僕にも魔法が使えたら (01)
一.仔猫と少女と想い

 何気なく洋(ひろし)は視線を移した。
 不意に一人の少女と目が合う。いつもの洋なら顔を逸らしたのかもしれない。けど何故
か彼女から目を離す事が出来なかった。
 紅いセーターと白いフレアのミニスカート。その下にはすらりと伸びた細い素足。やや
明るめの色をした長い髪を、サイドだけ小さく三つ編みにしている。
 第一印象は『可愛いけどもどこにでもいそうなごく普通の子』だった。彼女が立ってい
るそこが公園の噴水の上と言う事を除けば。
 噴水の上とは言っても小さな像の間から水がこぼれるタイプで、彼女自身は濡れてはい
ない。かといっても、それが奇異な行為である事には変わりはしない。ましてこの冬空の
下だ。見てるだけでも寒い。
 少女はあからさまに注目を集めていた。しかし誰一人として目を合わせようとはしない。
視線を合わせてしまったのは洋だけだ。
 もしかしてすると俺は何かとんでもない間違いをしてしまったんじゃないだろうか。洋
はふと思う。
 と、その瞬間に彼女はきょろきょろと辺りを見回して、それから自分自身を大きく指差
した。
 突然、ぽんっと大きくジャンプして噴水の上から飛び降りる。着地でバランスを崩しそ
うになったけども、なんとか倒れずに済んだようで、少女はほっと息を漏らしているよう
だった。
 再び顔を上げてそれから洋をじっと見つめている。その瞬間から、どこか洋の頭の中で
「あいつと関わったらろくな事にならない」と警告する自分がいるのを感じて、しかしそ
れでも洋は視線を逸らす事が出来なかった。
 それから少女は目を合わせたまま笑う。誰でも思わず微笑み返してしまいそうな、そん
なとびっきりの笑顔で。
 思わず「可愛い」と考えてしまう。しかし自分の中の警報は今やレベル5に達していた。
逃げるなら今のうちだ、と。
 けれど次の瞬間、彼女はたたたたっと走り出して洋の目の前で急停止する。かと思うと、
目の回りそうな勢いで洋の周りを回りだし、あちこちくんくんと匂いを嗅いでいた。
 犬かっ、こいつはっ。洋は内心思うが、あまりの唐突さに口に出すほどの余裕はない。
「うんっ。私、決めました」
 不意に少女は呟く。綺麗な声だとは思う。しかしその時「ああ、もう手遅れだ」と洋は
心のどこかで感じていた。
 決めたって何をと言いかけて口を紡ぐ。出来る事なら自分から関わるなという警鐘が鳴っ
ていたのもあったが、それよりも少女が機関銃のような勢いで話し出したからだ。
「どうですか? いいですよね? 良いと言ってください! 言ってくれるまで離れませ
ん。お願いですから、良いと言ってください! ほら、貴方はだんだんた良いと言いたく
なります。どうですか? ダメですか? そんなことないですよね。良いですよね?」
「あ、ああ」
 あまりの剣幕に思わず頷いてから、しまったと思い直す。そもそも何が良いのかも分か
らないのに、迂闊な返事をしてしまっては何が起こるのか分からない。
 しかし洋のそんな内心には気付いていないのか、彼女の顔にぱぁっと大きな笑顔が広がっ
ていた。
「これで決まりですねっ。それでは洋さんは、これから私のパートナーです」
「まてっ、勝手に決めるな。なんだ、そのパートナーっていうのは!?」
 洋は思わず叫んでいたが、しかし考えてみれば勢いに押されてとは言っても「良い」と
返事してしまったのは自分自身だ。
 もっともだからといって彼女のペースでいろいろ決められたのではたまらない。まして
パートナーとやらが何を意味しているのか洋には分からないのだから。
「でもでもでも洋さん。いま良いって言ったのに。まさか嘘だったんですか!?」
 彼女は案の定その事に触れてくる。洋は半ば頭を抱えたくなる感情を抑えながら、出来
るだけ言葉を選んでやんわりと告げた。
「いや、そうじゃなくて。今の返事は相づちのようなもので、良いと言った訳じゃない」
 よし完璧な言い訳だと口の中で呟くが、しかし少女は納得していないらしく、ぷぅっと
頬を大きく膨らませる。
 その様子に「けっこう可愛いとこあるな」と思うが、慌てて内心頭を振るう。これでは
相手の思うつぼだと。
「ふぇ。やっぱり嘘だったんですね。そんな事したら雪人(ゆきと)が悲しみますよ? 
