不思議の国の異邦人 (05)
「で、これは何のつもりなんだよ?」
 高人はタキシードを着せられて、小さな部屋よりもよほど大きなテーブルの前に座って
いた。その向かいには真理がドレス姿で微笑んでいる。
「まぁ、わたくしと一緒にいるからには、それにふさわしい殿方になっていただこうと思
いまして」
 真理は軽く首を傾げると、そのあと目の前に置かれた呼び鈴を鳴らす。
 同時に数人の男達が恭しい態度で料理を運び、二人の目の前に運んでいた。
「俺は帰る。もうつきあってらんねぇ」
 勢いよく立ち上がって真理に背を見せる。そのまま早足で歩き始めると、高人は入り口
のドアを開けて部屋を後にしていた。
 いや、そうしようとした瞬間だった。
 扉をくぐったはずなのに、高人の身体は何故か反転して部屋の中に戻ってしまう。
「まぁ、おかえりなさいませ、高人様。やっぱりわたくしの傍が良いのですわね」
 真理はにこやかに微笑んだまま、豪華な料理を掌で示して席に座るように呼びかける。
 もちろん高人はそれに納得する訳もない。
 不思議には思いながらも、もういちど扉を潜る。
 くるりと身体が回る。
 もういちど振り返る。
 扉を潜る。
 また部屋の方へと向き直る。
 それを何度か繰り返した後、息が荒くなった高人へと真理は微笑む。
 それから指先を回すように振るうと、その動きに合わせて高人の身体が回転していた。
 そして指先を自分の方へと向けると、なぜか高人の足が勝手にテーブルの方へと歩き始
める。
「なな。なんだ、足が勝手に進む」
 高人は思わず声を漏らすが、真理はにこやかに微笑んでいるだけで何も答えない。
 高人が椅子の隣まで歩くと、真理は今度は指を下へと降ろす。同時に高人はゆっくりと
椅子に腰掛けていた。
「おかえりなさいませ、高人様」
 にこやかに微笑んで告げる真理の瞳は、一見優しげに見えるが、その実とても冷たく輝
いていた。
 高人は再び身体を震わせる。
「魔法……の力か?」
 高人の呟きに、真理はくすくすと笑みを零す。それから静かに頷いていた。
「残念ながら違いますわね。この力は私だけが有している新しい能力ですわ。そうですわ
ね、名付けるなら皇帝の指揮とでもしましょうか?」
 告げる真理の笑みは、彼女のふわりとした雰囲気を消し去るだけの温度を持っていた。
絶対零度の冷たい笑顔を。
「なんだよ、その漫画の必殺技みたいな名前は」
 高人は訝しげに呟きながらも、しかし彼女の言う事が、決して戯言ではない事も理解し
ている。
 普通であればいくら目の前で行ってみせたからといって、簡単に信じられる事ではない。
純粋な子供でもなければ、手品か何かだと疑ってかかるのが通常の反応だ。
 しかしすでに高人の周りには超常現象に溢れていたし、いまさら彼女が高人を騙す必要
も感じられなかった。
「魔法使いの中でも、限られたものだけがこのような特別な術を使う事が出来ますの。魔
法というのは、本来皆が思うような万能な力ではなく、きちんとした理論によって作られ
ているものですわ。従って出来る事と出来ない事もはっきりしているものなのですの」
 真理は微かに口元に笑みを漏らして、それから人差し指だけを立てたまま、自分の指先
を見つめていた。
「でも中には全く理屈では説明の付かない不思議な力を使えるものがあるのですわ。例え
ば私が指先で示すだけで、誰もが指示に従ってしまう、わたくしのこの力のように」
 真理が言いながら指先をくるりと回すと、高人は思わず椅子ごと身体を回してしまって
いた。意志では抵抗しようとして身体を固めているというのに、全く言うことを聞かない。
「そうした力を持つものは、絶対的な存在といってもいいと思いますわ」
 真理の言葉の通り、確かに恐ろしい力だと高人は思う。理屈もなく誰かに従ってしまう
力。それは何よりも強力な力に違いない。
 もちろん真理の力では、意志までは反する事は出来ないようだったから、絶対的な力と
は言えないかもしれない。
 それでも自分の意志に反した行動をさせられるというのは、本当に恐ろしい事だ。自分
が自分でなくなるような感覚すらある。
 高人はここで初めて真理に対して恐怖を抱いていた。それまでもどこかで何となく怖さ
を感じなくもなかった。しかし目の前にいるのは自分と同じ年頃の少女で、時折冷たい目
をする事が合っても、変な女の子以上の感想は持たなかった。
 例えばありすの魔法を初めてみた時にも驚きはあったし、どこかで恐れを感じなくもな
かった。しかしこの真理の力は、そんなレベルとは次元の違う恐怖すら抱かせる。
