不思議の国の異邦人 (01)
一.宝探しは危険な魔法

 教室のドアを開けると、そこは雪国であった。
「って、ちょっとまてぇ!?」
 高人は思わず張り叫ぶと、目の前に広がる異空間にあぜんとして頭を抑える。
 図書部と書かれた教室の中に、大量の雪が降り積もっていた。いくら今が冬の真っ直中
だと言っても有り得ない事だ。
 東京の気温で、これほどの雪が降るはずもないし、そもそもここは教室の中だ。
 高人にはだいたい事の顛末は読めていたが、それはそれで頭が痛い。
「あ、たかくん。やっほー」
 脳天気な声が、積もった雪の向こう側から聞こえてくる。視線を移すと、予想通りとい
うべきか一人の少女の姿が見えた。
 彼女は高人と同じ歳のはずだから、十四歳のはずだ。つまり中学二年生ということにな
る。しかし学校の中だと言うにも関わらず、ニットの帽子に手袋。真っ赤なセーターがと
ても暖かそうだった。
 肩よりも長い髪が帽子からこぼれていて、くりくりとした目でまっすぐに見つめて、ぶ
んぶんと大きく手を振るう様子が可愛らしく写る。
 時と場所がここでなければだが。
「何がやっほーっだ、何がっ。ここは雪山かっ。雪山なのか!?」
「うん。ゆきやまー。って、訳で、たかくん、雪合戦しよー」
 言うなり、いきなり足元に用意されていた雪玉を投げつけてくる。
 ばんっと高人の顔にぶつかって、雪玉は崩れておちた。
 一瞬呆然として、それからすぐに大きな声で叫んで少女の方を睨むように見つめる。
「……ありす。今日という今日は許さないからなっ!? てめえ、覚悟しやがれ!」
 高人は雪山を駆け上ろうとして、怒りで歪みまくった形相を浮かべて、教室の中に駆け
込んでいく。
 しかしありすと呼ばれた少女は、むしろ嬉しそうにして雪玉を掴んだ。
「あ、やる気になった? なった? よしよし、くらえっ!」
 言うが早いか、雪玉を掴むと怒濤のごとく投げつけてくる。
 高人もそれを避けて、教室の中の雪山を登っていくが、雪玉を避けながらでは、なかな
かありすのいる頂上まではたどり着かない。
「ち。てめぇ、大人しくしやがれ!」
「たかくんが雪合戦で勝ったらね。まぁ、無理な事だけど」
 ありすはにやりと口元に笑みを浮かべると、くるりと後ろに振り返る。
 そこには全長一メートルはありそうな巨大な雪玉が転がっていた。
「まて!? お前、それどうするつも……」
 高人が皆まで言うよりも早く。
「えい」
 ありすはその雪玉を抱えると、一気に放り投げる。
「うわわわわをっ!?」
 避ける間もなく雪玉に飲み込まれていた。
 足を滑らせて、そのまま転げ落ちていく。そして元きた扉から吐き出されて、思いっき
り壁に激突する。
「うが!?」
 猿のような悲鳴をあげて、高人は半ば目を回して崩れた雪玉の中に埋もれていた。
「あたしの勝ち! ぶいっ!」
 目を回しながらも、雪山の上でVサインを繰り広げている馬鹿女の姿を認めて、高人は
なんで俺の平穏な日々はこんなことになっちまったんだと嘆く。
 それでも何とか立ち上がると、こりずにもう一度、教室の中に突撃していた。
「何が勝ちだ何がっ! てめぇ、一度、その口かっぴらいて、ひぃひぃ言わせてやるから
な!」
 高人はうぉぉぉっと咆吼を上げて雪山に迫る。
 だがその瞬間。
 ビュンっと鋭い音が響いたかと思うと、高人の顔面すれすれを何かが通り過ぎていた。
 その何かは高人の背中で、グワンと巨大な物音を立てて、後ろの壁へと突き刺さる。
「うるさい。人が本を読んでるんだ。静かにしろ」
 声は教室の奥から伝わってくる。
