白い夏草の陰で
 白い部屋。白いカーテン。白いシーツ。
 ここには白しかない。私を除いて。
 それともやっぱり私も、白なのだろうか。透き通るような白い肌、といえば聞こえは良
いかもしれない。ただ青に近いほど、白い肌。
 涙もでなかった。もう分かっていたから。
 私の命は、あと一週間ほどだということは。ずっとずっと昔から。
 もういつからここにいるのかも分からない。ただ、一人寂しくずっとここにいる。
 一週間後。私は心臓の手術を行う。難しい手術だ。成功する可能性は一割にも満たない
だろうって先生が話してた。私には直接言わなかったけども、聞いてしまったから。
 もうすぐ。私は死んでしまうんだ。手術が失敗したら、そのまま死んでしまうんだ。
 しかし、同じ事だ。今までだって、自分から死のうとして、ただ失敗しただけなのだか
ら。
 最初は果物を剥くナイフで、手首を切った。少し血がでたけど、思った以上に血は出な
かった。やがてやってきた看護婦さんに見つかって、大騒ぎになった。以来、私の近くに
は刃物はおいていない。
 窓から飛び降りようかとも思ったけど、それはやめておいた。私の身体は綺麗じゃない
痩せたちっぽけな身体だけど、胸どころか腕だって細くて。触ったら折れてしまうんじゃ
ないかって私自身思う。けど、それでもせめて死ぬときくらいは綺麗でいたかった。飛び
降りたら、ぐちゃぐちゃになって、きっと潰れてしまうだろう。せめて最後に死に顔くら
い綺麗だと思って欲しかった。
 眠れない、といって睡眠薬も沢山もらった。全部飲んだけど、けど意外と死なないもの
だということもわかった。怒られて、次からは薬はくれなくなった。全部、看護婦さんが
管理して、食事の度に、一緒に一回分だけでてくる。飲んだふりしてとっておこうかとも
思ったけど。それは途中でやめた。
 わかったからだ。私は、次の手術が最後だということは。
 難しい、殆ど成功例のない手術。なら、それできっと私は終わりなんだと、納得してし
まったから。
 夏、まっかさかりの暑い日。ギラギラと輝く。熱い日差し。
 そんなある日のことだった。