でももうダメです。契約は済んじゃいましたから」
 少女はにこやかに微笑むと、ふと洋の手を取った。長いこと外にいたのか、とても冷た
い手をしていた。しかしそれでも彼女はここにいるのだと感じさせる温もりが伝わる。
 微かな暖かさに一瞬心奪われていたが、次の瞬間、はっと意識を目の前に戻す。
「なんだその契約って!? 俺はそんなもの――」
 結んじゃいないぞ、と続けようとしてしかし声に出す事は出来なかった。
 気付いたら少女の顔が文字通り目と鼻の先にあったから。僅かでも動いたら触れてしま
いそうなほどに洋の心臓が強く跳ね上がる。間近で見ると大きな瞳と長いまつげが、はっ
きりと見てとれた。
「じっとしててください」
 少女の声と共に軽く吐息が肌に触れる。さらにゆっくりと彼女は顔をずらし、そしてぺ
ろんと洋のまぶたをなめた。
「はい、とれました」
 べー、と舌を出してみせるとその先に小さなゴミがついている。紙くずか何かだろう。
 少女は舌に乗ったゴミを指先で取ると、ちり紙に包んでポケットにしまう。
「……おまえ、何やってるんだ?」
 憮然とした顔のままで洋は訊ねる。たぶん訊ねても欲しい答えは戻ってこないのだろう
な、とは思いつつも。
「ふぇ? だってほら。ゴミをその辺に捨てちゃいけません! って小さい頃、言われま
せんでした? だからポケットに入れておいて後でごみ箱に捨てるんですっ」
 きょとんとした表情で少女は先程のゴミをいれたポケットを見つめると、そのままぽん
ぽんと軽くポケットを叩く。
 あれは中にゴミがある事を確認したつもりなのだろうか、と洋は思うが彼女の考えてい
る事はよく分からない。
「いや、そんなことでなくてな。いいか? なんでっ、お前がっ、俺のっ、目についたゴ
ミをっ、なめ取る必要があるんだって訊いているんだ!」
 洋は声を荒げながら言い放つと、はぁと溜息をつく。文節で区切りながら説明したのは、
洋の怒りの度合いを表しているのだろう。
 しかし少女は洋の言っている事が分からないと言うかのごとく首を傾げると、そのまま
身体ごと斜めに傾けていく。
 それ以上傾けたら倒れるだろと洋が考えた瞬間、少女は不意にまっすぐに体勢を戻して、
ぽんと小さく柏手を打った。
「あ、わかりました! 次からは舌でなくて、指でとる事にします!」
「ああああっ、そうじゃねぇーっ!」
 洋は思いっきり叫んでいたが、しかし少女はうんうんと一人頷いている。もう彼女の中
では完全に結論が出たらしい。
 ぐぐぐぐぐ……と唸りを上げている洋を見つめ「ふぇ?」と呟くと首を傾げる。しかし
今度はすぐにその手の平をぽんと合わせた。
「わかりました! ちょっと待ってください……うんと、確かここに。うん、あった。は
い、これどうぞ!」
 そう言って手の上に載せて差し出されたのは、キャラメルが一つ。それも箱ではなくて、
中身の粒が一つだ。
「お腹がすくと力が出ませんよね?」
 にこにこと微笑む少女に、洋はもう何も言えずにただ溜息をつくだけだった。
 少女はしばらく微笑んだまま手を向けていたが、いくらたっても受け取ろうとしない洋
に三度首を傾げる。
「あれ、食べないんですか? お腹空きましたよね?」
「あー、いらんいらん」
 洋は手を振って答える。
「ふぇ。どーして? あ、そうか!」
 癖なのか、少女は何か思いつく度に柏手を打っていた。今もぽんと軽快な音を立てる。
 今度は何だ? と思いながら洋は少女を見つめると、彼女は深々と頭を下げる。
「ありがとうございます!」f
「はぁ?」
 突如言われた礼に、洋は思わず声を漏らしていた。しかしもはやこの少女の唐突さには
慣れつつあるのか、もうさほど驚きはない。
「キャラメル。一つしかないから私が食べろって事ですよね。優しいなぁ、洋さん。さす
が私のパートナーです。でもパートナーならここははんぶんこが正しい姿ですよね!」
「だからそのパートナーっていうのは、何なんだよ!?」
 しかし叫んだ洋の言葉は全く耳に届いていないのか、少女は一生懸命キャラメルを半分
に割ろうとしている。
 何が悲しくてキャラメルを半分で食べねばならんのだと内心思うが、彼女はそんな洋を
よそにまるで一生の大事のように真剣な顔でキャラメルに立ち向かっていた。
「出来た! ちょっと形変わっちゃったけど、美味しいですよ、これ。一粒で三百メート
ル走れるんです。そう箱に書いてありますから。あ、でもはんぶんこだから……えっと百
五十メートルですね」
 笑顔で、本当に楽しそうな微笑みでキャラメルの片割れを差し出している。
 今時、一粒三百メートルいうか? と心の中でつっこむが、それは口にはしない。
 ただ些細な事にも真剣な少女を見ていると、悪い奴ではないんだろうなと思えて、洋は
キャラメルの片割れを受け取っていた。
 キャラメルはもはや元の四角を保ってはおらずいびつな物質と化していたが、洋は気に
せずそれを口に放り込むと、ゆっくりと噛んでみる。甘くて、どこか懐かしい味がした。
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