時計の針回る 
「なぁ、加奈。クリスマス、俺達と一緒にパーティやらないか?」
 織田先輩は、優しく微笑んでいた。
「なにいってるんですか、先輩っ。先輩には、水城先輩っていう、素敵な彼女がいるんで
すからっ。ラブラブでアツアツな一日を過ごしてください」 
 私はそういって笑う。
 織田先輩は少し照れたような顔をして、小さく頭を掻いていた。
 自分でもうそつきだと思う。本当は一緒にパーティ出来たら、きっと幸せだと思う。
 でも。きっと辛いとも思う。
 私は一年中でこの時期が一番嫌いだった。
 恋人達が、急に華やぐ毎日。でも、私には誰もいない。
 織田先輩の恋人、水城先輩。織田先輩が名前を呼ぶとき、ちょっとだけ違うニュアンス
の含まれる人。
 私にとっても、大好きな。大好きな先輩。この時期、織田先輩が一緒に過ごす人。
 時々壊したくなる。
 きっと水城先輩は、私の中にこんな感情がある事なんて知らないだろう。おっとりとし
て、世間ずれしてなくて。世界はみんな手を繋いでいると思っているような人。大好きで
大好きで、たまらない人。
 織田先輩の恋人が、水城先輩じゃなかったら。こんなに苦しまなくても良かったのに。


「田村くんっ。ビールっ、ビールたりないよっ。ほらぁ、早く注いでよ」
「なぁ、加奈ちゃん。このくらいにしておいた方がよくないか?」
 同級生の田村(直樹)くんは、まっすぐ私の顔を覗き込んでいた。
「うるさいなー。いいのっ。ほらー、早く頼んでよぉ」
「荒れてるなぁ。何があったの?」
 田村くんは側にいた店員に、ビールを追加すると、小さく訊ね返してくる。でも、私は
それには答えなかった。
 こうして小さな居酒屋で二人向かい合わせに座っていると恋人同士に見えなくもないの
かな? ふと思う。
 田村くんの事は好きだ。もちろん、友達として。こうして寂しい時には、いつも相手に
なってくれる。
 田村くんは、決して深入りしようとはしない。それが私にはありがたかった。
 もっとも彼には私が何で荒れているかなんてわかっているのだろう。織田先輩を除けば、
同学年の中では一番仲がいいのは田村くんだ。彼は私が織田先輩をどう思っているのか、
はっきりと知ってる。……水城先輩との事も。
 私が所属している英文科には殆ど女の子しかいなかったし、私は今ひとつ彼女達とはそ
りが合わなかった。だから、愚痴を聞いてもらうのはいつも田村くんだった。もっともた
だいつもわめきちらしてるだけだったけども。
 クラスも、本当は部活も違うのだけど、彼はいつも映研の部室に出てくるので気兼ねな
く話せた。時々、部室で二人で話し込んだ事もある。殆ど部員といってもいい。
 田村くんは、私の事を女の子として扱ってくれる。だけど私に手を出したりはしない。
だから安心出来た。彼は真面目すぎるから。
 安心しすぎて、余計な事口走って。それで諫められて怒った事もあったけど。でも、あ
れは私が悪いと思う。
 でも、もしあの時、追いかけてきてくれたてたら。もしかしたら今は違ったのかもしれ
ない。いや、そうじゃなくてもいい。いま、こうして酔った私をどうにかしてくれたら…
…。
 ……そんな事を考えてる私は、やっぱりどこか変なのかもしれない。真面目すぎる田村
くんに、そんな事を期待する方が間違っている。そもそもそんな気持ちは逃げているだけ
に過ぎないから。
 私は、弱いと思う。
「お、直樹じゃん。こんなところで、デートかぁ」
 と、不意に横手から声が掛けられた。
「ば、ばかっ。違うよ。ちょっと相談にのってるだけ」
「ふぅん。あぁ、わかった。この子か。噂の慎二の後輩って」
 横手を眺めてみると、赤い髪をしてピアスをいくつもつけて、いかにも『遊んでます』っ
ていう風貌の男が一人たっていた。どうやら田村くんや織田先輩のクラスメイトなのだろ
う。
「なによぉ」
 私は酔っぱらったまま、じろり、と視線を移す。
「そうよ、加奈は織田先輩の後輩だよーだ」