 高人は真理の力が本当にどれだけのものなのかはわからない。もしかすると本気になれ
ば、高人の意志すらも全て無に出来るのかもしれない。
 真理は少し言葉遣いや雰囲気が普通とは違うものの、ぱっと見はどこにでもいる女の子
にしか見えない。少々お嬢様然としているだけだ。
 それなのに覗き込んだ瞳の中に、深淵な冷気が漂っている事に気が付くのは、あるいは
真理が人をかしづかせる事が当然だと覚えている為かもしれない。
「こうした力、そうですわね。名付けるなら、選ばれし力とでもつけましょうか? セレ
クタを持つ者は数少なくて、わたくしは少しでも仲間が欲しいと思っておりますの。そし
て高人様。貴方もこの絶対的な力をお持ちなのですわ」
 真理は高人の顔を、にこりと微笑みながら見つめていた。
 素直に感じれば優しさに満ちた、うがってみるとすれば高みから眺める瞳の色を携えて。
「俺が? まさか、俺は魔法使いなんかじゃないし、力なんてない」
 思わず否定するが、真理は軽く首を傾げて、再び小さな笑みを漏らした。
「まぁ、高人様。自覚されておりませんのね。それではこれから認識なさいませ。貴方は
わたくしと並び立つ事が出来る力の持ち主なのですわ」
 真理は呟くと、少しだけ表情を崩す。
 冷たささえ感じていた雰囲気が、一変して初めて話した時のようにふわとした、どこか
浮世離れしたような顔つきへと変わる。
 こうして見ると優しそうな女の子にしか見えなかった。まるで同一人物とは思えない。
「そして共に頂点に立ったあかつきには、高人様とあんなことや、こんなことや、あまつ
さえ、そんなことまでっ。まぁ、どうしましょうっ。わたくし、今から涎がとま……じゃ
なくて、高人様の裸が楽しみ……じゃなくて、ええ。まぁ、そういうことですわ」
「どういうことだよ!?」
 一気に壊れた言葉を継げる真理に、高人は思わず声を荒げる。今までのシリアスな雰囲
気は全て形無しだった。もはや残された空気には一変たりとも鋭さは残っていない。
 しかしそれでも頭の中では、全く話についていけていなかった。
 突然告げられた言葉が本当なのか、それとも真理の偽りなのか。その事を判断するだけ
の材料もなくて、あまりに高人の住んでいた世界から離れた事態を正常に捉える事すら出
来ていなかった。
 不安だけが、少しずつ高人の中に満ちていく。


「見えたっ!」  ありすは目の前の大きな屋敷を認めると、思わず大声で叫んでいた。  ホウキを持つ手にも力を入れる。とたんスピードが一気に増していく。 「わっ、わわわっ。ありすちゃん、落ちるっ。落ちるよ!?」  玲央が慌てた声を上げていたが、ありすは全く気にとめてもいない。それどころかスピー ドの上げすぎでバランスが悪くなっているのか、ありすの体は背中へと反ってすらいた。 「あれは、高人じゃないか?」  梨花はこのスピードも気にならないのか、平然とした顔のまま片手を離して屋敷の窓の 一つを指さす。同時に玲央が「わぁっ、手を離さないで!」と悲鳴を漏らしていたが、梨 花もありすも聞いてはいない。 「ほんとだっ。たかくんっ! よし、このままつっこむよ!」 「え、えっ、えええっ!?」  玲央が叫びをあげるが、ありすは全く聞いてはいない。そしてありすの号令と共に、ホ ウキはさらに加速していく。  そして、そのまま止まる事なく、一気に窓に飛び込んでいた。  がっしゃーーーーーん!  激しい音が響きガラスが砕け散る。  ありす達のホウキはそのまま屋敷の部屋の中につっこみ、奥の壁へと向かっていく。 「うわわわわをぁ」  あわや激突するかと思った瞬間。ホウキは急ブレーキをかけつつ旋回していた。  そして少しずつスピードをおとしてテーブルの上へと軟着地すると、ありすはそのまま 飛び出して高人の元へと走る。 「たかくんっ!」 「ありす!?」  高人が思わずありすの名を呼んでいた。  ありすはそのまま高人へと駆け寄っていくと、思いっきり飛び込んでいた。  足から。 「ふげをぉっ!?」  高人は予想外の事に避けきれず、まともにありすの跳び蹴りを食らっていた。 「な、なんばすっとね!?」  高人は思わず言葉使いがおかしくなっていたが、ありすは全く気にせずぐっと胸の前で 拳を握りしめる。 「あ、いつもの癖で、つい」  ありすはのほほんとした顔で呟くと、それから振り返り身構える。  その目線の先では何事も無かったかのように、真理が笑っていた。 「まぁ、これは思わぬ珍客ですわね。えーっと、こぶたさんかしら?」 