死告の少女は黄昏に (02)
 あの後、そらは何も話そうとはしなかった。何を聞いても「お願いですから。聞かない
でください。お願いですから……」と何度も何度も呟くばかりで、最後には英司も秀一も
何も言えなくなっていた。
 そらは確かに泣いていた。初めから英司の姿にややおびえ気味ではあったが、しかしそ
れとは明らかに違う。もっと激しく強い感情に確かに捉えられていたから。
 たとえ同一人物ではないとしても、少なくとも昨日の少女とそらとが何らかの関わりを
持っている事だけは間違いない。しかしもし死を告げたのがそらだとすれば、あの態度は
全く納得がいくものではなかった。
 出会いから一日が過ぎる。もしも予告が本当だとすれば、英司の命はあと六日。
「そんなワケねーだろ。たく」
 英司は呟いて不意に近くの鏡を覗き込む。
 彼女は、そこにいた。黒いショールをまとい死を告げた少女、よくみると頭だけでなく
て左腕にも包帯が巻かれていた。
「一日が過ぎました」
 声が聞こえた気がして振り向く。
 確かに見えたのに、なのにそこには、誰の姿も無かった。
 疲れているのか、俺は。英司の渇いた喉から絞り出すように声を漏らす。しかし言葉に
はならなくて、ただ蛙の鳴き声のような音が伝うだけ。
「死ぬのか、俺は」
 無言の内に、呟いていた。


 次の日、英司は学校にはいかなかった。そんな気分になれなかったからだ。両親は共に
朝は早く夜は遅い。従って学校をさぼってもそれを咎めるものはいなかった。
 もっとも英司は見た目に反して案外と真面目で殆ど学校を休んだ事はない。授業は好き
ではなかったが、学校そのものは嫌いでもなかったからだ。
 何が起きているのか全くもって不可解だった。もちろん知り合いにそんな体験をしたも
のなんていないだろうし、誰に訊ねようもなかった。あるいは秀一なら何かを知っている
かもしれないとは思うものの、何故かこれ以上話す気にはなれなかった。
 誰もいない部屋は、しんと静まり返っている。空気がどこか冷たく、ここには他に何も
ない事だけを意識させた。
 デュラハン。気になってインターネットで調べ上げてみる。しかしゲームに出てくるだ
とかが殆どで秀一が言った事以上の内容は掴めなかった。
「くそっ。手がかりなんてありゃしねぇ」
 歯を鳴らして、握ったマウスを投げつけてみる。
 ばんっと音を響かせて、衝撃で中のボールが外れてころころと転がって、まるでそれが
自らの首を抱えて立つという亡霊の首のようにも思えた。
「さらに一日が過ぎる」
 首が告げたような気がして、はっとして目を見開く。しかしボールはやはりただの球体
に過ぎなくて、それが錯覚なのか現実なのかもわからなかった。
 次第にいらついてくる心が、焦りと恐れとを余計に増幅させていく。
 なのに何も出来なくて、英司はばんっとテーブルを叩きつけた。


 三日目、英司は街へ出ていた。探すしかない。あの子を、そらと名乗った少女を。彼女
は絶対に何かを知っているはずだから。何も聞かないでいるなんて無理な話に過ぎなかっ
た。
 出会って全てを聞き出すしかない。本当にあと四日で死ぬのか、何か防ぐ方法はないの
か。知りたい事は山ほどあるのに、答えを持っているのは一人しかいなかった。
 見つけださなければと思い、それからどうして電話番号くらい聞き出さなかったのかと
後悔していた。彼女の事で知っているのは、あのどこまでも整った顔と、そらという名前
だけだったから。
 それだけの手かがりで人を探し出すのは簡単な事ではなかった。そもそもこの街の人間
かどうかも明らかではない。
 それでも探すしかない。
 こんなにも一人の女の子を追い求めた事なんてなかったけれど、それが普通ならざる理
