不思議の国の異邦人 (14)
「たかくんっ! たかくんっ、しっかりして」
 ありすは、目の前の高人に何度も語りかける。
 しかし高人には言葉が届かない。それどころか、高人は獣のように変わってしまった。
 どうすれば高人を元に戻せるのか。どうして高人がこうなってしまったのか。ありすに
はわからない。
 ただ高人はありすを救う為に魔法を使った。高人は普通に魔法を使う事は出来ない。そ
の高人が魔法を唱えたのだから、誰かから力を奪った。そこまではわかる。
 この場でありすと同じ四元魔法を使うの真理だけだ。ありすが力を使える以上、力を奪
い取ったのは真理からと言う事になる。
 そこで真理が高人によって力を増していた事を思い出していた。魔力は心と密接に関係
している。あまりに大きすぎる魔力は、心を壊す事すらあった。魔法使いに変な性格の人
間が多いのも、心の鍛錬を怠ったまま必要以上に力だけを求めた結果だ。
「つまり、たかくんは力をつけすぎたってことか」
 ありすは呟くと目を細める。
 今や高人は完全に別人と化してしまっている。ここまで心が壊れてしまった人間は、あ
りすも殆ど見た事がない。
「たかくん、しっかりして!」
 もういちど声をかけるが、高人は全く気がつく様子もなく、そのままありすへと向かっ
てきていた。
 ありすは慌てて横に避けると、とりあえず高人の捨てた杖へと駆け寄っていく。
 杖を拾うと、再び振り返り高人へと備える。
 壊れてしまった心を取り戻せるのだろうか。ありすにはわからない。
 しかしやるしかない。高人が遠くにあるのは耐えられなかった。親しい人が遠くに行っ
てしまう事は、ありすには何よりも辛い。
 だから高人を取り戻したかった。
 考えを巡らせる。
 高人は力をつけすぎたからおかしくなってしまった。なら簡単に考えれば力を失わせれ
ばいい。
 問題はその方法だ。
 ありすは高人のように、誰かの力を奪い取るなんて事はできない。ありすの使う四元魔
法で出来るのは、何かを生み出す事だけだ。
 教室の中に雪山を作る事も、海のように波を生み出す事も出来る。部屋の中の空気を真
夏のように、熱く変える事も出来た。
 炎の球を生み出す事も可能だし、さきほどの高人のように氷のつぶてを生み出す事も可
能だ。
 だがそれをしたからとて、高人の力が失われる訳もない。
 どうしたら。
 そこまで思い浮かべた瞬間。初めてありすに一つのアイディアが生まれてくる。
 だが、それはとても危険な方法だった。うまくいく保証なんて全くない。それどころか、
ありすの命が失われてしまう危険すらある。
「それでも、やるしかないか」
 ありすは拳を握りしめて、それから軽く頷いていた。
「がぁぁぁっ」
 同時に高人が咆吼を上げる。
 それと共に、高人の目の前に氷のつぶてがいくつも浮かび上がっていた。
「うわわわっ!? この状態でも魔法つかえんのっ? それ、ありっ。ありっ!?」
 ありすは慌てて悲鳴を上げると、目の前に転がっている杖を拾い呪文を唱える。
「ふぁいやーぼーるっ」
 ありすの生み出した火球が何とか氷を捉えると、二つの力は音を立てて消え去っていた。
しかし一瞬でも遅ければ、ありすは完全に氷づけになっていただろう。
「呪文も杖もあくまで補助とはいえ、何もなしで魔法使うなんて反則っ」
 ありすは言っても仕方がないとはわかってはいるが、それでも声に出して文句を告げる。
 それから後ろに数歩下がって、高人から少し距離をとった。
 ありすが試そうとしている方法をとるには、高人と接触しなくてはならない。しかし高
人が魔法を使えるなら、そう簡単には懐に近づけそうにもなかった。
 ありすが考えついた方法はただ一つ。
 ありすの力を全て高人に流し込む事。
 いま高人の力はほぼ限界近くまで溜め込んでいる。そこに無理やり力を流し込めば、水
を流し込みすぎたバケツのように、一気に溢れ出すはずだった。そうすれば溢れる事によっ
て、限界よりも魔力が薄れ、高人の意識が元に戻る可能性はある。
 だがそれは危険な方法だ。まずそうするには高人に触れる必要がある。いま獣のように
化してしまっている高人に触れる事は、それだけでも危険を伴う。
 また自分の力を流し込むという行為そのものが危険だった。そういった力を渡すような
行為は、本来禁忌に近いものがある。力は一度流し始めたら、自分の意志で止める事は難
しい。従ってそのまま力つきて死ぬ事だって考えられた。
 さらにそれで高人が本当に元に戻るかわからないこと。ありすの残った力を足したとし
