不思議の国の異邦人 (09)
三.闇の組織はおかしな魔法

 教室のドアを開けると、そこは南国であった。
 椰子の木が生い茂り、砂浜が広がりビーチパラソルの下でありすが寝ころんでいた。し
かも、なぜか教室の中だと言うのに水着姿だ。水色のワンピースの水着がまぶしくて、少
しだけ目のやりばに困る。
「って、こんどは真夏かよ!?」
 高人は大声で叫んで教室の中に入り込む。
 その瞬間、ありすは高人の方へと顔だけを向けて、ぼそりと呟く。
「たかくん、そこ危ない」
「え?」
 呟いた時にはもう遅い。
 背中から波が現れて、高人を飲み込んでいく。
「うわわをわぁぁ!?」
 哀れ波に押されて、高人は教室の奥の壁に激突する。
 同時に波にさらわれただけに、制服が完全に水浸しとなっていた。
「どこだっ、ここは!? いま外は雪ふってんだぞ!? なんでここだけこんなに暑いん
だっ。ハワイか、ここは!?」
「あ、たかくんたかくんっ。かっこいい! 水もしたたるいい男!」
「なに、そうか? って、ごまかされるかっ。つか水浸しにしたのはどこのどいつだよ!?
」
 高人はありすに詰め寄ると、その手を取ろうとして腰をかがめる。
 その瞬間、頭にザクと音を立てて何かが突き刺さっていた。
「うわわをっ!? 頭がっ、頭が割れる!?」
 頭を抑えて走り回りながら、それでも辺りを見回すと、プランタンが高人の居た位置で
くるくると回っていた。
「ワレロッ、イテマエッ!」
「てめぇっ!? どこからわいてでた!?」
「ワクカ! タカトジャアルマイシ!」
 プランタンは高人の頭上を飛び回りながら、高人を口々にののしっていた。
「くっ。てめぇ、絶対焼き鳥にしてやる。まて、こらぁ!?」
 高人はプランタンを追いかけて、手を伸ばすが、高人のとどかないすれすれの位置で悠
々と飛び回っていた。
「高人。だから鳥と同じレベルで張り合うな」
 奥の方から、梨花の声が響く。
 思わずそちらへと振り返ると、完全に海辺と化したその奥で、なぜかこたつに入ってお
茶をすすっている梨花の姿が見えた。そこだけは元の教室の雰囲気を残していて、梨花は
板張りの床の上に置かれたこたつでくつろいでいる。
「なんでだよっ!? なんで南国の砂浜の上でこたつに入ってくつろいでるんだよ!?」
「ばかな。今は冬だ。こたつに入って茶を飲むのに何の不自然がある」
「いや、そういわれると。って、あるわっ。ここは学校だ! こたつがある事自体が不自
然だっつーのっ!?」
 高人は荒い息を吐き出しながら、さらに異様と化した部室を眺めていた。
「俺の憩いの場が……」
 呟いた瞬間。
 ざっばーーん、と音がたてて、波が高人を飲み込んでいた。
「だからたかくん、そこにいたら危ないってば」
 ありすがのほほんとした声で呟く。プランタンがそのそばで「タカト、アホ。タカト、
アホ」と繰り返していた。
 高人の心の中にふつふつと怒りがわき上がっていて、そろそろ臨界点を越えようとして
いる。
 そして思い切り叫ぼうとした、その瞬間。
 がらっと音が響いて教室に学生服姿の男が慌てた様子で入ってくる。ものすごく秀麗な
優しそうな容貌の少年だ。一度みれば、それだけで忘れられそうにもない。
「大変だ!」
 その少年は叫ぶと、教室の中を見つめて、それから目を丸く変えていた。
 それもそうだろう。学校の中がリゾート地になっているのである。驚かないはずがなかっ
た。
「うわ。自分達ばっか、ずっりぃ」
 少年は別のところで抗議の声を上げていた。
「って、そこかよ!? つか、図書部になんの用だっ」
 思わぬ部外者の登場に高人は叫ぶが、ありすも梨花も気にはしていないらしい。
「別に図書部には用がないけどさ。高人に用があってきたんだ」
