不思議の国の異邦人 (02)
「たーかとくんっ」
 廊下を歩いていたところ不意に呼び声が聞こえたかと思うと、いきなり目の前が真っ暗
になる。目を遮る暖かい感触が伝わってきていた。
「だーれだ?」
 ふてぶてしい高い声は高人にとって聞き覚えのあるものだ。しかしありすや梨花の声で
はない。そもそもありすや梨花は高人の前方を歩いていたのだから、いきなり目隠しなど
出来るはずもない。
 もっともありすならともかく、梨花がこのような真似をするとは思えなかったが。
「てめえっ。はなしやがれっ!?」
 思いっきり振り払うと、ぜいぜいと息を荒げながら振り返る。
 予想通り、そこにはセーラー服姿の少女が一人立っていた。
 肩のところで三つ編みにして、丸い大きな眼鏡を身につけている。こうして間近で見る
と、とても可愛らしく思えた。
 ただし目の前にいる少女の中身が男でなければだが。
「わ、振り払うなんて。玲央ちゃん、悲しい」
 軽く目尻を潤して、ややうつむく姿はどうみても可憐な美少女にしか見えない。しかし
紛れもなく、この目の前にいる少女は少年だった。
「うるせぇ、レオ! またお前、いつの間にかセーラー服に着替えてやがる!? 男なら
男らしく学ランを着ろっ、このおかま野郎!」
 高人は怒鳴りつけるが、何も知らない相手がみれば、いたいけな少女をいじめる三白眼
のいけすかない男にしか見えないだろう。
 もっともこの学校の中では、すでに彼女、いや彼の事は知れ渡っている。この事でいち
いち目くじらを立てる人もいなかった。
「高人くん、ひどい。玲央ちゃん、おかまじゃないもん。女装が趣味なだけだもん」
「どっちも一緒だ!」
 しなを作ってみせる玲央に、思わず拳を振り上げそうになる。
 しかし潤った瞳にまるで悪い事をしているのが自分のような気がして、怒りがどこかへ
霧散していく。それどころが胸がドキドキと動悸し出したのを、何とか抑えようとして必
死だった。
 こいつは男、こいつは男、こいつは男。声には出さずに繰り返すと、大きく息を吸って
ため込む。こうして言い聞かせないと、思わず過ちをおかしそうになるのだから仕方がな
い。

「一緒じゃないよ! すごい違い。高人くんは、その違い分かってくれないかなぁ」
 玲央はそんな高人の内心を知ってか知らずか、純真無垢な瞳をまっすぐに向けて、自分
の考えを主張していた。
「……わかりたくない。で、何のようだよ」
 何とか理性を整えつつ訊ねる。
 玲央はありすや梨花とはまた別の意味で、高人にとって苦労をかけてくる相手だ。
 ありすのように問答無用で事件に巻き込む事もないし、梨花のような実力的な恐怖もな
い。玲央は少々好奇心豊かなところはあるが、概ね普通の人間だ。
 女装好きという一点を除けばだが。
 とはいっても、玲央も普段はごく普通の少年にしか見えない。いや普通とは言ってもあ
りす達と比べての話で、玲央自身はかなりの美少年であり、成績優秀スポーツ万能の好少
年だ。おまけにかなり優しいとあって、女の子達にも大人気だった。
 ただしこうして放課後になると、彼は一転してしまうという癖があった。そうなると完
全に女の子になりきってしまうのだ。
 玲央曰く、可愛い服を着て可愛い格好をしているだけで、男である事を捨てたり疎んだ
りはしていないらしい。しかし話し方まで変わってしまうし、態度も下手な女の子よりも
可愛らしい。校内一の美少女といえば彼の事であり、他を寄せ付けない愛らしさがある。
 これで男でなければ、という悲鳴があちらこちらから聞こえていたし、男でもいいと言
い出す半ば倒錯した人間すら出てくる始末だ。
 校内三大問題児と言えば、ありす、梨花、そして玲央の三人の事であり、高人は何故か
その三人に囲まれて過ごしている。
 可愛らしい女の子三人に囲まれていい身分じゃないかと言う者もあったが、高人にして
みれば、それなら今すぐのしつけてプレゼントしてやりたいと思う。
「ん。そうそう。あのね、今日はみんなで揃ってどこにおでかけなのかな。玲央ちゃんも
一緒にいっちゃだめ?」
 玲央はまっすぐに潤う期待に満ちた瞳を向けて、高人を見つめていた。
 この視線が高人は苦手だった。
 あまりの愛らしさに、このまま自分がどこか遠い世界に旅立ってしまうではないかと心
配で溜まらなくなる。
「いや、俺は別に構いはしないんだが」
 とりあえず心を落ち着けながらも、ちらりと目の前にいるありすと梨花の二人へと目線
を送る。
「私も別に構わないぞ」
「あたしもいーよ? よし、れおくんも加えて宝探しの旅にれっつごー!」
 梨花が頷いたのをみてとると、ありすは楽しそうに目の前で地図を広げて見つめながら
歩き始めた。
「あれ、目的って宝探しの旅なの?」
