が理解出来ずにいた。
 それだけではなく、自衛官達は道を封鎖するようにして、鉄条網の壁を少しずつ構築し
ていた。とても簡単に人が乗り越える事は出来なそうな、かなり大きなものだ。
 その映像を映しながら、レポーターが白熱した声で実況をしている。
『みなさん、見えますでしょうか。さきほどの政府の発表通り、自衛隊による条南市閉鎖
が早くも執行されようとしています。ウィルスの急速な伝播を防ぐための緊急措置との事
ですが、このような事態が人道的に許されるのでしょうか』
 レポーターは自衛隊よりもかなり離れた位置にいるものの、映像はしっかりと閉鎖の様
子を映し出している。
「どういうことだよ」
 隆史が愕然とした様子で呟く。
 英司すらも顔色から血の気が引いているように思えたし、寛二に至ってはもはや泣き出
すのではないかと思うほどに顔が崩れている。
「考えたくはないですが、私達は見捨てられたということでしょう」
 英司の声は震えていた。今までの言葉はまだ落ち着きを感じさせていたが、今はそれす
らも残らない。英司自身も愕然として、全てを失ったような顔を浮かべるだけだ。
 ただそれでも英司は映像からいくつかの事を理解したようで、やや小声で呟くようでは
あるものの声を漏らしていた。
「ご存じの通り条南市は陸の孤島で、抜け出す為にはいくつかの決まったルートを取るし
かないですから。街を丸々一つ閉鎖するのも簡単です。だからまずは被害の拡散を防ぐつ
もりなのでしょう。恐らくテロリストがこの街を選んだのも、こうなる事を予測してのも
のだったのでしょうね。テロリストにしてもあまりにもウィルスが広がりすぎては逆に困
るでしょうし」
 どこか冷静な口調ではあったが、それでも英司も恐怖を感じているのは感じ取れた。い
つもよりも声が震えているような気もする。
 英司もあくまで普通の中学生だ。完全に冷静沈着でいられる訳ではないという事だろう。
「そんなぁ。だ、だったら俺達はどうしたらいいの」
 寛二は英司の顔をじっと見つめていたが、英司も何も答えられなかった。
 テレビの映像は、今もこの町を閉じこめる為の作業が進んでいる事だけを映し出してい
る。
 と、不意にレポーターの元にスタッフから紙が渡される。
『あっと、ここで緊急のニュースが入ってきました。ヘリコプターより条南町の繁華街の
映像を映し出す事に成功したようです。そちらにカメラを回します』
 どうやら街中の映像を映すらしく、その声に皆の意識もテレビへと再び集中していた。
 皆が無事にある事を祈って、映し出される中継を注視せざるを得ない。
 だがそこに映し出された映像は、とても正視できるようなものではなかった。
 鉄パイプのようなものを持った男が、商店街のガラスを叩き付けていた。割ったショー
ウィンドウの中から、宝石か何かを根こそぎ袋の中へとしまっている。
 その向こうで逃げまどう人を、刃物を持って追いかける人間がいる。男は大きく刃物を
振り回しながら、その顔を歓喜で満ちあふれさせていた。
 だが突如走り出してきた車が猛スピードで、その刃物男を跳ね飛ばしていく。男の体は
まるでゴムボールか何かのように跳ね上がると、身を捻りながらどこかの建物へと打ちつ
けられていた。
 しかし車もそこで止まる事なく、刃物男に襲われていた青年をも後からはじき飛ばして
いく。男はボンネットの上に転がって、男を乗せたまま車は走り続けていた。
 ヘリコプターの音が、街中の声はかき消していたものの、どこからか怨嗟の声が聞こえ
てくるかのような映像だった。
 街中のあちこちに赤い色が染みついていた。
 濃くなり過ぎて黒くすら見えるその風景は、あまりにも非現実的すぎて、初めは理解す
る事すら出来なかった。
 けれど見つめているうちに、それが映画やドラマなどではない事に気が付いて、喉の奥
から何かが込み上げてくる。
「う……あぁ……いやだ……いやだぁぁぁぁ」
 ついに寛二が大きく叫びながら泣き始めていた。
 英司は顔をしかめて視線を逸らしているし、克己も目を強くつむって歯を食いしばって
