不思議の国の異邦人 (13)
「ええっ、なんで力が使えるの!? たかくんが力は奪い取ったはずなのに!」
 ありすが珍しく驚いた声を上げていた。さすがのありすも、突如現れた蛸には驚きを隠
せない様子だった。
 太郎はその声に気をよくしたのか、高笑いを交えながら胸を張って答える。
「ふはははは。藤村高人がポチ様の力を奪い取ろうとした時、私の力は復活した。どうや
ら藤村高人の力を奪うセレクタも、誰か一人に対してしか使えないという欠点があったよ
うだな!」
「……そうだ」
 高人は苦々しく答えると、目の前の太郎を見つめていた。
 王者の権力は強大なセレクタではあるが、力を与えるにも奪うにも、それぞれ一人ずつ
に対してしか行う事は出来ない。
 こと戦いに置いては、一対一であればかなり有用な力ではあるが、多人数を相手にすれ
ばそれほど強大な力とは言えない。また太郎やポチのような回避方法もある。
 そもそも高人の持つ力を奪う能力と言うのは、誰かに力を与える事によって生じた魔力
の隙間に、他の人の力を押し込むだけの事だ。本来の力と言うよりも、人に力を与える能
力の副産物のようなものだった。
 また力を与えていない状況で使えば、逆に魔力が満ちすぎてしまい、自分の精神を破壊
していく。
 エルと戦った時に、高人はエルの力を奪ったが、その途端、高人は何もかもを破壊した
いような強い衝動に駆られた。あれは力の副作用だったのだろう。それでもまだ冷静にい
られたのは、運が良かったという他はない。
「けどあんたは今、一人だろう。だったらまた力を奪い取ればいいだけだろ。蛸は消えな
いかもしんねーけど、あんたが蛸に力を与える事は防げる。それならありすの魔法で一発
だ」
 高人は言いながら、ちらりとありすを横目で見る。
 ありすは親指を立てて、突き出してきた。どうやら任せておいて、という事らしい。
「ふはははははっ。そうはいかんぞ、藤村高人。みろっ、あれを」
 太郎が指さしたその先に、いつのまにか気を取り戻しているポチの姿があった。恐らく
は真理と利根が戦っている間に、太郎が助け起こしたのだろう。
「ポチ!?」
「だーら、ヤブ・ウェンリーだというとろうが!?」
 ポチは相変わらず抗議の声を上げていたが、もちろん誰一人として聞いてはいない。
「さぁ、ポチ様。二人で力を合わせて藤村高人を葬り去りましょう。さぁさぁさぁっ」
 太郎の声にポチは眉をひそめて、もういちど叫ぶ。
「ポチいうなぁぁぁぁっ。まぁ、いいっ。とにかく真理の奴も蛸に巻き込まれて気を失っ
ている。これは絶好のチャンスだ。やるぞ。太郎」
 ポチは銀の仮面の位置を指先で調整してすると、そのまま両手を掲げ赤色の球を生み出
していた。
「くくく。いま私はこの腐敗球を生み出す事しか出来ないが、太郎の力を奪えば残りの力
も復活し、腐敗球以外の術も唱える事が出来るようになる。かといって私の力を奪い取っ
ていれば、蛸は傷ついても太郎の力で復活し、そうそう倒すことは出来ないぞ。さぁ、ど
うする藤村高人。この小娘一人では、対応できまいて」
「むー、小娘いうなっ。ならあたしの力をみせてあげる。ふぁいやーぼーるっ!」
 ありすの呪文に答えて、火球が生み出されると、その火球はポチめがけて飛んでいく。
 だがその火球を防ぐようにして、大蛸の触手がポチの前にのびる。
 触手に火球が当たると、ブシュウ、と鈍い音と共に湯気を立てて蒸発していた。
「ふぁいやーぼーるが効かない!?」
 ありすが思わず声を漏らしていた。
 さきほどの対決の時には、一撃でほぼ圧倒していた呪文に、いまは蚊に刺されたかのよ
うに平然とした顔をしている。
「ふははは。本来、蛸太郎は多少の術を受けようとも無効に出来る力があるのだ。だがそ
れには私の魔力が不可欠。よって力を奪われていない今なら百パーセントの力を発揮する
事が可能! そんな術など屁でもないわっ」
「ふっ。そうとも。私の腐敗球も、今のような間接的な力でなければ、威力か違うぞ。藤
村高人。これでお前に勝ち目がない事ははっきりしたな! どっちの力を奪っても、もう
あの小娘では太刀打ちできん!」
 太郎とポチが高らかと宣言する。
 この二人、似たもの同士で嫌だなと高人は眉を寄せる。闇の組織というのは、こういう
奴らしかいないのだろうか。