 見ると教室の奥で本を読んでいる、どちらかといえば凛々しい顔立ちの美少女の姿が目
に入った。こちらは中学生らしく紺色のセーラー服に身を包んでおり、少しきつめの顔を
してはいるものの、ごくごく普通の女の子に見えた。
 ただし、なぜかこたつに入って七輪の上で餅を焼いているが。
 振り返ると、どうやら壁に突き刺さっていたのは菜箸のようだった。餅を焼くのに使っ
ていたのだろう。
 しかしどんな力で投げれば菜箸が壁に突き刺さると言うのか、高人にはまるで想像もつ
かない。
「それはわるかった……って、なんで教室で餅くってんだ!? つか、なんだこの事態は、
どこだここは!」
 高人は思わず叫ぶが、しかし同時に再び風を切る音が聞こえたかと思うと、壁がまるで
悲鳴のように音を立てていた。
 もう一本の菜箸が、さっきよりもさらに壁にめり込んでいる。
「だから、うるさい。静かにしろ」
 もういちどぼそりと呟く。
「まぁ、いい。ちょうど餅が焼けた。お前も食っていくか?」
「いら……いや、いただきます」
 いらないと告げかけた途端、少女の目がつりあがったのを高人は見逃さなかった。慌て
て訂正すると、彼女の顔に落ち着きが戻る。
 これを拒否しようものなら「ほほう、私の餅が食えないというのか。ならば食いたくし
てみせようじゃないか」とか告げられて、ろくでもない事態になる事は間違いなかった。
 別に腹は減ってないんだけど、と声には出さずに続けると、ちらりとそばにある雪山の
方をみつめる。
 ありすはいつの間にか一生懸命、かまくらを作っていた。
「お餅を食べるなら、やっぱかまくらだね。かまくらっ、かまくらっ。と、いう訳で、た
かくん、いざ鎌倉!」
「それはかまくら違いだっ!」
「おおっ!? じゃあ、あれだ! クラゲの手の先が、鎌になってる」
「……って、何か!? カマクラゲとでもいいたいのか!? なんだよっ、その謎の生物
は――うわちゃぁ!?」
 皆まで告げる前に、高人の顔に餅が張り付いていた。
「おお、梨花ちゃん、ないすっ」
「死ぬっ。顔面火傷で死ぬから!」
 抗議の声を上げるが、しかしありすが梨花と呼んだ少女は、何食わぬ顔で本を読み続け
ていた。
「うるさい。それはお前の分だ。食え」
 梨花はちらりとも視線を移さずに呟く。
 餅を投げた後には、もはや完全に自分の世界に入り込んでいた。こちらには全く意識を
移そうとしない。
「ああ、俺の平凡で平穏で平静な日常はどこに……」
 高人はがっくりと膝を落とすが、それに答えるものは誰もいなかった。


 高藤ありす。
 彼女がこの明星中学校に転校してきたのは、ほんの一月ほど前の話だった。
 それまでの高人は、明るく元気でスポーツ大好きな癖に、なぜか図書部所属という、ちょ
っと変わっているけれど、ごくごく普通の少年に過ぎなかった。
 しかしありすは、初めから異様と言う他にはなかったのだ。
 まず最初からして教室に立った時からして、制服を着ておらず、だぼっとしたセーター
と膝丈までのチェックのスカート姿という、普通では有り得ない格好をしていた。
 もっともそれは外国から急な転校でやってきたらしいから、制服の用意が間に合わなかっ
たという事でおいておける。
 けれど挨拶の時に言った言葉は、高人は今でも一字一句違わず覚えているほど、怪しい
ものだった。
『えっとぉ。私の名前はありすたかとー……じゃなかった、日本では名前が後だった。と、
いう訳で、高藤ありすですっ。趣味はスライムいぢめ、特技は魔法を使う事、好きな学科
は科学ですっ。よろしくっ! ぶいっ』
 ありすのVサインと共に放たれた自己紹介に、皆はざわめかずにはいられなかった。