いる。皆、映像をまともに見ている事は出来なかった。隆史一人を除いて。
 隆史は繰り広げられる惨劇の映像を、じっと見つめ続けていた。
 ただその姿も何かに耐えるように体を震わせていて、痛々しくて苦しくなる。
 街中はどこもこんな風なのだろうか。克己は声には出さずに呟く。だとしたら、この辺
りはまだ平和なのかもしれなかった。学校の中からは、あれきり声が聞こえてきたりもし
ない。
 学校は繁華街から少し離れているところにあるだけに、人通りも少ないからだろう。
 だが先に逃げ出した人達は、ちょうどこの場に出くわしているのかもしれない。テロの
放送が流れたのは、ほんの一時間くらい前の事に過ぎないのに、もう人々は壊れてしまっ
た。
 自分が死ぬかもしれない。誰かにウィルスをうつされるかもしれない。目の前にいる人
はウィルス保持者かもしれない。もう自分は生きられないのかもしれない。
 そんな絶望と疑念の考えが、人々の心を突き動かした。こんなにも簡単に人は悪魔に変
われるのだと、この映像は知らしめていた。
 始めは誰か一人だったのかもしれない。ほんの少し粗暴な態度をとっただけだったのか
もしれない。
 だけどそれは急速に限度を越していく。
 まだ宝石店から貴金属を奪っていく男の姿が映っていた。こんな状況で金を得てどうし
ようと言うのだろうか。だけど彼はひたすら手に持った袋の中に、宝石を詰め込み続けて
いた。
 その向こう側で誰か女性が男に囲まれている。聞こえはしないけれど、悲痛な叫び声が
ここまで届きそうな瞳をしていた。
 その瞬間、映像がぶつっと途切れる。
 放送はスタジオへと戻されていた。あまりの衝撃的すぎる惨状に、放送を断念したのか
もしれない。キャスターの顔も、呆然として青ざめているようにも思えた。
 同時に隆史が立ち上がる。
「どこにいくんですか」
 英司の声に、隆史は睨むようにして振り返った。
「優を守る。他の誰にも傷つけさせやしない。俺が優を守るんだ」
 隆史は張り裂けるような声で告げると、もう皆の答えは聞かずに走り出していた。
 英司もそれを止めようとはしない。止めても無駄だとわかったのだろう。
「隆史っ。駄目だよ。外に出たら殺されちゃうよっ。いっちゃだめだ。隆史っ、置いてい
かないで」
 寛二は隆史の背中に向かって叫び続けていたが、隆史はそれは聞こえていないかのよう
に何も答えなかった。
 隆史のようにむやみに飛び出しても、出会える可能性は少ない事は、克己にはわかって
いる。いや、隆史とてそれは頭ではわかってはいるのだろう。
 しかし心はここで動かずにはいられない。じっとしている事なんて、とてもじゃないけ
れど出来るはずもなかった。
 克己とて今の映像を見たら、すぐにでも飛び出したいと思った。もしここにいるのが克
己一人だったのなら、何も考える事なく飛び出していただろう。
 ただここには英司がいて寛二がいる。英司一人であれば、冷静な彼の事だから何とかこ
の事態も凌いだかもしれない。しかし寛二は完全に誰かへと頼り切っている。
 元々寛二と英司の二人は、それほど仲が良い訳ではない。もしも克己までこの場を離れ
たなら、寛二はおかしくなってしまうかもしれない。あの映像に映っていた暴漢達のよう
に。
 不意に口の中に鉄の味が広がっていくのに気がつく。気がつかないうちに血が滲むほど
唇を噛み締めていた。
 どうしたらいいかだなんて克己にはわからない。
 好きな人を守りたい。
 そう強く願っているのに、隆史のようにこの場を飛び出す事も出来なかった。それが悔
しくて、でも寛二を見捨てる事も出来なくてただただ歯がゆく思えた。
 あるいは隆史に先を越されてしまったから、同じように振る舞う事が出来なかったのか
もしれない。
 克己は爪が食い込むくらい拳を握りしめると、崩れ去ろうとしている現実を強く噛み締
める。
 茜に会いたい。それだけを思う。
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