 しかし太郎とポチの力が驚異である事は間違いない。今まで簡単に勝ててしまった為に、
実力を過小評価してしまっていたのもあるが、これだけの力を持っているとは思いもしな
かった。
「くそ。どうすれば……」
 高人はこの二人にどう対応すれば良いか、全くわからなかった。
 太郎の力を奪い取れば、蛸は倒す事が出来る。しかしそうすればポチの力が復活し、腐
敗球にやられる。逆にポチの力を奪ったままでも、蛸にやられる。
 高人は奪い取った力を使う事も出来るが、魔力と一口に言っても、ポチから奪った力は
あくまでも魔法を制御する力に過ぎない。魔法を生み出す源となる力は、殆ど仮面の中に
込められている。
 ポチが制御力を奪われても腐敗球を使う事が出来るのは、それが得意な魔法であり殆ど
制御に難がない為だ。高人自身にはあまり魔法の源になる力はないから、従ってポチの力
では殆ど何も出来ない。
 もっとも高人は魔法に対しての知識がある訳ではない。魔力があったとしても、それと
うまくあわせて魔法を使う事は出来ないだろう。あくまで奪い取った力を、今まで相手が
つかっていたのと同じように使えるだけだ。
 ではポチの力ではなく、太郎の力を奪い使えばどうか。太郎の力は獣魔を生み出す力だ。
しかしその制御は、いくつかの儀式にともなって初めて通じる。今のままでは呼び出すだ
け呼び出しても操る事は出来ない。
 誰か倒れている相手から力を奪う事も出来るが、そうすればポチの力は戻る。つまり二
人を抗えるだけの、強大な力を得なければいけなかった。
 梨花の力ではとても二人と抗えるとは思えなかったし、玲央は何も力も持っていない。
利根の力は宝玉の効果で奪いとる事が出来ない。
 真理の皇帝の指揮が使えればかなり有利にはなるのだが、残念ながらあくまで個人の素
質であるセレクタは、高人の力でも奪う事は出来ない。
 完全に八方ふさがりだった。
「ふはは。藤村高人。年貢の納め時だな」
「ふっ、腐り果てるが良い!」
 太郎とポチが思い思いに好き勝手な事を告げる。
 どうすればいい。高人は心の中で呟く。
 だけど答えは出なくて、思わずその手を握りしめた。何とかこの場を切り抜ける方法を
見つけようと、幾重にも思考を巡らせる。
 しかしその答えが浮かぶ前に、不意にありすが高人の名を呼んでいた。
「たかくん」
 その声に振り返って、高人はありすの方を見つめる。
 いつものありすと違う、どこか真剣な眼差しに、思わず高人の胸が震えてた。
 ありす寂しげに笑みを浮かべると、持っていたワンドを軽く振るう。同時にありすのワ
ンドは一本の箒と化していた。
 その箒をそのまま高人へと手渡す。
「たかくんは梨花ちゃんと玲央くんを連れてその箒で逃げて」
「なっ。馬鹿いうな。お前はどうするんだよ」
 高人は思わず聞き返していたが、もう答えをきかなくても、ありすが何をしようとして
いるのかはわかっている。真理の屋敷の時と同じ。高人が逃げる間の時間稼ぎをするつも
りなのだろう。
 だかあの時は、真理が相手だからこうして無事でいられた。真理は強引なところもある
が、相手を傷つける事を好みはしない。
 しかし目の前にいる奴らは、間抜けな二人組とはいえ、闇の組織などという裏組織の一
員だ。今も高人を殺そうとしているくらいなのだから、ありすが無事でいられるとは思え
なかった。
 あまりに皆が強烈に馬鹿なキャラをしていたため、いまいち彼らに恐れを感じる事は無
い。しかしそれでも奴らは、禁忌とされている魔法に平気で手を出すような奴らなのだ。
「馬鹿いうな。そんなことしたら、お前がどうなるか!?」
「だってそうしないと、たかくんが殺されちゃうかもしれないから。そんなの、私は嫌だ
から、だから、逃げて!」
 ありすは言い放つと、そのまま蛸に向かって駆け出していく。
「ありす!」
 高人は思わずありすを追いかけようとするが、それを遮るように蛸の触手が高人へと降
り注いだ。
 慌てて避けるが、その間にもありすは蛸のすぐそばまで近づいていた。
「まりくと・れい・いるあねす・ぬる。黄昏より来たりし金色よ! あたしの声に応えな
さいっ。ふぁいやーぼーるっ!」
 ありすの呪文に答えて火球が浮かび上がるが、ありすの使う魔法には杖の補助が必要だ。
杖が無くとも使う事は出来るが、本来の威力を発揮する事はできない。