 特技は魔法を使う事。趣味はスライムいじめ。
 普通ならどう考えても、どこか頭の悪い子としか思えないのだが、それがどう転んだの
か本当の事だった。
 実際にありすは謎の『魔法』を使いこなし、そして高人につきまとっては毎日困らせて
いるのだ。
 それもありすの名字高藤と、高人の名前の音が一緒だというそれだけの理由で。
 先ほどの雪山も、ありすの魔法で生み出されたものだろう。もっともこたつと七輪はど
こかから持ち込んだと思われるが。
 ありすの魔法によって、高人の日常はことごとく崩されていった。
 まず平穏な憩いの場だったはずの図書部はこの有様だ。いつの間にかありすの遊び場と
化している。
 毎日、ありすにつきまとわれて苦労しているというのに、周りからは「あの二人はセッ
トだから」と言われる始末。
 そしてなぜか皆がありすの『魔法』なんて言う、非常識きわまりない出来事をスルーし
て受け入れてしまっている。その事が高人にとっては何よりも腹立たしい。
 高人はぶつぶつと呟きながらも、教室の奥の方へと入っていく。
 周りを見回してみると、いつの間にか図書部の中には、どこからもってきたのかわから
ない備品で埋め尽くされたいた。
 こたつや七輪はまだしも、テレビやゲーム機。はては食器にアイロンに洋服ダンスまで
ある。
 ありすの家か、ここは!? と高人は心の中でつっこむが、もはやいまさらなので口に
はしない。なぜこの状態で先生が何も注意しないのかも不思議ではあったが、とにかくこ
の場は尋常ではなくなっていた。
 もっとも実際にありすがここに住んでいる訳ではないし、あるいはありすの魔法とやら
の力なのかもしれない。
 何せ魔法である。何が出来ても不思議ではない。この雪山を生み出した事といい、本当
ならば不自然な事が、すでに自然な出来事と化しつつある。高人もそれに慣れようとして
いて、そんな自分自身にもまた頭に来ていた。
 今は仕方なく梨花と一緒にこたつに入って本を読んでいたが、全く持って腹立たしい出
来事だ。
 しかしありすはそんな高人の様子も気にせずに、かまくらの中で餅を食べながら、じっ
と高人を見つめていた。
「ねー、たかくん。梨花ちゃん」

 餅をうにょーんとのばしながら、不意に訊ねかけてくる。
「なんだよ」
「なんだ?」
 二人で声を揃えて答えると、ありすは有り得ないほどに大きく笑みを浮かべていた。
「暇だよね?」
「暇じゃねぇ」
「まぁ、ぼちぼち」
 二人の答えに、ありすはうんうんと頷きながら、続けざまに話し始めていた。
「うん。暇だよね。と、いう訳で一つ提案があるんだけど」
「って、だから暇じゃねぇ!?」
 高人は慌てて抗議の声を上げる。しかしありすは、まるでその声が聞こえないかのよう
に、話を続けていた。
「ちゃちゃーんっ。取り出しましたるは、一枚の地図。皆様、これをご覧ください」
 懐からなにやら紙のようなものを取り出すと、頭上に掲げる。
 もっともありすは一人かまくらの中だったから、全く内容は見えはしなかったが。
「つーかっ、無視かよっ。てめぇ。この、暇じゃねぇっつってんだろ。何やるかしらない
けど、一人でやれ一人でっ」
 高人は思いっきり叫ぶが、ありすは一言だけ、しかしはっきりと断言する。
「却下」
「却下じゃねぇ!?」
 高人は叫んで立ち上がろうとする。しかしその瞬間、ひゅんと風を切る鋭い音が響く。
「うるさい」
 同時に梨花の拳が、高人の頭を思いっきり捉えていた。ガンと鈍い音を放って、高人の
顔がこたつに打ち付けられる。
「鼻っ。鼻が潰れる!? 頭っ、頭が割れるっ!?」