ても、それが高人の限界量より勝っていなければ一貫の終わりだ。元に戻す云々には至ら
ない。
 最後に運良く高人の力を溢れさせる事が出来たとしても、イコール高人の意識が戻ると
は限らない。多すぎる力が高人の心を壊したのは間違いがない。しかし壊れた心を取り戻
すのに、力を消すだけでいいのかなんて事は、ありすにもわからなかった。
「それでも、やるしかないんだ」
 ありすはもういちど呟いて、そのまま身構える。
 高人を取り戻す為に。
 ありすはただ高人を取り戻したかった。
 その為には、もう他に方法はない。いちかばちかでも試してみるしかなかった。
「ぐがぁぁぁっ!」
 高人が大きな声で叫ぶ。
 そしてありすとへと向かってきていた。完全に獣のように化していて、高人の意志はそ
こには感じさせない。
 いつもの笑顔もなければ、どこか呆れるように怒る姿もない。何だかんだいいつつも、
結局はいつもありすに付き合ってしまう、高人の姿はそこにはなかった。
「たかくんは、こんなのじゃない!」
 ありすは思わず叫んでいた。
 高人をまっすぐに見つめて、それから杖を高人めがけて構える。
「こんなのじゃない。あたしの好きな、たかくんは!」
 叫びながら、ありすは杖を高人の喉元へと突きつける。
 半ば獣と化した高人は避ける事も出来ず、喉元に思い切り杖の一撃を受けていた
「がはっ」
 息を吐き出すようにして漏らすと、高人は喉を抑えて体を丸め込む。
「いまだ!」
 ありすは高人に向かって一気に飛び込んでいた。
 だが高人も簡単には触れさせてはくれない。飛び込んできたありすに向かって、立ち上
がりながら拳を振るう。
「うわをっ!?」
 ありすは間一髪でその手を避けると、目の前をぶんっと鈍い音が響く。遠慮無い力が込
められた拳は、ありす一人くらいは簡単に壊してしまいそうなほどだった。
「たかくん、待っててね。あたし、がんばるから。絶対、がんばるから」
 ありすは呪文のように呟くと、杖をしっかりと構える。
 ついさきほどまで高人が握っていた杖。ありすを助ける為に使った魔法。
 そのせいで高人は壊れてしまった。自分の為に高人は危険を冒した。そう思うとありす
の胸の中が強く痛んだ。
 こんどは自分が高人を助ける番だ。高人を助けたい。
 絶対に、元に戻したい。
 ありすは声には出さずに誓うと、まっすぐに駆けだしていた。
「がぁっ!」
 高人はうめき声を上げて、そのままありすへと向かっていく。
 高人は思い切りありすめがけて拳を向ける。
 ありすはその拳を避けようともしない。
「たかくん!!」
 ありすが叫んで飛び込んだ瞬間。
 びくんっ、と大きく高人の体が震えていた。
 何が起きたのかはありすにはわからない。ありすの呼び声に高人の心が反応したのか、
それとも大声で叫んだ事に驚いただけなのか。
 とにかく高人の動きはほんの一瞬だけ止まっていた。
 そして次の瞬間、ありすは高人を抱きしめていた。
 だが高人はそれに抗おうと、激しく暴れ出す。
 ものすごい力がありすを振り払おうとしていた。
 だけどありすは離そうとはしない。
 そして高人の目をまっすぐに見つめて、 指先にぐっと力を入れる。
「たかくん、戻ってきて。あたしは」
 呟いて、包み込んだ体に意識を集中する。
 その瞬間、ありすの魔力が一気に吹き出していた。
「うっ!?」
 高人が呻き声を漏らす。
 同時に高人の体がさらに激しく暴れ出していた。
 しかしこれだけの力が掛かっているにも関わらず、ありすの体は高人から離れようとは
しない。ありすはそれほど力が強い方ではない。それにも関わらず、振り払われる事は無
かった。
 力が高人に注ぎ込まれだした証拠だろう。
 体が高人に吸い込まれるように密着していく。
 高人とありすの魔力の波長は殆ど同じだ。だから二人は強く結びついていた。二人の力
は一つに変わっていく。強固に繋がって離れはしない。
 そして強く抱きしめたまま、ありすは心から願う。
「あたしは、待ってるから」
 ありすの呟きに答えるように、高人の体がびくんっと震えた。
 同時に二人の周りに氷が現れ、すぐにありすを包み込んでいた。
 高人の本能が身を守ろうとして作り出した魔法だ。氷はありすの体を次第に少しずつ固
めていく。
 体中が冷えきっていた。高人を必死で掴む指先が、かじかんで思わず離しそうになる。
こうして触れているだけでも、寒さで体中が痛む。
「たかくんは、私を拒むのかな?」