「ふぅん。思ってたより、ぜんぜん可愛いじゃん。な、慎二なんかやめて俺と付き合わな
い?」
「な、なにいってるのよっー。ばかーっ。誰がっ。あんたなんかと付き合う訳ないでしょ
ーっ」
 私は思わず叫んでいた。
 「慎二なんか」と織田先輩の事を悪く言われたせいもある。この遊び人が(そうに決まっ
てる!!)、気安く「付き合おう」なんていったからもある。
 でも、一番は私がいま飲んで荒れていたからだ。
「おっと。意外と勝ち気な子じゃん。気に入ったぜ。マジ、惚れたかもしんねぇ」
 遊び人はぬけぬけとそう言い放つと、突然私の手をとった。
 振り払う暇もなく、手の甲に唇を触れさせていた。
「……な、な、な。なにすんのよーっ」
 私は思わず手を振り払うと、近くにあったおしぼりを男に投げつける。
 しかし男はひょいっと、身体を逸らして身をかわす。
「おい。征紀(せいき)、やりすぎだ。謝れよ」
 田村くんが間に割って入ってくる。あ、意外と男らしいかも。
「おっと、こわいこわい。じゃ、退散するかね。でも、覚えておいてくれよ。国文科一年、
中川征紀の名前をね」
「おいっ、征紀っ」
 田村くんが叫ぶが、奴は全く気にしようとしない。
「ばかーっ。あんたの事なんて3秒で忘れてやるーっ」
 私は思わずそう叫んでいた。
 でも、その言葉とは裏腹に。あいつの事は忘れられなくなっていた。


 あの日から。
 突然の猛攻は始まった。
「よっ、加奈。俺とクリスマスパーティやろうぜ。二人っきりで」
「ばかーっ。あんたなんかと誰がすごすもんですかっ」
 べーっと、大きく舌を出すと、いそいで先へ向かう。
 教室の前で待ち伏せてるとは、なんて奴。
「な、どーせ一人なんだろ。じゃ、いいじゃんよ」
「あほーっ。一人で、悪かったねーっ」
 そんな風に言い合いをする毎日が、しばらく続いた。
 最初のうちは冷やかされたりしていたが、いつの間にか恒例になって、誰もつっこまな
くなった。
 奴は部室まではついてこない。だから、部活の人間は知らないかもしれない。でも、そ
れは少しほっとした。織田先輩には知られたくなかったから。
 もしかすると、ちょっとは気をつかってくれているのかもしれない。
 ……いやいや。あいつの事だ。そんな訳はない。
 これも油断させる手なのだ。
 部活の方では、この冬休みに撮影する映画の話で盛り上がっていた。なんといっても、
織田先輩が初めて監督をする作品なのだ。これは参加しない訳にはいかない。
 もっとも私は役者なんて出来ないから、いつも通り裏方だけど。でも、少しでも側にい
れたら幸せだと思う。
 俳優が決まらなくて、大変みたいだった。みんなヒロインをやりたがらない。私がやる、
といってみたらみんなから却下されてしまったけど。むぅ、どうせ加奈は身長たりないよ。
胸もないから、あのシーンでも映えないだろうし。
「じゃあ、お疲れー」
 話も終わって、とりあえず今日は解散する事になった。いつもよりずいぶん早い解散だ
と思う。
 それもそのはず。今日はついにクリスマス・イブだ。たぶんみんなそれぞれの夜を過ご
すのだろう。
 関先輩と柚さんの二人は付き合ってるみたいだし。そんな風は見えないけど。
 映研で独り身なのは、よーく考えてみると私だけかぁ。田村くんは一人みたいだけど、
部員じゃないしね。でも、お互い寂しい身だし、田村くんでも誘ってまた飲むかなぁ。そ
れはそれで寂しいけど。
 電話を鳴らしてみる。
 ……圏外だ。もぅ、田村くんってばどこで何やってるんだろ。まーさーかー、加奈を差
し置いてデートしてるんじゃあっ。あの奥手な田村くんに限って、それはないか。
 はー。つまんない。
 ケーキでも買ってかえろっと。
 近くの洋菓子屋さんで、小さなケーキを一つだけ。クリスマス仕様の、可愛らしいケー
キ。ちょっとだけだけど、楽しい気分になれた。
 でも、それがいけなかったのかもしれない。
 私は、見てしまった。買い物帰りに通りかがった公園。
 織田先輩と、水城先輩が一緒にいるところ。
