不思議の国の異邦人 (10)
 そもそも完全に無関係の猫が逃げたといって、このな馬鹿に恐れをなしたと思われては
たまらない。
「なにっ!? く。藤村高人め。よくも私を謀ったな!? どこだっ、どこにいる!?」
 しかし男は未だに気が付いていないようで、それでも辺りをきょろきょろと見つめてい
た。
「あのなぁ。お前、いちど脳みそ洗って出直してきた方がいいんじゃないか?」
 高人がしみじみと告げると、男は初めて気が付いたように高人の方へと振り返る。
「なにっ!? 貴様、言っていいことと悪いことの区別もつかぬか!? 何者だ。名を名
乗れっ!?」
「俺か? 俺は藤村高人だよ」
 高人は仕方なくぼそりと呟く。
 あまり関わり合いになりたくはなかったのだが、目の前で卑怯者呼ばわりされ続けるの
もいいかげん癪だった。
「藤村高人か。覚えておこう。貴様は藤村高人の次に私の力を知らしめてやるからな! 
……ん? 藤村高人?」
 男はしばらく首を捻りながら、唸っていたが、やがて目を大きく開いて高人を指さして
いた。
「貴様が藤村高人か!? くっ。だましよって! なんという卑劣な奴だ! 魔法使いの
風上にもおけぬわ!」
 男は大声で叫んでいたが、高人はただ溜息をつくことしか出来なかった。
「騙してねぇ。お前が勝手に間違えていただけだっつーの。で、俺に何のようだよ?」
 高人は呆れながらも、なんとか聞き返す。
 その隣で、ありすがお腹を押さえて大笑いしていたが、とりあえずそれは気にしない事
にする。
「ふはは。藤村高人! 私は闇の組織よりきた刺客! 蛸使いの赤い旋風。太郎!」
 太郎と名乗った男が高笑いを上げると、同時に蛸が太郎を掴み、自分の頭の上に乗せる。
そのまま高い位置から、高人を見下ろしていた。
「よし、蛸太郎。藤村高人を倒し、我らが栄光を取り戻すのだ! やれ、蛸太郎」
「ぶもももーーーーーーん」
 太郎の叫びに答えて、大蛸が腕を振り上げると、そのまま高人へと叩きつけるように落
とす。
 高人は慌ててその腕を避けると、回転するようにごろごろと体を捻らせた。
「うわっ!? てめぇっ、なにしやがる」
「ふっ。しれたことっ。貴様があの女どもに力を貸したせいで、わが闇の組織は大打撃だ。
すでにあの女の力に騙されて、我らが偉大なるリーダー、ラインハルト様が捉えられてし
まった。だが! あの女の力が増したのは、藤村高人! 貴様のせいだという情報はすで
に得ているのだ。つまり貴様が死ねばあの女は力を失い、ラインハルト様が再び降臨され
る。つまり簡単にいえば、死ね、藤村高人! ふはははははは!」
 太郎の高笑いに答えるように、蛸が再び八本ある手をつかって、次々に襲いかからせる。
 高人は何とかそれらを避けていくが、しかしいくらなんでも、このままではいつまでも
は避けきれない。
「ち。なら、お前の力を奪い取ってやる!」
 高人は頭の中で念じると、その手を太郎に向けて伸ばす。
 高人はすでに力を与える術も奪う術も、完全に身につけていた。
「これが俺のセレクタ、王者の権力だ!」
 高人が叫んだ瞬間。
「ダサッ、ダサッ!」
 いつの間にかやってきていたプランタンがつっこみの声を漏らす。
「うるさい! 焼いて食うぞ!? ゴラァ」
 高人はプランタンに向けて手を振るい追い払うと、もういちど太郎の方へと向き直る。
 太郎は全ての力を奪われ、まともに高人に抗う事は出来ない。そのはずだった。
「ふははははは! ばかめ、藤村高人。お前に力を奪う能力がある事くらい先刻承知! 