 ほんの少し小さな声で、ありすは思わず呟いていた。氷の生み出した冷たさは、ありす
の体中を苛んで激しく痛みを生み出していた。
 この手を離せば楽になるのだろうか。高人は自分と一緒にいる事なんて望んでいないの
だろうか。思わず考えてしまう。
 だけどすぐに目を強く瞑り、そして大きく開いた。
「でも、どんなに拒絶されてもっ、あたしはっ、あきらめないんだから!」
 ありすの叫びが響いたと同時に、ぴぃんっと鋭い音が発せられる。
 そしてありすを包み込んだ氷が、完全に粉砕されていた。
 ありすの心が、高人の魔力を弾き飛ばしていた。いや、二人の力が共鳴し、ありすの願
いと高人の魔力が一つに生まれ変わっていたのだ。
 そして高人とありすの二人の波長が、完全に一つになって光と化す。
 その光はそのまま二人を包み込んでいく。
「たかくんっ。ここに戻ってきて!」
 ありすは大きく叫ぶ。
 そして残った力を一気に注ぎ込んでいた。
 今まで以上急激にありすの力は失われていく。同時に意識が少しずつ遠のいていく。
 魔力は心と同じものだ。魔力を失うという事は、心を失うこと。
 ありすの心は高人の中に必死で入り込んでいく。
 その代わり、ありすの中から意識が薄く変わっていた。
 それでも必死で意志を保とうとして、握った手に力を込める。
 まだ高人は戻ってこない。高人の許容量は限界を越えてはいない。
 高人にはありすの心が届いていない。
 ありすの力が失われていく。
 もう体に殆ど力が残っていない事はわかっていた。もうほんの一握りの力しか、ありす
には残されていない。
 いま離れなければ、ありすの方こそ完全に力を使い果たし、倒れる事になる。ありすの
意識は完全に失われ、もう二度と起きあがる事すら出来なくなってしまうかもしれなかっ
た。
 高人を元に戻す方法は、ありすには思いつかなかったけれど、他にもあるのかもしれな
い。絶対にこうしなければ高人を戻せないとは限らない。
 だからありすは手を離すべきだった。そうしなければありすという心は、どこかに消え
てしまうのだから。
 それでもありすは高人を抱きしめ続けていた。
 いま離れれば、もう取り返しが付かない。そんな気がしていた。
 ありすの注ぎ込んだ心は、もう届かない。高人には二度とありすの心は通じない。
 いま高人とありすの心は確かに繋がっている。一つになっている。
 本当はそうではなかったのかもしれないけれど、ありすにはそう感じられた。
 だから最後まで諦めない。高人に戻ってきて欲しいから、ありすはいつまでも力を注ぎ
続けた。
 戻ってきて。戻ってきて。たかくん、早く早く戻ってきて。
 ありすは心から願う。
 ありすは絶対に諦めようとはしない。
 高人の意識が戻るまで。もしくは体中に残された魔力を一滴残らず注ぎ込む、その瞬間
までは。
 ありすに残された、ほんの一握りの力。
 その最後の力が、高人へと入り込んでいく。
 ありすの全ての力が失われていた。
 もはや完全に身動き一つ出来ないはずだった。
 ありすの心が少しずつ白に変わっていく。
 意志は失われていく。
 だけど、それでも。
 ありすは最後に高人の名を呼んでいた。
「たかくんっ!!」
 その声は確かにはっきりと響く。
 ありすにはもう力は残されていないというのに。
 ありすの願いが、強く辺りに伝わっていた。
 だけどその叫びを最後に、ありすの体から力が抜けていく。
 もう全ての力を完全に失っていた。
 後には何も残らない。
 頭の中が白く染まり、視界は完全に失われていた。
 遠のいていく意識の中で、最後に高人の顔を見つめようとする。
 たかくん。あたしは、駄目だったのかな。あたしは、選ばれなかったのかな。たかくん
は、あたしの事嫌いだったのかな。でもね、あたしはね。最初から。
 声にはならない呟きを漏らす。だけどもう、ありすの目は何も捉える事は出来なくて、
高人の姿は感じられなかった。
 全ての力が抜ける。
 そしてありすの体が崩れ落ちようとして、滑り落ちていく。
 まるで支えを無くした操り人形のように。
 急激に地面へと倒れ込もうとする。
 その体を。
 慌てて両腕で支えていた。
 まっすぐにありすを見つめる高人が、その腕で。
「ありす、死ぬなぁっ!」
 高人の叫びが世界中に届かせようとするかのごとく、響きわたった。
 その瞬間、辺りはまばゆいばかりの光に包まれていた。
 その時だけは。
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