 私は病室を抜け出していた。
 心臓が悪いとはいっても、出歩けない訳ではない。看護婦さんと一緒なら、病院の中の
どこにでもいけた。急な発作が起きなければ、普段は私は普通の人と変わらない。急激な
運動は出来ないし、長くも歩けないけども。
 もし今、発作が起きたら、私は誰も知らない内に苦しんで死ぬのかな。ふと、思う。た
だ、それでもいいかな、とは思った。
 それでも今までは一人で歩いたことなんてなかった。すごく小さな時を除いて。その頃
は、まだもう少し元気だった気がするけども。
 生まれつき心臓が悪くて。何度も入退院を繰り返した。そして、三年前、最後に倒れた
その時から。私は病院から一歩も出ていない。
 どこをどう歩いたのか、気が付くと私は病院の裏庭に出ていた。
 夏の日差しが暑い。ひさしぶりに日光にあたって、頭がくらくらする。でも、気持ちよ
かった。
 汗はあまり出ない。代謝が落ちているのだろうか。
 でも、いまは逆に有りがたかった。汗でべとべとするのは、あまり良い気持ちではない。
 裏庭には誰もいなかった。それはそうだろう。この暑い日差しの中、わざわざこんなと
ころに出てくる必要はない。外に出たいなら、ベンチや噴水のある中庭にでも出ればいい
だけの話だ。こんな何もない場所にくる人なんて、誰もいない。
 そう思っていた。
 そこに立っている男の人を見つけるまでは。
 私は、じっと彼をみていた。私と同じ年くらいだろうか。だとすれば、十五歳くらいだ。
ちょっと綺麗な顔立ちの彼は、しかしずっと目をつぶっていた。何をしているのだろう。
「誰?」
 不意に、彼はいって振り向く。そのまぶたは閉じたままで。
「ご、ごめんなさい」
 目は閉じていたが、じっとみていたのがわかったのだろうか。思わず私は謝っていた。
「謝らなくてもいいけど。君は誰? 僕の知らない声だ。新しく入った看護婦さん?」
「ち、ちがうよ。私もここの患者だもの」
 どうみたら私が看護婦さんに見えるのだろう、とは思うが慌てて首をふる。しかし考え
てみれば、彼は目をつぶったままだ。声だけでは判断がつかなかったのだろう。
「そうか。どうしてこんなとこに? 僕に何か用かい?」
「ううん。散歩してただけ」
 彼は決して目を開かずに、それでも私の方へと降り返った。私は目をつぶったままの彼
に、しかしそれでもじっと見つめられているような気がして、すごく恥ずかしくなった。
考えてみれば、べットからそのまま降りてきたから、パジャマのままだ。
「ふぅん。こんなところにくるなんて、変わってるね」
 彼は感慨深そうに、そう呟いた。何がおかしいのかわからなかったけど、私は不意に笑っ
ていた。確かに私は変わっていたかもしれないけど、それは私だけじゃないのに、と。そ
う思った。
「そういう君だって、こんなところにいるじゃない」
「そうか。言われてみればそうだね。気が付かなかった」
 一人、納得したように頷くと、それから私をじっと見つめていた。始めて、彼の目が開
いていた。そして、その瞳をみた瞬間。私はなんで彼が目をつぶったままだったのか。やっ
と理解した。
 彼の瞳には色がなかった。白く濁ったその瞳は。どこも見つめてはいなかった。
「ね、私も隣にいっていい?」
「いいよ」
 彼の言葉に、私はゆっくり彼の隣に座った。彼も私に合わせてか、静かに腰かける。
「ねぇ、君。目が見えないの?」
 私は何気なく聞いていた。相手を気遣う心は、今の私にはなかった。考えてみれば、私
が「君、心臓が悪いの?」と聞かれていたら、傷ついていただろうに。
 けど、彼はそれにも何も言わず、優しく微笑んでいた。
「そうだよ。生まれてからずっと」
「じゃあ、何も知らないの? あの花の赤も、あの草の緑も?」
 私はただ純粋に驚いていただけだった。彼を傷つけるつもりもなかったし、他意は何も
なかった。
 でも、考えてみたら自分は心臓が悪いから何を言ってもいいんだと思っていたのかもし
れない。
「わからないね。けど、触れば形はわかるから」
 彼は、そういって近くにあった野花に触れた。
 雑草ではあったけど、小さな花を咲かせていたその花。
「これが草で、これが花。色はわからないけど」
「それは白よ。白い花」
 私はなんとなく嬉しくなって声を高くして答えた。
「そうか。これは白か。じゃあ、これは」
「それは黄色よ」
 彼が、いちいち聞いてくることに、しかし私は嫌な気持ちはしなかった。今まで家族や
看護婦さんや先生が聞いてくる言葉は、いつも嫌な気持ちにしかならなかったのに。
 そう思った瞬間。私は、今まで彼に言っていた言葉が、彼を嫌な気持ちにさせていたん
じゃないか。そう思いついた。
 本当ならもっと早くわかっていなくちゃいけないことだったのに。
「ねぇ、もしかして……私、目のこといったの。嫌だった?」
「うん。どうして?」
 思わず聞いていた言葉に、彼は何もわからないかのように首を捻った。彼は何も感じて
いなかったのだろうか。
「私。私だったら嫌だもん」
「そうか。けど、僕は別に嫌じゃないけど」
 彼はそういって。それより、この花の色は、と小さく訊ねた。
 私は彼の言葉が嬉しくて、ピンク色だよ、とはしゃいで答えていた。
 しばらくの間、彼が花の色を訊ねていたが、しかし、それも回りに花がなくなると、終
わりになった。花壇までいけば、沢山花はあるのだが、しかし花壇に入りこむ訳にはいか
ないし、入らなければ目の見えない彼が花に触れることはできないだろう。
「ねぇ、この花は白かな?」
 彼は今まで触れたことのある花に触っていた。
 覚えていたのだろうか。
「うん。そうだよ」
「そうか。僕は白というのがどんな色かはわからないけど。きっと優しい色なんだろうな」
「……うん」
 私は、彼の言葉に笑いながら答えた。
 ただ、嬉しかった。