 玲央は少し不思議そうにありすを見つめていたが、ありすが大きく頷いたのをみてどう
やら納得したようだ。
 それで納得出来るのかよ、と高人は溜息を漏らすが、もちろんその呟きは誰一人として
聞いてはいなかった。



 裏山は文字通り学校の裏手にある。小さな山ではあるが、自然公園に指定されている為
に緑が残っていて、街の中の一種オアシスのようでもある。
 ただ山の裾辺りには霊園やお寺もあって、一種独特の雰囲気を醸し出している。
 半ば公園のようになっている為に、昼間は人の散歩コースに組み込まれたり、あるいは
霊園の中にある池の畔で楽器の演奏をしていたりする人がいたりして、明るい雰囲気を覗
かせていた。
 しかし夜中に訪れたりすれば、寒気がするほど静寂に包まれていて灯も殆どない為、人
によっては恐怖心を呼び起こすだろう。
 もっとも今はまだ日が高い。それに今回の宝探しでは霊園は通過するだけで、目的の場
所ではないようだ。
 地図によると霊園を越えて、さらに先。山の頂上の辺りに×マークが記してある。そこ

が第一目標のようだった。
 しかし×マークの地点に宝がある訳ではない事ははっきりしている。
 地図の中には、三つの暗号が書かれており、その暗号を解かねば宝は見つからないよう
なのだ。
「あるーひ。墓場のなーかー。お化けにー、出会ったー」
 ありすは霊園の中だと言うのに、不謹慎な歌を楽しそうに歌いながら歩いている。だい
たいお化けに出会ったら、ものすごく嫌だろうがと高人は思う。
 しかしありすは全く気にした様子もなく、ずんずんと前へと突き進んでいた。
 その後ろから、ぱたぱたと白い体長三十センチほどのオウムがついてきていた。このオ
ウムはありすの飼っているペットなのだが、ありす曰く使い魔で名前をプランタンと言う
らしい。
 そのプランタンがありすの歌声に反応して、叫び始める。
「オバケッ、バケモンッ、タカトッ」
「こらっ、そんなのと俺を一緒に並べるなっ!?」
 慌てて抗議の声を上げる。
「イッショ! イッショ!」
「だから同じじゃねぇ!?」
 なんとか捕まえようと手を伸ばすが、もちろん空を飛ぶ鳥に手が届く訳もない。高人に
もそんな事はわかってはいるのだが、考えるより先に手が出てしまう。
「高人、鳥と同じレベルで張り合うな」
 呆れた声で梨花が呟く。その瞬間、プランタンが大きな声で叫んでいた。
「コンナバカト、イッショニスルナ!」
「てめぇっ。バカたぁなんだ、バカたぁ」
 その辺りに転がっている石を拾い上げると、思いっきり投げつける。
 プランタンは慌てて上空高く飛んでいくと、手の届かない位置で「バカー、バカー」と
繰り返していた。
「ぷらんたん。あんまりたかくんをからかっちゃだめだよー? たかくんは馬鹿なんじゃ
なくって、ちょっと足りないだけだから」
 ありすが本人は諫めているのつもりなのか、辛辣な言葉を漏らす。
「誰が脳足らずだ!」
「たかくんっ!」
「即答するなぁぁぁっ!?」
 息を荒げながら叫ぶが、その瞬間、「うるさい」と梨花の拳が高人の頭を捉える。
 いつも通りのパターンに、後で玲央がくすくすと笑みをこぼしていた。
「高人くん達って、ホントにおもしろいよね。玲央ちゃん、みててあきないな」
 玲央が一人呟くが、高人は一人、頭が割れるっと叫び続けていた。
 そうして昼間の霊園の中を、かなり賑やかな一行は通り過ぎていく。高人もぶつぶつと
文句を言いながらも、それでもしっかりと歩みを共にしていた。
 しばらく歩くと霊園も抜け、そろそろ舗装されていない山道へと入ってくる。もっとも
自然公園になっているだけあって、ある程度は路面も整えられていたが、砂利道である事
には変わりがない。
「おおっ。山に入ってきましたっ。たかくん、梨花ちゃん、れおくん。ここからは注意が
必要だよっ。地図によると猛獣が出没するらしいから!」
 ありすは自分の手にした地図を目の前にして、嬉しそうに皆に告げる。
 確かに地図には狼に注意と書かれてはいたが、すでに絶滅しているのだから日本中のど
こを探しても狼などいるはずもない。もともとこの地図自体が、古ぼけてはいるが、かな
り信憑性の薄いものだ。あるいは誰か昔の人が、お遊びで書いたものなのかもしれない。
「あのなぁ、狼なんか出る訳ないだろ」
 呟いたその瞬間だった。
 目の前の木々の間から、ざっと音を立てて一匹の獣が飛び出してくる。
「む、狼か?」
 梨花の声が響く。
「だから狼なんているわけ……ってまて!?」
 目の前に現れたのは鋭い眼光を放つ犬のように見えた。しかし通常の犬よりもやや細身
の身体で、ぎらりと光る眼差しは確固たる意志を感じさせる。
「まさか……本当に狼か!?」
 高人が呟いた瞬間、狼の現れた茂みから、再び何者かが現れる。