由である事に、悔しさすら思い浮かべる。
 もしもこんな状況でなければ、そらとの出会いは明るく楽しいものになっていただろう。
英司はいつも振られてばかりだったけども、可愛い女の子と話すのはやっぱり楽しい。
 でも、いまは。針のような空気の中で、どこかに怒りすら滲ませて。
 そらを求めた。
 だけど、見つかる事は無かった。
 死ぬまで、あと四日。


 時間ばかりが過ぎていく。何一つ変わらずに、毎日だけが流れていく。
 いつもと変わらないはずの時間なのに、どうして今はこんなにも冷たく映るのだろう。
 英司は街中を歩いていた。初めは意味もなく走っていたが、そのうち疲れて走れなくも
なった。
 焦りが英司の中を支配していく。だけど他に何も思いつかなくて、英司はただそらを探
し求める事しかできなかった。
 だけど日が落ちて、消えていく頃。誰がそこにいるのかもわからなくなる時間になって
も見つけられなかった。
 しかし家に戻る気もしなくて、夜の街を一人歩いていた。
 それほど大きな街ではないだけに若者の姿はさほど多くはない。いてもせいぜいが大学
生で、恐らくは中学生だろうそらの姿など見つけられるはずもなかった。
 公園のベンチに座り込んで、溜息をついた。どうしてこんな事に必死になっているのか、
自分でもわからなかった。ただ何も見えない闇の中をまさぐっているようで、このままで
はいられなかった。
 あと三日で本当に自分が死ぬかなんて事はわからない。初めは質の悪い冗談以外には思
えなかったのに、いつのまにか引き込まれていた。
 異常なまでに震えていたそらを見てしまったからだろうか、それともあの時、鏡に映っ
た幻のせいだろうか。
 いくら考えても答なんて出る筈もなかったし、そんな事は些細な事に過ぎなかった。
 だから立ち上がり、再びそらを探そうと振り返った瞬間。
 そこに彼女は見えた。黒いショールに身を包んだ彼女の姿が。
「探していたよ」
 英司の口から零れたのは、そんな言葉だった。他に何を言えばいいのかもわからなかっ
たから。
 しかし少女は何も告げずに、顔を上げて英司を片目でじっと見つめていた。
 どこまでも闇を見通しているような黒い瞳が英司を捉えている。しかし包帯を巻いて塞
いだ左目から、より深く見通されているようなそんな気すらしていた。
 そらと全く同じ顔。だけどその目に宿る意志の色がまるで異なっていた。大人しくどこ
か怯えるような、だけど自らの意志を感じさせるそらの色に対して、彼女のそれは心すら
感じさせなかった。
 同一人物なのか、それとも似ているだけなのか、それすらもわからない。
「俺はもうすぐ死ぬのか? あんたが俺を殺すから?」
 デュラハンは死を連れてくるという。もしも彼女がそれと同じだとすれば、彼女は死を
連れて訪れるのだろうか。
 しかし少女は何も答えずに、あの時と同じように手をゆっくりと伸ばした。
「手を取れって事か? どこかに連れていくというのか?」
 英司は一歩だけ彼女に歩み寄って、ぎゅっと目をつぶり、首を大きく振った。
 何が正しいのか、何が起きているのか。いまこの時間が現実なのか、夢の中なのか。目
の前にいる少女は本物なのか、自らの心が産んだ幻覚なのか。
 何一つ分からなかった。
 少女の髪が風で揺れる。ショールも風に舞っていた。
 真っ白な手に巻かれた包帯が痛々しく思える。本当に傷を負っているのかはわからなかっ
たけれど。
 と、ふと気が付くと少女の右の足首と、左足のふくらはぎにも包帯が巻かれていた。も
しも本当に傷があるとすれば、日に日に傷が増しているのだろうか。
「怪我、してるのか?」
 英司は呟く。
 その瞬間、少女はびくっと身を震わせた。