 高人は大騒ぎして鼻と後頭部を押さえていたが、全く誰も気にしていない。ありすは地
図を広げてほくそ笑んでいるだけだったし、梨花は平然とした顔でお茶をすすっていた。
「さてと、この地図ですがっ、この間、あたしが手に入れた宝の地図ですっ。宝を手にし
た者は、どんな願いも一つだけ叶える事が出来るという、すっごーいっ、ものなんですっ。
どうですっ、みなさん、欲しくなってきたでしょうっ!?」
 ありすは地図をぴらぴらと振り回しながら、雪山の上に作ったかまくらから降りてくる。
「ほう。それはすごいな」
 梨花は素直に感心した様子で、ありすの持つ地図を興味深そうに眺めている。しかし高
人はもちろん、そんなものは信じるつもりはなかった。
 何せ今までありすの言う事を信じて、何度痛い目にあったかわかったものではない。そ
もそもがどんな願いでも叶える事が出来る宝などと、絶対に有り得るはずがないと確信し
ている。
「それ、どこで手に入れたんだよ」
 とりあえず、一応訊ねてみる事にした。嘘くさい事には間違いない。いや、九割九分嘘
だと信じているのだが、ありすの存在そのものが初めから嘘くさいのだから、一分くらい
は無いとは言い切れない。確かめてみる必要だけはあった。
「駅前の古本屋さんで一〇五円かっこ税込み現品限りで売ってた」
 ありすは早口で告げると、にこやかな顔のまま目が「文句ある?」と告げていた。
「うさんくせぇ!? つか、それ絶対偽物だろ!? 百パーセント有り得ねぇ有り得ねー
から!」
「たかくん。物事は信じる事からはじまるんだよ?」
「あほかっ。限度があるわっ、限度が!?」
 高人は息を荒げながら叫ぶが、しかしありすは何事も無かったかのように、地図をこた
つの上に広げていた。
「さてと、この地図はどうやら学校の裏山を示しているようです」
「うわー……ますます信憑性ねぇ」
 高人はいいかげん叫び疲れて、溜息まじりに呟く。
 しかしどうせいくら抗議の声を上げても無駄だと言う事はわかっているのだから、何も
言わなければいいのだが、どうしても突っ込まずにはいられないのは、高人の性格なのだ
ろう。
「まぁ、そういうな。どうせ暇なのだから、嘘でもホントでもいいじゃないか」
 梨花はお茶をすすりながら、ちらと高人へと視線を送る。
 一見優しげに見える言葉だったけれど、その目に隠された威圧感に思わず声を失ってし
まう。
「まぁ、そうだけどさ」
 呟いて、それからこたつの上に広がる地図を眺めてみる。
 子供の落書きよりは立派な地図で、古ぼけた紙に描かれたそれは、一見すると本物っぽ
く見えなくもない。
 もっとも本物であればとっくの昔に見つけられていても不思議ではないし、そもそも学
校の裏山なんかに宝が眠っているとも思えない。
 ただ冷静に考えてみれば暇つぶしなんだから、宝が見つかるかどうかはあまり関係はな
いのだろう。
 まさかありすも、本当に宝が眠っていると信じている訳ではないとは思う。梨花にして
もありすが突然に変な事を言い出して、それに付き合うのはいつもの事だった。あまり深
くは気にしていないのかもしれない。
 高人はもういちど溜息をつきながらも、心の中ではもう仕方なく付き合う事に決めてい
た。もっとももし嫌だと言っても、無理矢理に付き合わされるのは間違いなかったが。
 ただ高人は今はまだ何も知らない。
 この宝探しをきっかけにして、急激に高人を取り巻く環境が変わってしまう事を。

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