 二人組の男女で、女性の方は黒服にサングラスといういかにも怪しい風貌をしていた。
腰まで届こうかという長い黒髪が、彼女の一種近寄りがたい雰囲気をより引き立てている。
サングラスのせいではっきりとはわからないが、年の頃はたぶん二十歳を過ぎたくらいで
はないだろうか。
 男の方はそれよりもやや上、二十代中頃と言うところだろう。どこか普通と違う意志を
感じさせている瞳が、目の前にいる狼らしき動物と一致していた。やはり黒服に身を包ん
でいるところは女の方と同じだが、サングラスをしていない分だけ顔がはっきりと分かる。
「うわっ。何者だ! 名を名乗れ!」
 ありすが驚きのあまりか、よくわからない台詞を口走っていた。しかし二人組はありす
の質問には一切答えずに、一行を値踏みするように見つめている。
 梨花も玲央も突然道ではない場所から現れた怪しい二人組に、呆然として立ち尽くして
いるだけで、何も行動には写せないようだった。
 二人組のうち女の方が、ゆっくりとこちらに近付いてくる。それから目の前にいる狼の
方へと視線を送ると、軽く微笑を浮かべていた。
「フェンリル。ご苦労さま。おかげでターゲットを補足できたわ」
 彼女が狼に告げたとたん、狼は無言のまま彼女の後へと位置を変える。
「むー?」
 ありすが怪訝そうに眉を寄せるが、目の前の二人組はやはり気にしている様子はなかっ
た。
 しかしターゲットなどと言っているからには、この二人組が高人達の誰かに用事があっ
て現れた事は間違いないだろう。
 ただ二人組の男の方は、何か不満があるのか渋い顔を浮かべたままでぼそりと呟く。
「エル、本当にこいつが目標なのか。どうみてもただのガキにしか見えないが」
 いまひとつやる気がなさそうな顔で、顎で高人達を指し示していた。
「もちろん。あら、それともフェンリルが間違うとでも言うのかしら」
「そうはいわねぇけど、このガキがね」
 男は呟きながらも肩を払う。林の中を歩いてきた為か、少し服のあちこちが土埃にまみ
れている。それが理由でもないだろうが、かなり機嫌が悪いようにも思えた。
「あんたら、俺達に何か用かよ?」
 高人は睨むようにして二人組へと訊ねかける。
 彼らは風体からしても普通の大人のようには思えない。かといってヤクザの類にも見え
はしなかったが、少なくともまともな人間ではないだろう事は高人にも感じ取れた。
 しかし恐らく彼らの目的は、ありすだと思って間違いないだろう。ありすは普通の人間
とは違う。魔法という通常では有り得ない力を手にしているのだ。
 しかもこれだけあからさまに使いまくっているのだから、どこかの機関が興味を持った
としても不思議ではなかった。と、言うよりも今まで誰も何も言わなかった方がおかしかっ
た。
 ありすを連れていくつもりなのだろうか。
 ありすがいなくなったとしたら俺は。高人は心の中で思い浮かべる。
 それからすぐに高人はありすの前に自分の位置を変えると、そのままありすの後に回る。
そしてありすの背をぐいぐいと押し始めた。
「どーぞ、どーぞ。こんな奴でよければ、連れて行ってください」
「ほわっ!? たかくんっ、なんばゆうとね!?」
 ありすが慌てて抗議の声を上げる。少しよくわからない言葉使いになっていたのは、驚
きのせいだろうか。
「いや、だってお前がいなくなったら、俺平和な気がするし」
 呟いたその瞬間。
 ガン、と高人の頭に衝撃が走る。
「ぎゃーーー!? 頭が割れるっ!?」
「何を言ってる。馬鹿かお前は」
 梨花が溜息と共に呟いていた。
 梨花の拳が炸裂したらしい。
「タカト、バカー。シネー。クソヤロー」
 上空からプランタンの叫びも聞こえてくる。
「高人くんってほんとおもしろいよね」
 玲央は高人の肩をぽんぽんと二度叩くと、後でくすくす笑みを漏らしていた。
「うー、たかくん酷い。絶対、後で生き埋めの刑にしよう」
 ありすも不穏な言葉を呟く。
 こんな時の彼らは、抜群のコンビネーションを誇っていた。それが高人にはまた忌々し
い。
 しかし今度は逆に目の前の二人組の方が、呆然として立ち尽くしている。もっともいき
なり目の前で漫才のような振る舞いを見せられては、それも当然の事かもしれなかったが。
「エル。やっぱり間違いじゃないか。こいつがホントにターゲットなのか?」
 二人組の男の方がぼそぼそと呟くようにして訊ねていた。
「……私も少し自信がなくなってきたけど、間違いない、と思う、かも」
 エルと呼ばれた女性の方も少し困った顔を覗かせる。
 それでも気を取り直したのか皆の方へと向き直って、こほんと小さく咳を漏らした。
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