 次の日。私は同じ時間に、裏庭にいってみた。
 やっぱり看護婦さんには内緒で。
 ちょうど荷物運搬用のエレベータが近くにあって、これを使えば誰にも見られずに外に
いけた。少し動悸がしたけども、これくらいなら問題はない。
 昨日話したとき、彼はいつもあそこにいるようなことを言っていた。恐らく中庭は人が
沢山いるから、危ないのだろう。けどそれでも外に出たくて、裏庭にきているのだろう。
 確かにたまには外の空気はすわなくちゃ、と思う。なんとなく元気になったような気が
する。昨日、裏庭にいって強く思ったことだ。今まで、ずっと外にはでなかったのが勿体
なく思えた。
 彼はそこにいた。そして私が声をかける前に、私を呼んだ。
「やぁ、結奈だね」
「わかるの?」
 私は驚いて、声をあげた。目が見えないのに私だとわかるなんてすごと思った。
「足音とか、いろいろでね」
「博紀って、すごいんだぁ」
「すごくはないよ。見えない分、音には敏感なんだ」
 そんなくだらない会話をして。
 そして毎日。私はここにきた。
 彼も毎日かならずそこにいた。
 いけは、会える。そう思っていた。
 しかし、四日目のその日。彼はいなかった。
 約束をしていた訳じゃない。それでも、彼は必ずそこにいてくれたのに。
 しばらく待っていたけども、彼はここにくる様子はなかった。仕方なく、私は病室に戻っ
た。あんまり遅くなると、看護婦さんの巡回の時間になってしまう。それまでに戻らない
と、私が勝手に抜け出した事がばれてしまう。
 今日は、もしかしたら何かの検査でこれなかったのかもしれない。また明日いけばきっ
と。そう思った。そして、次の日。私はまたここに向った。
 しかし、彼はここにはこなかった。
 もうこないのだろうか。悲しかった。
 とても会いたくなった。会えないのは嫌だった。
 そして。気付いた。手術はもう明後日に迫っていることに。会えるのは、恐らくは明日
が最後であることに。
 また次の日になった。私は、抜け出して裏庭にいった。だけど。彼はそこにいなかった。
 私の事を嫌いになったのだろうか。不意にそんな事を思った。そうかもしれない。私な
んて明日にはいなくなる存在なのだから。嫌われても仕方ない。
 明日になれば、私はいなくなる。この世から、いなくなってしまう。
 手術は午後からだけど。いろいろな準備や検査で明日はもうここにくることは出来ない
だろう。だから、今日が最後のチャンスだった。
 でも嫌われてしまったのなら。もう会えないだろう。そう思った。
 でも。それでも会いたくて。
 私は、ただここで待っていた。
 看護婦さんの巡回の時間になっても。
 いまごろ大騒ぎになっているかもしれない。
 私がいなくなったことに。
 それでも、私はここにいた。
 やってこない彼を待って。
 そして。
 太陽が、隠れようとするその時間になった。
 看護婦さんに発見されるのも、時間の問題かな。
 そう思った瞬間。
 彼は、ここにきた。
「やぁ、結奈。今日はまだいたのかい?」
 彼は何気ない言葉でそういった。
「うん……うん……」
 私は嬉しくて嬉しくて。なぜか涙が出てきた。自分が死ぬとわかった時にも涙なんてで
てこなかったのに。どうして、これだけのことで涙が出るのだろう。不思議だった。
「泣いているの? どこか痛いの?」
 彼は声が潤んだ私に、そう言った。私が病人であることは分かっている。だから、どこ
かが痛いのかと思ったのだろう。
「違う。違うよ。博紀がきてくれた事が嬉しかったんだよ」
「僕が?」
「うん」
 意外そうにいう博紀に。しかし私はただ泣いていた。なきながら笑っていた。
「ごめん。待っててくれたんだね。ずっと検査があったんだ」
 彼はゆっくりと頭を下げる。
「ううん。いいの」
 私は、そういって。
 ずっと言わなかった事を。いう決心がついた。
「私ね、明日。手術するの。心臓の手術。だから、もう会えないから」
「会えない? どうして」
 彼は意外そうに尋ねる。
「だって、難しい手術だから」
「そうか。そういえば、僕も明日手術するんだ。それで検査に時間がかかってたんだ」
「君も?」
 確かに考えて見れば不思議な話ではない。彼は目が見えない以外に身体に悪いところは
ない。目が見えないからって病院にいる必要はないはずだ。それなのに病院にいるのは手
術をする為だったのだろう。
「成功すれば、少しは見えるようになるかもしれない」
 そういって。彼は、私に触れた。
 ぎこちないその手は、だけど優しく私の頬に触れた。
 暖かい。純粋に、そう思った。
「君の色は、白だね。きっと」
「……うん」
 白は優しい色だね、といった彼の言葉が思い出された。どうしてだろう。どうして彼と
いると、こんなに涙もろくなるのだろう。
「僕の手術も成功率は殆どないって言われている。けど、僕は必ず見えるようになっても
どってくる」
 はっきりと、彼は言った。
「だから、君も戻ってくるんだ。僕はまだ君の顔を知らない。だから戻ってこなくちゃい
けない」
「……うん」
 私は、頷いていた。
 始めて思った。
 私はまだ、死にたくない、って。
 本当はずっと思っていた事だった。

 明日は。手術だ。
 けど、私はここに必ず戻ってくる。

 夏の日差しが、熱い。




あとがきのよーなもの

 こんにちわ。翔です。
 この小説は、相沢秋乃さんのサイト、1000ヒットお祝いに書いた作品です。

 秋乃さんのサイトに、ひっそりとアップされていたのですが。
 せっかく書いたものなので、こちらにもひっそりアップさせてもらう事にします。ひっ
そりです。ひっそり(笑)

 一応、これからもがんばってください、という意味を込めて書きました。
 いまひとつお祝いっぽい小説には仕上がらなかったですが。まぁ、難しい事に挑戦しよ
うとしている私達にとっては(秋乃さんもプロ志望)、あきらめないでチャレンジしてい
きましょうねっ、という意味もあります。

 そんな訳で、書いた小説ですが。
 こっそり。アップしちゃいますっ。

 送ってからけっこう立つので、そろそろアップしてもいいかな、と(笑)
 ではー

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