私の力は獣魔召還師。確かにいま私の力は奪われ、新たな獣魔を召還したり合成する事は
出来ない。だがすでに生み出された獣魔の力まで奪う事は出来まい!」
 太郎は高らかに笑うと、同時に大蛸が両手を上げて喜んでいるように見えた。
「さぁ、いけ、蛸太郎! 藤村高人を踏みつぶすのだ!」
 太郎の命令に答えて、蛸太郎がぶももーーんと雄叫びを上げる。
「う、うわわわっ。やめろこらぁ!?」
 高人は悲鳴をあげながら、くるりと背を向けた。そしてそのまま猛ダッシュで一目散に
離脱する。。
「あっ、まて逃げるか!? く。おえっ、蛸太郎!」
『ぶもももーーん』
 高人の背中を、蛸がうにょうにょとうねりながら追いかけ始める。
 もっとも巨体のわりに、あるいは巨体だからかスピードは大した事がなく、高人が走る
のと大して変わらない。
 だがさすがにリーチは違う。蛸の手のうちの一つが、高人に向けて一気に振り下ろされ
る。
「うわっ」
 高人は叫びながらも、なんとか飛び退いて避ける。
 だが同時に砂埃がぶわりと軽く上がった。砂で視界が遮られている。
 この状態で一撃を受ければ、とうてい避けきれるものではない。
「……ふぁいやーぼーる」
 しかしその次の瞬間。ありすの一言で、大蛸は炎に包まれていた。
「うあちちちちちっ!?」
 太郎は叫びながら、大蛸の上から飛び降りる。
 そして次炎に包まれた大蛸を見つめながら、大粒の涙を流していた。
「あああっ。た、たこたろうーーーーっ?」
 どうやら太郎はありすの存在を忘れていたようだった。
「その蛸の命が惜しかったら、たかくん襲うのやめようね?」
 ありすは隣でにっこりと微笑んでいる。
 少し怖いと思った。
 大蛸は悲鳴を上げながら、身をくねくねとくねらせると、なんとか火を消している。
 しかしすでに満身創痍の状態で、もういちど炎を受けたら、そのまま息絶えそうだった。
「蛸太郎!? 大丈夫か!?」
『ぶ……ぶももも……ん』
 太郎の声に大蛸は力無く答えると、よたよたと体を捻らせる。
「ううう。蛸太郎。く、ひどい、あんまりだ。ヒトデナシ」
 太郎は寂しそうにうなだれていた。
 どうやら蛸がやられた事が、かなりショックだったらしい。
「って、俺を殺そうとしてたのはいいのかよ!?」
 高人は慌てて抗議を声を上げるが、
「それは闇の組織の為! 藤村高人が敵対する奴らに力を貸すのが悪いのだ!」
「……ありす。その蛸、燃やしちゃってくれ」
 高人は呆れながら呟く。
「うわわわっ!? わ、わかった!? やめてくれっ。蛸太郎は私の唯一の友達なんだ!」
 太郎がかなり情けない事を呟いていた。
 蛸が友達っていったい、と思わなくもないのだが、あまりにかわいそうなのでつっこむ
のはやめにしておいた。
「いや、まぁ、いいけど。とにかく、俺を狙うのはもうやめろ」
 高人が呟く。何にしても呆れてこれ以上、何も言えなかった。
「く。この場はひいてやろう! だが! 闇の組織は決してお前達を許さな」
「ふぁいやーぼー」
 太郎が皆まで言う前に、ありすが呪文を唱えようとしていた。
「うわわっ。まてっ、うんっ。あれだっ。平和が一番だよな!」
 太郎は慌てて首を振るうと、ありすの方をじっと見つめていた。
 高人はとにかく疲れを覚えて、溜息をつく。
 この調子でいると、次々に闇の組織とやらから刺客がやってくるのだろうか。
 しかしこんなぼけた奴ばかりであればいいが、闇の組織と言うからには、中には非道な
人間もいるだろう。またもっと強い力の持ち主に不意打ちされたとしたら時、必ずしも対
抗出来るとは限らない。
 そうした時、ありすや梨花、玲央にも被害が及ばないとは限らなかった。
「おい。太郎!」
「な、なんだ藤村高人?」
 太郎と呼ばれた男は、少し怯えながらも振り返る。
「その蛸は助けてやる。その代わり、お前の組織まで案内しろ」
 高人はじっと男の方をみつめて、それから大きく溜息をついた。
 もはやこうなっては、闇の組織とやらをたたきつぶすしかないと、高人はそう思ってい
た。
「たかくん、本気?」
 ありすが隣で驚いた顔で聞き返してくる。
「本気だよ。闇の組織だかなんだか知らないが、どうせこのまま放っておいても、どんど
ん刺客が送られてくるんだろ? なら、いっそぶっつぶしてやった方がてっとりばやい」
「まぁ、それはそーかもしれないけど。いくらたかくんが力を使えるようになったからっ
て、一人で組織をぶっつぶそうなんて、無理があるんじゃないかなぁ。いくらあほで間抜
けな組織とはいっても!」