「……もうすぐ貴方は死にます」
 静かに感情の含まれない声で彼女は告げる。しかしその声もどこか震えているように思
えたのは英司の気のせいだったのだろうか。
「助かる方法はないのか?」
 英司の声に少女はあるともないとも言わず、差し出した右腕を胸に当てた。
 意味があるのかないのかはわからない。しかし彼女はそれ以上、何も言わず振り返り歩
き出す。
「待てよっ。まだ聞きたい事があるんだ」
 駆け足で少女を追いかける。しかし歩いているようにしか見えない少女には、なかなか
追いつく事が出来なくて彼女は角を曲がっていく。
 すぐにその角までたどり着いて、彼女の行った方向へと向かった。だからすぐそこにい
るはずなのに。
 そこにあったのは秀一の姿だった。それも向こうからこちら側にやってきていた。
「英司? 君、ひさしぶりに会うね。学校は毎日あったのに」
 いつもの嫌味も今は聞こえていない。
「秀一っ。いま、あの子がこっちにきただろう。見なかったか」
「……誰もこなかったけど」
 秀一は眉を寄せて呟く。それから小さく溜息をついて、英司の瞳をのぞき込んでいた。
「君、まさか一週間後に死ぬなんて事を信じている訳じゃないだろうね。あれはたぶん君
を怖がらせようとしているだけだよ」
 秀一は溜息をこぼして、両手を肩を隣まで上げてみせる。
 しかしそんな秀一の言葉に、英司は思わず声を荒げていた。
「違うっ、そんなのじゃねぇ。俺は見たんだ。幾重にも包帯に巻かれたあの子を。そして
もうすぐ俺は死ぬって、今も告げて」
 言い募る英司に秀一はもういちど息を吐き出した。呆れているのか、それとも違う感情
からなのか、英司にはわからなかったが秀一は次の瞬間、こう呟いていた。
「ま、もしも彼女が言い伝えのデュラハンと同じだとしたら防ぐ方法は二つあるよ」
 秀一は手にした通学鞄を肩ごしに背にして、じっと英司を見つめていた。
「マジかよ!?」
 あまりにあっさりと言われた台詞に釣られるように英司の声もどこか明るく変わる。
「まぁね。一つはデュラハンは流れる川を渡れないから川向こうに引っ越す事さ」
「……んなこた、できねぇよ」
 軽い口調で告げる秀一に、英司は冷たい声で答える。この辺りでまともな川といえば隣
町までいかないとない。小さなドブ川のようなものならあるが、あれで事足りるとも思え
ないし、そもそも引っ越す事なんて出来る訳もない。
「ならもう一つ。デュラハンは死を連れてやってくる。その時、デュラハンを追い払えば
いい」
 事も無げに言う秀一の言葉に、英司は今度はごくりと息を飲み込んでいた。
 追い払う。口で言えば簡単な事だと思う。そして普通であれば女の子の一人くらいなら
どうって事はないだろう。
 しかしそれは普通の女の子だとすればだ。もしも本当に彼女が化け物の類だとすれば、
そう簡単に行くだろうか。
「単純な事だろ。まぁ、もしその子の言う通りあと三日後に死ぬというなら、追い払えれ
ば君は生き残るし、そうでなければ死ぬってそれだけの事さ。僕は、ま、そんな話信じて
ないけどね」
 小さく笑みすら浮かべながら秀一は淡々と告げていた。もともと秀一は現実主義者であ
り化け物の類はいっさい信じていない。デュラハンの事も知識として覚えていたに過ぎな
いのだろう。
「……そうだな、それだけの事だ」
 しかし英司は強く頷いていた。他に出来る事が有る訳でもない。ただあと三日待って、
追い返すだけの事だ。
 英司は空を見上げ、じっと星を追う。黄昏もすでに過ぎて、宵闇の中。彷徨いだしてい
た心は、今はもう行く道が定まっていた。
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