「ぶひ!? って、誰がこぶただっ!? あたしはそんなに丸くない!」  大声で否定すると、そのまますぐにホウキを手にとる。 「たかくんっ、逃げるよ!」  高人をひっつかまえて、どこにそんな力があるのか、そのまま担ぎ上げる。 「うわっ。ありす何を」 「梨花ちゃん、玲央くん。のって!」  ありすのかけ声に応えて、梨花と玲央がホウキにまたがっていた。  高人を自分の前に座らせると、ホウキの柄を持つ手に力を入れる。  しかしありすがそのまま飛び去ろうとした瞬間、真理が軽く指を振るう。  同時にありすの身体がびくっと大きく震えて固まっていた。 「まぁ、まだおもてなしもしていないのに、勝手に出て行って貰っては困りますわ」  真理は冷たく呟くと、指先を急激に落とす。  ありすはその指先に釣られるようにして、ホウキの上から転がるように落ちていた。 「ありす!?」  高人が叫ぶが、しかしありすは応えない。  いやなんとか立ち上がると、真理の方を睨むように見つめていた。 「まぁ、怖い顔ですわね。まさか、わたくしに刃向かうおつもりですか?」 「そんな気はないから。……いけ!」  ありすが叫んだ瞬間。  ホウキは操り手もいないというのに、高人達を載せて運んでいく。 「ありす!? 何を」  高人の声はしかしあっという間にかき消されていた。すでに高人がそれと意識した瞬間 には、ホウキは窓の外に飛び出している。  ありすは去っていくホウキを満足げに眺めながら、再び真理の方へと向き直った。  これで高人達は無事なはずだ。何とか目的は果たす事が出来る。後は目の前にいる少女 ――真理から逃れるだけだ。  その真理は珍しく渋い顔を見せて、それでも冷静さを失う事もなく軽く首を傾げた。 「これは、やられましたわ。まさか操縦者である貴方が触れなくても魔導器を動かす事が 出来るだなんて。これは少し貴方の実力を甘くみていたということですわね」 「誘拐犯には言われたくない。みたところ、あんたも魔法が使えるみたいだけど、あたし を怒らせた罪は重いんだからね!」  ありすはぎゅっと両拳を握りしめると、そのまま真理を見つめていた。 「まぁ、それならばどうされると?」 「絶対、なかしちゃる!」  ありすは啖呵を切ると同時に、懐から杖の形をしたキーホルダーを取り出す。  ありすがそれを振るうと同時に、一本のワンドへと姿を変えていた。  ありすが持っているワンドは一つではない。もっとも同時に何本も生み出す事は出来な かったが、すでにホウキはこの場にはいない。ありすの力の影響下になければ、こうして 新たなワンドを作り出す事が出来る。これで十分な力で魔法が使えるはずだった。  しかし真理は表情一つ動かす事はなく、ありすを目で捉えると、最後に一つだけ微笑を 浮かべていた。 「あなたでは無理ですわね。どうやら魔法の力はなかなかのもののようですが、それにし ても私の力に抗う事はできないでしょう? セレクタに対抗出来るものは、セレクタのみ。 これは絶対の法則ですわ」 「そんなこと、やってみなくちゃわからないからっ。まりくと・れい・いるあねす・ぬる。 黄昏より来たりし金色よ! あたしの声に応えなさいっ。いけっ、ふぁいやーぼーるっ!」  ありすの呪文に応じて、拳大の火球が生み出される。それほど大きなものではないが、 普通の人間が受ければ、それだけで黒こげになろうかという代物だ。  もちろん真理は普通ではない。ありすもそれがわかっているからこそ、全力を出して術 を唱えていた。そして恐らくこれが簡単に防がれる事も理解している。  迫り来る火球に対して、真理は指先を振るわせる。  その瞬間、真理の目の前にありすのワンドと似たような形のステッキが現れていた。真 理はそのステッキを持ち、くるくると回転させながら不思議な呪文を唱えていく。 「マリクト・エル・イレクト・レイ。深淵なる黒の中より生まれし声よ。わたくしの前で その威を示すがいいですわ! ウィンディ・フラウ」  真理のかけ声と共に生まれた風が、ありすの呼び出した火球を散らし消していく。さな がら真理の前に、見えない壁が出来たようにも思えた。全くありすの術は届いていない。  しかしありすは再び呪文を唱え始めている。ワンドを大きく振るって、まるで新体操の リボン競技のようにアクションをつけていく。 「また来ますの? 無駄ですわ」  真理の声が冷たく響いた。  それでもありすは呪文を解き放つ。 「まりくと・える・いれくと・あると。白より出でし産声よ。あたしの声に応えなさい!  