 ありすはしれっとした顔で呟いていた。
「あほで間抜けとは何だ!」
 太郎が抗議の声を上げたが、ありすが一にらみしたと同時にしゅんとした顔を見せる。
もはや最初の勢いはどこにもなかった。
 しかし確かにありすと言う通り、組織を一人で倒せるとは思えない。相手の人数もある。
高人の使う相手の力を奪う能力は、実は一人に対してしか使えない。その事はいまのとこ
ろ高人本人とありすしか知らないはずだが、どんな力に限界がある。
 それに一人しか奪えないという事は知らなくても、さすがに組織の人間全ての力を奪え
るとは思わないだろう。
 従って人数で掛かれば何とかなるという発想が、浮かんでこないとは限らない。いや浮
かんでくる方が自然ではある。
 しかし高人は奪い取った力を使用する事も出来た。それゆえにこのままなら、相手から
危険な賭けを行ってくる事は、まずないだろうと高人は思う。強力な魔法使いの力を奪わ
れれば、それだけで窮地に立たされる事になる。その為に今回も、力を奪われても問題の
ない相手を送り込んできたのだろう。
 だが高人から攻め込むとなれば話も違ってくる。やられるなら一か八かと複数で掛かっ
てくる可能性は少なからずあった。
 しかし高人はここで引き下がる訳にもいかなかった。このままでは高人だけではなく、
他の人間にまで関わらせてしまう危険性もあった。いやすでにこの状態がそうとも言える。
もしも校庭に誰かがいれば、蛸に大けがをさせられていたかもしれない。
 それにしては全く誰も見物人がいないのは気になったが、今回もありすの遊びだと思わ
れているのだろうか。
 高人はありすへと振り返り、一つだけ溜息をこぼした。
「俺だってあほで間抜けな組織といえど、なめている訳じゃない。それでもこのまま放っ
ておく訳にはいかない。だから」
「なら、あたしもいくよ」
 高人が皆まで言い切る前に、ありすはにこやかに微笑みながら告げる。それから高人の
顔を、真剣なまなざしでまっすぐに見つめていた。
「え?」
「たかくんに万が一の事があったら、あたしも嫌だから」
 ありすはどこか瞳を潤して、高人へと視線を投げかける。
 その瞳に高人は胸が、一瞬だけきゅっと締め付けられるような気がした。
「ありす」
 ありすの名前を呼んで、高人は高まり始める鼓動を何とか抑える。
 こ、これはもしかして。そう思えば思うほど、心臓がばくばくと音を立てた。
 そして高人が大きく息を吸い込んだ、その瞬間。
「からかう相手がいなくなっちゃうもんねぇ」
 ありすはいいながら、からからと笑い出していた。
 ずるっと、高人の足が滑る。
「俺はそんなんかよっ!?」
「うん!」
 思い切り頷いて肯定されていた。
 屈託のない瞳だった。完全にそのように認識されていた。
「……まぁ、いいけどよっ。とにかくだ。お前もきてくれるなら、確かに頼りにはなる。
組織の奴らをぶっつぶそう」
 高人が告げたと同時に。
「まて。私もいくぞ」
 背中から梨花の声が続く。
 振り返るとそこには梨花と、いつのまにかセーラー服に着替えた玲央の姿があった。
「玲央ちゃんも!」
「お前ら……」
 高人は二人の台詞に、胸が震える。
 そしてこめかみをぴくぴくと振るわせながら、目の前の二人に向けて叫んでいた。
「遊びにいくんじゃねぇんだそ!? なんだよっ、その格好は!」
 梨花と玲央はコンビニの袋にお菓子や飲み物をいっぱいつめて、玲央などさらにチョコ
レートを立ち食いをしていた。
「えー。違うの?」
 玲央がいたずらっぽく抗議の声を漏らしていた。
「まぁ、いいじゃないか。これも乗りかかった船だし、一緒にいこう」
 梨花は呟いて、それからにっこりと微笑む。
 高人は大きく溜息をつくが、それでもこうして一緒にきてくれる仲間がいる事に、少し
だけほっとしていた。
 梨花にしろありすにしろ、不思議な力を使う事が出来る。それも高人のようなにわか仕
込みではない。しっかりと身につけた力だ。戦力としても十分に期待できた。
 玲央は特別な力は持ってはいないが、危険を顧みずに力を貸してくれる。それだけでも
十分なほどに嬉しかった。それにここまで関わっておいて、もう来るなとも言えない。
「わかった。一緒にきてくれるか?」
 高人の呟きに、皆は一斉に頷く。
「もちろんっ」
「ああ、いこう」
「玲央ちゃんも」
 三人の答えが、高人の胸の中にゆっくりと暖かく染みこんでいた。
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