赤い風船を
 暖かな春の日差しはきらきらと、空を踊るように降り注いでいる。ときおり
静かに風が舞うように走る。そんな優しい休日の午後。僕は何気なく街へと出
かけた。
 街角のベーカリーからは、美味しそうな焼き立てパンの香りが漂っていた。
すぐ傍の文具店には子供達が集まり、ジュースやお菓子を買う姿が見える。
 少し進むと小さな本屋が見えてきた。ここは毎日のように顔を出している。
本が好きなのもあるが、何より中学のころ同級生だった村井の家でもあるから
だ。ただ今日は、シャッターが降りている。良く見れば定休日の貼り紙もある。
もちろん、最初からそんなことはわかっているが、やはり少し残念な気もして
いた。
 特に目的も無いまま、僕は辺りをゆっくりと散策する。たまにはこんな日も
いいだろう、などと思いながら。そうして僕が歩くにつれて、少しずつ町並み
が変わって行く。
 不意に、風に揺れ浮かぶ、赤い風船が目に付いた。風船は空に上がって行く
でもなく、また地面に落ちて来るでもなく、ただ僕の頭の上よりやや高い所を、
ふわふわと風に吹かれるまま流されている。
 何気なく、僕はゆっくりとその後を追った。特に興味をそそられたと言う訳
じゃなく、ただなんとなく気分まかせに追って見ただけだ。もともと休日の散
歩で、何の目的も無かったのだから、行き先を風船にま任せてみるのもいいだ
ろう。そんなことを思ったか思わなかったか、僕はただ風船の後を追った。
 風船は実に気まぐれで、まっすぐに進んでいたか思うと、急に右手に旋回し、
かと思うと、今度は左手に行き先を変える。でも僕は、風船の行くままにただ
歩き続けていた。
 しばらくすると、風船は僕の知らない路へと入り込んで行く。良く考えてみ
れば、長年この街に住んでいるというのに、この辺りにはやってきたことがな
い。時折通り過ぎる人達も、知らない顔ぶればかりだ。そのまましばらく歩く
と、路地の裏から良い香りが漂ってくる。そっと路地を覗き込むと、こんなと
ころで小さな喫茶店が営業していた。優しい香りが、この店の回りには広がっ
ている。実に美味しそうな匂いだ。次に機会があったら、ぜひ寄って見ようか
なと思う。しかし、こんなところに喫茶店があっただなんて、全く知らなかっ
た。
 風船はそのまままっすぐに進んでいたが、突然、また方向を変える。段々と
家並みは寂しくなって行く。この辺りはまだ自然が多い。風が吹く度に樹々が
ざわめき、僅かに鳥や虫達の声が聴こえくる。路はそのまま山へと続いていた。
 もうずいぶんと歩いただろうか。もうすっかり何も知らない場所へと辿り着
いていた。山道を少しずつ登っているが、普段の運動不足の為かすぐに息も荒
くなる。そろそろ夕方になろうとしているのか、日差しも弱まり、光は少しず
つ赤みをおびていた。引き返そうかとも思ったのだが、なんとなくこのままゆっ
くりと山道を歩いていた。
 しばらくすると路が二つに分かれていた。片方は山を降りる路、片方は山を
登る路。だけど、僕は迷わずに山を登る路を選んでいた。
 山道の先に、小さな階段が見える。頂上に近づいてきたのだろうか。自分で
は気付かなかったが、微かに早足になって階段へと向かう。そして一歩、一歩、
踏みしめながら、階段を上がっていく。
 階段が終わりに近づいてきた。どうやら階段の上は、小さな広場のようになっ
ているみたいだ。ゆっくりと広場へ向かう。
 登り終えると同時に、さっと目に差し込む夕日。思わず目蓋を閉じて、手で
光を遮る。
 それから、ゆっくりと目を開く。
 ひゅるると風が流れる。光は紅い。そして遠く遠く、街を見下ろした。海も
見える。ただ一面、見慣れているはずの街が、僕の瞳には全く別のものに映っ
た。
 静かに溜め息をつく。
 あの赤い風船を追ったのは、この風景が見たかったからかもしれない。そん
な事を思った。
 と、同時に、思い出して辺りを見回す。しかし、何時の間にかもう、あの赤
い風船は、どこかへ飛んで行ってしまっていた。
 あの風船はいずれ、また誰かの目に止まるのだろうか。それとも空高く消え
て行くのだろうか。それはわからない。ただ、もういちど風船と一緒に飛んで
見たい気もしていた……。
Fin
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