 だが杖はいま高人が手にしている。ありすの突撃は多少の時間稼ぎにはなるが、決して
相手を傷つけられるとは思わない。
「ふははは。全快の力の蛸太郎に、その程度の力が通じると思うてか。向かってくるなら、
まずはお前からだ。蛸太郎の恨み、晴らしてやるわっ」
 太郎の声が嬉しそうに響く。
 完全に勝利を確信した声だった。それはそうだろう。杖があってすら、蛸はありすのファ
イヤーボールに耐えた。杖なしの術など、ものの数にも入らないだろう。
「そんなのっ!」
 たがありすは頭上に手を掲げると、生み出した火球を大きく上空に浮かす。
「あんたを倒しちゃえばいいんだっ!」
 ありすの声と同時に、火球は太郎めがけて降り注ぐ。
「うおぅ!?」
 蛸の上にいる太郎には、確かに避ける場所はない。蛸の手が慌ててカバーしようとする
が、間に合わない。
「いっちゃえーっ!」
 ありすの号令で火球が太郎を捕らえる。
 そう見えた瞬間だった。
「ばかめっ、私の存在を忘れたか!」
 聞こえてきたのはポチの声だった。
 太郎へと火球が当たるよりも先に、赤い球が火球へと衝突する。
 ぶしゅぅっ、と鈍い音が響き二つの球は相殺される。
「なっ!?」
 高人は思わず叫びを上げていた。
 ありすのファイヤーボールは、さっき確かにポチの腐敗球を打ち破りポチを捉えた。だ
が今は、ありすの術とほぼ同等の威力があるようだった。
 もちろんありすの力が杖なしで弱まっている事もあるだろう。しかしそれにしても、さ
きほどの腐敗球と比べれば威力が増しているように思えた。
「ふっ。さきほどは数を分裂させたから威力負けしただけのこと。一つの術に威力を集中
させれば、これくらい屁でもない」
 ポチの言葉に、ありすが悲痛な顔を浮かべていた。実際にポチの力は確かに増している。
さらにありすが杖を手にしていない事も、その一因となっているのだろう。単純な術の力
だけでいえば、本来はありすの火球の方が強い。だが今のありすの力は、いつもよりもや
はり弱々しい。
「たかくんっ。逃げて!」
 ありすの声に高人の胸が震える。
 ありすの術では両方は防げない。同時に攻撃されれば、ありすの命は危ういだろう。
 ここで逃げる訳にはいかなかった。そんな事をすれば、高人は一生後悔する事になる。
 だが、どうすればいい。どうすれば。高人は心の中で、何度も繰り返す。ありすは杖が
ない為、全力で力を使う事も出来ない。
 杖は高人が持っている。しかし手渡すには遠すぎる。
 ありすの力を奪い、高人が使う事は出来る。しかしそうすれば、ありすは完全に身を守
る術がなくなってしまう。またありすの力では、二人を同時に倒す事は出来ない。
「ふっ。さぁ、わが腐敗球を食らうがいい!」
「ふははは。蛸太郎、怒りの一撃!」
 そうこうしている間にも、二人は大きく叫んでいた。そしてありすへと二人の攻撃が向
かう。
 俺が力を使えれば! 高人は声にはせずに叫ぶ。
 その瞬間。
 高人は、杖を振るっていた。
 そしてはっきりと閃く。
「マリクト・イヴ・ラーグ・デルシャ。氷よ、かの者を撃て! アイス・コフィン!」
 ついさっき真理が唱えた呪文を。
 高人はとっさに真理の力を奪い取っていた。セレクタではない、魔法の力を。
 だがそれは危険な賭だった。真理にはいま高人の力が付加されている。従って真理の力
を奪えば、エルの力を奪った時と同じような現象が起きる。いや、もしかすると自身の力
で増幅した力を奪うのだから、よりひどい事になるのかもしれない。
 けれど高人には、それしか方法が残されていなかった。
 氷のつぶてが一気に二人へと襲いかかる。
「な、なにぃ!?」
「ばかなっ」
 二人は各々驚きの声を上げていた。
 だが彼らもただではやられない。高人の魔法をポチの腐敗球が捉え、つぶてをかき消し
ていく。さらに残ったつぶてを大蛸の腕がガードしていた。
「ふっ。残念だったな、藤村高人。お前の攻撃は防いだぞ」
 ポチの声が響く。だかその次の瞬間。かぁっとオレンジ色の輝きが放たれる。
「寝言は」
 ありすの声が響く。
「ねていえっ。ふぁいやーぼーるっ」
 ありすの叫びと共に、大きな火柱があがっていた。
 さすがにこのタイミングでは、もう防ぎようがない。ポチの全身は炎に包まれて、ぶす