うぃんど・ふっど!」  だがありすの声に応えて生み出されたのは、火球の類ではない。いや、それどころか知 らないものが見れば、何が変わったようには見えなかっただろう。  ありすはただ自分の身体に風をまとわりつかせただけだからだ。  そしてそのまま、さきほど突入してきた窓から飛びおりていく。  だがありすの身体はふわりと浮かんだまま、ゆっくりと地面へと降下していく。ありす を包み込んだ風が落下の速度を相殺しているのだ。  とはいえ自由落下には違いがない。一瞬バランスを崩し掛けていたものの、空中で猫の ように回転してそのまま軽やかに着地する。  真理と戦うように思わせておいて、隙を作り一気に逃げ出す。それがありすの考えた作 戦だった。 「それで逃げきれるつもりですの? 甘いですわ」  しかし真理は窓からありすを眺めると、不敵な笑みを浮かべていた。  ありすはそんな真理の様子は気にせずに、大きく舌を出して、そのまま一気に走り始め た。真理に人を操る力を持っている事は、ありすにもはっきりとわかっていた。それが特 別な才能を持った魔法使いだけが持つ、特殊な力である事もわかっている。  だがそれらとて万能ではない。このような操作系の力は距離に比例して弱まるものだ。 飛び降りる事で一気に真理から離れたいま、その力が届くとは思えない。  挑発しているのはありすを引き留めるためだろう。そうして時間を無駄にしているうち に、距離を引き寄せるつもりだとありすは踏んでいた。  しかしそれは誤ってはいなかったものの、正しくもなかった。  真理はステッキを振るうと、再び呪文を唱え始める。 「マリクト・エル・イレクト・ソプラ。白と輝く金色よ。わたくしへと届かせなさい。バ インド・ウィン!」  真理のステッキの先から、風が一気に吹き荒れていた。  だが風はあくまでも風だ。ありすの歩みを弱める程度の役にしか立ちはしない。 「その程度の風で、あたしを捉えようっていうの? むーっ、なめられてる!?」 「まさか。この風は、あくまでも補助に過ぎませんわ」  真理は呟いた瞬間。  その風の上に身をゆだねていた。  だがありすと同じように風を使って飛び降りてきたとしても、いまさら追いかけてきて 間に合う訳はない。  ありすはすでに屋敷の門の辺りまで進んでいたし、多少歩みが遅れたからといって真理 が追いつくとも思えない。  ありすは足は速い方だし、真理の着ているひらひらした服は、お世辞にも走りやすいと は言えない。真理が追いつくのはやはり困難と思えた。  しかし真理の表情は自信に満ちていたし、ありすが絶対に逃げられないと確信している ようにも見えた。  一体何をするつもりかはわからなかったが、とにかく逃げる事が先決だ。ありすは真理 から意識を離さないでいたが、それでも速度を遅める事はなかった。油断すれば真理はあ りすと同じ魔法使いだけに、何をしてくるかはわからない。  もちろん魔法の力にも限界はあるが、相手を捉えたりする類の魔法も存在する。それら を使う為にはある程度近寄らなくてはならないが、あるいは真理もそういったことを狙っ ているのかもしれなかった。 「とにかく、逃げるっ」  ありすは口の中で呟くと、さらに加速して走り出す。  いや、走り出したつもりだった。  まっすぐに身体を進めているつもりだったのに、ありすの身体はまるでランニングマシー ンの上を走っているかのように、全く前へと進もうとしない。 「えええっ!? なんでっ、どーしてっ」  慌てた声をあげながら、それでもなんとか入り込もうとして走り続ける。だがやはり身 体は進もうとしない。 「それはここには結界がはってあるからですわ」  気が付くと真理はすぐ後で微笑んでいた。 「あ」  ありすが呟いた瞬間。真理の指先がゆっくりと振るわれる。その指先に合わせて、あり すの身体が音も無く歩き始める。元きた方向へ向かって。 「やだやだやだっ。離せ、ばか!」  ありすは声を荒げるが、しかし抵抗しようにも身体が言う事を聞かなかった。 「残念ですが、そうはいきませんわ。高人様に、もういちどここに来ていただかなければ いけませんから」  真理は微笑んでいたものの、瞳は笑ってはいない。 「その間、貴方にはわたくしと遊んでもらいますわ。高人様に来ていただくのにも、貴方 の協力が必要になると思いますしね」  真理の呟きは、ありすの胸の中をぞっと冷たく染めていく。
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