「俺に? 何の用だ。つか、お前なんか俺はしらないぞ」
 見覚えのない少年に、眉をひそめる。
 最近、高人に用事がある人間というのは、ありすを初めとしてろくな奴がいない。警戒
するのも当然だと言えた。
「知らないって、ひどいな。俺だよ。玲央」
 目の前にいる美形の少年――玲央は眉を寄せると、軽く溜息をこぼした。
「だいたいこの姿は何度も見ているじゃないか。どうしてその度に忘れるんだ。君は」
 玲央は心底嫌そうな顔を浮かべると、眉を寄せて高人を睨む。
「いや、だって、なぁ。お前と一緒にいる時は殆ど女の格好しているし。なんか印象に残
らないんだよな」
 高人はこめかみを掻きながら、そういえばそうだったよな、などと呟いていた。
 高人にとって玲央は女装しているのが普通であって、それ以外の時には殆ど話す事はな
い。クラスが一緒でもあれば多少はなれるのかもしれなかったが、学生服姿を見るのが年
に数度では覚えられなかった
 もっともそれでも普通であれば、玲央の印象的な整った顔を忘れるはずもないのだが、
あまりに美形過ぎて、高人の脳内であえて排除しているのかもしれなかった。
「高人はホント、俺には冷たいよな」
 玲央は笑いながら告げる。
 もっとも高人からしてみれば、普段の玲央は男だというのに誰よりも女の子を感じさせ
て迷わせるし、男の格好をしていればしているで、コンプレックスを抱かせる。
 冷たくなるのも当然といえば当然かもしれなかったが、玲央にはそんな想定は全くない
らしい。
 もっとも高人にしても別にあえて玲央に冷たくしようとも思ってはいない。ただどうし
ても普段の玲央と、今の玲央が同じに思えないだけだった。
 もっとも話し方まで変わるのだから、それも無理はないだろうが。
「まぁ、それはともかくとして。大変なんだ。あれをみてくれ」
 玲央が指先で示したのは学校のグラウンドだった。
 この時間なら本来、部活で賑わっているはずだ。しかし今そこには誰の姿もなかった。
 それもそのはずだろう。グラウンドの真ん中で巨大な蛸がうねっているのだから。頭だ
けで二メートルはあろうかという大蛸だった。手足まで含めれば、どれだけの大きさにな
るかわからない。
「たこぉ!?」
 これには高人も思わず声を上げる。
 とてもこの世のものとは思えなかった。
 いや、このくらいのサイズの蛸であれば、実際に海にはいるからしい。だから蛸の存在
そのものは、それほど不思議ではない。
 ただその蛸が、突如学校のグラウンドでうねうねと身をくねらしているなんてことは、
普通ではあり得なかった。
 ありすの存在も、はじめはなんて嘘臭い奴だと思っていたけれど、この蛸に比べればど
こまでも自然にしか思えない。
「おー、ほんとだ。たこだー」
 そのありすが、のほほんとした声で呟く。
 さすがのありすも、この蛸には興味を引かれたらしい。じっと外をみつめている。
 ただ小雪の降る中だというのに、水着姿な事が、なんとも不思議ではあったものの。
「って、ちょっとまて。まさかあの蛸、お前が呼んだんじゃないだろうな」
 高人は眉を寄せて訊ねる。
 この教室が南国の海と化しているだけに、その余波で蛸まで呼んでしまったというのは
十分にありえる話だった。こんな巨大な生物は南国の方にこそいそうな気はする。
 もっとも前提からして、常識の範囲外の話ではあるので、全く判断はつかなかったが。
「んー。違うと思う。あのたこ、普通のたこじゃないみたいだし。そもそも私は召還術な
んて使えないし」
 ありすは蛸を見つめながら、腕を組んで首を傾げる。
「ま、とりあえず。見てみるとするか」
 ぽつりと呟くと、それからそばにおいてあった魔法の杖を手にしていた。