ぶすと鈍い音を立てていた。
 そしてありすの向こう側で、焦げたポチがばたりと倒れる。
「うわわわっ。ポチさまっ!?」
 太郎が慌てた声を上げていたが、ありすはその隙を見逃さない。
「もういっぱつ!」
 ありすの叫びと共に火球が放たれ、こんどは太郎が大きく吹き飛んでいた。
「やったね! ぶいっ」
 ありすはVサインを見せると、そのまま高人へと駆け寄っていく。
「たかくん、たかくん。よかった。無事だね」
 ありすは微笑みながら、高人へと話しかける。
 しかし高人は何も答えは返さない。いや、返せなかった。
「たかくん?」
 ありすがもういちど高人の名前を呼ぶ。
 その声も高人には聞こえていない。
 高人の中から真っ黒な心が浮かび上がっていた。激しい衝動が高人の中に伝う。
 殺せ、壊せ、全てを滅ぼせ。
 高人の胸の中で思い浮かんでくる衝動。体が震えていた。
 必死でそれを抑え込もうとして、息を飲み込む。
 高人の体には、真理から奪った過剰な魔力が渦巻いていた。
 自分の力で急激に増した真理の力は、高人の心を一気に飲み込んでいく。
「たかくんっ、たかくんっ!?」
 ありすが必死に高人の名前を呼んでいた。だがその声は聞こえてはいるのだが、声を返
す事すらうまくいかない。
「……あり……す」
 高人の中に渦巻く感情が、ありすの名前を何とか告げさせていた。
 しかしこれ以上、ここにいる訳にもいかない。恐らくそうすれば、高人はありすを破壊
してしまうだろう事はわかっていた。
 力を真理に戻さなくては。
 高人は震える指先を真理へと向ける。
 いや、向けようとした。その瞬間。
 勝手に腕が、ありすのほうへと動き出していた。
「たかくんっ!?」
 高人の手がありすへとのびる。
「にげ……ろっ」
 なんとか高人は呟いていた。
 だが、それが高人に出来る最後の抵抗だった。
 高人の肌が浅黒く変わっていく。そして高人の瞳が赤く染まる。まるでもはやこの体は
高人自身のものではないと、示すかのように。
「たかくん!? どうしたの、たかくんっ」
 ありすが心配して高人を見つめていたる
 だが高人には何も出来ない。
 逃げろ、ありす。逃げてくれ。
 心の中で願うが、それは声にはならず、届かない。
 高人の体は持っていた杖を放り投げると、ありすへと向かって駆け出していた。
「たかく……っ」
 ありすが何か呟くよりも早く、高人はありすの喉元を掴む。
「やっ」
 ありすが声を漏らすと、高人はそのままものすごい力でありすを放り投げていた。
「いぁっ!?」
 ありすは叫び声を漏らすと、地面に思い切り打ち付けられる。
 高人の意識はどこか心の奥底に封じ込められたようで、高人の意志では全く体が言う事
を聞かない。高人はありすを傷つけたくなんてないのに。
 殺せ、壊せ、破壊しろ。
 高人の頭の中をもういちど強く衝撃が走る。金槌で釘を刺されたかのような痛みが、何
度も何度も鳴り響いた。
「ぐがぁっ……ぐわうっ!」
 高人の喉から漏れたのは、まるで獣のような咆吼。高人に出来のは全身に伝う痛みに耐
える事だけ。
 頭の中が次第に真っ白になっていく。何も考えられない。何もわからない。
「たかく……ん」
 ありすが立ち上がり、高人を驚きに満ちた瞳で見つめていた。
 それも無理のないことだろう。高人は今や見た目からして全くの別人で、口から漏れる
言葉は動物のものと変わらない。
 もはや高人は高人ではなく、異形のものと化したように見えただろう。
 高人の小声の中から、全てが消えていく。
 殺せ、壊せ、破壊しろ。
 頭のどこかで命令してくる、その言葉に従えば、どんなに楽しい事か。誘惑のように高
人に迫る。
 高人はありすから渡された杖を、目の前に落としていた。もはや考える事すらままなら
ない。
 そうだ。殺せばいい。壊せばいい。全てを破壊してしまおう。
 頭の中で不意に思う。
 その瞬間。高人の中から、全ての心が消え去っていた。
Back Next
良かったら読んだ感想を下さい!
タイトル
お名前 (必須)
メール

★このお話は面白かったですか?
すごく面白かった  面白かった  まぁまぁ面白かった  普通
いまいち  つまんない 
★好きな台詞があれば


★印象に残ったシーンがあれば


★その他、感想をご自由にどうぞ!