 ありすが振るうと一瞬にして、教室が元に戻る。
 ありすの服装も気が付くと制服姿に変わっていて、こうしてみるとどこにでもいる女学
生にしか見えなかった。
「あ、そうだ。やっと制服届いたんだけど。どう? 似合う? 可愛い?」
 ありすが高人の前で、くるりと一回転してみせると、スカートが軽くなびいて舞い上が
る。少しだけ覗かせた素足が目にまぶしい。
「あ、ああ。うん、まぁ、ぼちぼち」
 可愛いし、似合っているのだが、そんな事を言うのも何となく気がのらなかったし、そ
もそもそういう事を言っている事態でもないとは思う。
「むー。なんだー、中途半端な。そんなたかくんは、こうだっ」
 しかし煮え切らない態度の高人に、ありすは魔法の杖を振るって不思議な呪文を唱えて
いた。
 その瞬間、高人の体がふわりと浮かんで、そのまま大蛸に向かって空中を突進していく。
「うわーーーっ!?」
 高人は情けない声を上げながら、空中でくるくると回転させられる。
 そのまま蛸の真上に降ろされると、素肌にむにょりとした生暖かさが伝わってきていた。
 なんとも気持ち悪いが、それ以上にすぐ目の前にある蛸の目が、高人をじろりと睨んで
いて恐ろしく感じる。
「え、えーっと、ご機嫌麗し……そうじゃないですね」
 高人が呟いた瞬間。
 大蛸は突如として暴れ始めていた。
 頭の上にいる高人を捕まえようとして、触手が高人へと迫ってくる。
「うわわわわわっ!?」
 高人は叫びながら、なんとか逃げようとして体を捻るが、八本の腕の前からはどこにも
逃げられそうになかった。そもそも蛸の本人の上にいるのだから、始めから逃げ場も何も
無かったのだが。
「うげぅ」
 情けない声を漏らすと、高人は蛸の触手に囚われていた。
 さながら怪獣映画か何かに出てくる、囚われたお姫様といった風情である。
「おー、捕まってる捕まってる」
 ありすはいつのまにか箒にのって、上空から見下ろしている。どこか楽しそうに見える
のが、高人には非常に納得がいなかった。
「て、てめぇっ!? こらっ。なんとかしやがれ!?」
「やだ」
 ありすが呟くと、同時にひゅんっと風を切り裂くような音が響いた。
 そのとたん、高人を捉えていた蛸の腕がびくんっと大きく震えて、体の方へと引っ込む。
 当然、高人は空中で支えを失って、そのまま地面へと落下していた。
「うぎゅ!?」
 もういちど情けない声をあげるが、今度はそのままゴキブリのように腕と足をはわせて、
なんとか蛸の腕の届く圏内から脱出する。
「あ、逃げた。だめだよ、梨花ちん。たかくんを助けたら。せっかく楽しかったのに」
 ありすが振り返った先を見やると、図書部の教室の窓から梨花が覗いていた。
 恐らくは先ほどの風は、梨花の気功による攻撃だったのだろう。
「そうか。それはすまなかった。まぁしかしその蛸が何者かを調べる方が先だろう?」
 梨花は蛸の方をまっすぐに見つめて、どことなく嫌そうな顔を浮かべていた。
 そういえば梨花は、あまりこうした軟体動物の類は好きではない。蛸や烏賊の類は、見
るだけで気分が悪くなるくらいだ。恐らくすぐにでもどうとかしたいのだろう。
「そだね。たぶんどっか異世界から召還したクリーチャーだと思うけど。ただそれにして
は、近くに操り手がいないなぁ」
 ありすは首を傾げて、それから眉を寄せる。異世界だの、クリーチャーだの、いってい
る事は高人には全く理解出来なかったが、とにかく普通の代物ではない事だけはわかった。
 高人にしても、こんな妙なものはすぐにでもどうとかして欲しいと思う。せっかく少し
は戻ってくるかと思ったのに、再び平穏な日常から遠ざかってしまう。
 ありすは首を傾げたまま、蛸の上空をぐるぐると回っていたが、しばらくして飽きたの
か杖を蛸に向けて構えた。
「まぁ、いいや。まりくと・れい・いるあねす・ぬる。黄昏より来たりし金色よ! あた
しの声に応えなさいっ。えいっ、ふぁいやーぼーるっ!」
 突然、呪文を唱えると、ありすの手の中から炎の弾が生まれていた。
 火球はそのまま蛸に激突し、ずぅんっと大きな音を響かせながら、炎が蛸を包んでいく。
 さすがにこれには蛸も苦しそうにして、手足をばたばたと震わせていた。
「おー。苦しんでる苦しんでる。ふむ。もういっぱつかな?」
 ありすは箒を旋回させると、そのまま高人の隣へと飛び降りていた。
「たかくん。ここから離れないでね。たぶん、そろそろくるから」
 ありすが呟いた瞬間。
 冷たい空気が辺りに漂い始めていた。
 同時に雪が舞い降りてきて、蛸を包んだ炎をかき消していく。
「これ以上、蛸太郎をいじめるんじゃない!」
 呟いた声は、どこか低く通り抜けた。
 高人は声の方へと振り返る。
 三十代半ばくらいだろうか。少し無精ヒゲの生えた男が、蛸の前へと慌てて歩み寄って
くる。
「おおっ。蛸太郎っ。大丈夫か!」
 男の声に、蛸が手足を振るって答えていた。見た感じでは、蛸には殆ど傷もついていな
いように思えた。
 しかしやはりダメージは深いようで、どこか動作も緩慢で、さきほどまでの激しい動き
は消え去っていた。
「おおっ。でたな? じゃあまずは、さっそくだけど、このクリーチャーを元の世界に帰
して。学校のみんなに迷惑だし」
 ありすは男を睨みつけると、箒で蛸をさしていた。
「それは出来ない相談だな。私はこの蛸太郎を使って、藤村高人を倒さねばならぬ。そう
する事によって、私は闇の組織の中で不動の地位を得るのだ。わはははははは!」
 男は大笑いしながら、どこか遠い場所を見つめていた。
 どうやら妄想を繰り広げているらしかったが、近寄りがたい笑みが口元に浮かんでいて、
かなり違う意味で恐怖を覚えさせた。
「さて私は藤村高人を探さねばならぬ。そこのお前、蛸太郎に一撃食らわした件に関して
は大目にみてやる。代わりに藤村高人の居場所を知っていたら、隠さずに教えるがよい」
 ふっ、と鼻で笑いながら、微妙に髪をかき上げていたが、無精ひげとバランスがとれて
いない。とにかく怪しい事、この上ない。
 しかもどうやらすぐ隣に高人がいる事には、全く気がついていないらしい。
「たかくんなら、そこにいるけど」
 ありすが高人を指さして告げる。
「ばかっ、わざわざおしえんなよ!?」
 高人は叫ぶと同時に、男の目がきらんっと輝きを増していた。
「なんと、そこにいたかぁ!?」
 男は叫びながら、高人――の向こう側にいた猫を睨み付ける。
 これはぼけで、つっこむのを待っているのだろうか。そしてつっこんでいいのだろうか
と、高人はわずかに頭を押さえていた。
「にゃーん」
 猫が不思議そうな声で鳴いていた。
 それからしばらくは男の方を見つめていたが、すぐに興味を無くしたようで背を向ける。
「まて藤村高人! 敵前逃亡とは卑怯だぞ!?」
 男は慌てて猫を追いかけるが、その途端、もちろん猫はダッシュで逃げ始める。
「く、藤村高人。見損なったぞ!」
 男も必死で猫を追いかけていたが、さすがに猫のスピードには追いつけずに、すぐに姿
を見失っていた。
「く……。藤村高人め。私に恐れをなしたか」
 男は忌々しそうに眉を寄せると、そのまま地面をがんがんと足で踏みつける。
 どうやら本気で猫を高人だと思いこんでいるらしい。
「いまのはただの猫だっつーの!?」
 高人は思わずつっこみを入れていた。
 つっこみを入れずにはいられなかった。
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