 そして、公園の中で二人、キスしてるところを。
「……あ」
 私は小さく声を漏らしていた。でもたぶん、二人は気付いてはいないだろう。この位置
は二人からは見えないはずだ。
「ケーキなんて買わなきゃよかった」
 二人を祝いたい気持ちも嘘じゃない。二人に幸せになって欲しい。
 でも、でも見たくなかった。そんなシーンは。
 ケーキの入った箱を道ばたに投げ捨てて。私は走り出していた。
 その、瞬間だった。
 どんっ、と目の前にいた人にぶつかる。
「いってぇな」
「ご、ごめんなさい」
「まぁ、加奈ちゃんからなら悪くはないけどよ」
「え゛?」
 ふと顔を見上げる。そこには、あのばか征紀が立っていた。
「あーっ、ばかっ。何してんのよっ、こんなところで」
「何って、加奈ちゃんを捜してたんだよ」
「嘘つき」
「嘘じゃないって」
 どこからそんな台詞が出てくるのか、殴り飛ばしてやろうかと思ったけど。でもそれは
やめておいた。そしてその代わりに、私の口から出てきたのは、こんな台詞だった。
「ねぇ、ばか。あんたいま暇?」
「いま? まぁ、暇っちゃ暇だけど」
「じゃあ、どこか連れて行って。どこでもばかの好きなところでいいから」
「……ばかっていうのが気になるけど。そういうことなら、おっけーさ。まかせとけ」
 おばか軽薄男は、気安く言うと突然、懐から鍵の束を取り出した。
「俺、いま車で来てんだよ。じゃ、夜中のドライブとしゃれこもうぜ」
「……それでも、いい。どこか、ここから遠い場所に連れて行って」
 車と聞いた瞬間、少し躊躇う気持ちもあったけど。だけど、それでも私は頷いていた。
ただ、ここから離れられれば何でもよかった。
 どうなっても。

「ねぇ、ばか。あんた、この車どうしたの?」
 ばかの持ってきた車は、大学生には相応しくない高級車だった。なんでもランボルギー
ニだかなんだか言うらしいけど、私にはよくわからない。
「どうって、オヤジに買ってもらったんだよ」
「この不況期に? はー、典型的な金持ちぼんぼんね。あんた。甘やかされて育ったんで
しょ?」
「まぁね」
「少しは否定しろっ」
 憎まれ口を叩きながらも、私は少しだけ気持ちが楽になっていた。あの場所から離れた
事で。
 だけど、もうずいぶん走っただろうか。見たことの無い山奥まで差し掛かっていた。もっ
とも元々、西海大学はやや都心からはずれた場所にある。その為、車で走っていれば、す
ぐ山の中ではあるのだが。
「で、何もなく走ってたけど。どっか行きたいとこある?」
「どこでもいい。ばかの好きなところで」
「じゃ、ホテルでもいっかー?」
「……ばかがそうしたいなら、それでもいい」
「ふぅん。じゃ、そういう事ならかっとばすぜ?」
 ばかの言う言葉は、何も聞こえていなかった。ただ、どうでもよかった。
「私、寝てるから。ついたら起して」
「へいへい」
 この時、私はどうなってもいい。そう思っていた。

「はい、ついたぜ。お姫様」
 そういって、身体を揺すられる。ずいぶん長い間、眠っていたようだ。少し頭がぼぅっ
とする。
 目を開けて、外へ出た。ひゅぅ、と吹いた風がすごく冷たい。
「え?」
 私は思わず目を見開いていた。
「どこ? ここ?」
「どこって、みたらわかるだろ? 海」
 そう。目の前には、広い広い海が広がっていた。その上には、どこまでも輝く星空。
「それはわかってるっ、ばか。どうしてここに連れてきたのってきいてるの? 加奈とし
たかったんでしょ? だったらどうとでもすればよかったのに」
「そうだな。そーしてもよかったんだが。俺、泣いてる女とヤる趣味ないんだよ」
 ばかは、照れくさそうに顔を背けていた。
「だからな、とりあえず思いっきり泣かせてやろうと思って。誰もいないところで」
「キザ」
「うるさいな。せっかくの人の好意を無にすんのかよっ」
 ばか男は、そういうとポケットから何かをとりだす。
 それを私に向けてポンっと投げてく。あわてて、手を出してうけとる。
「あったかい」
 それはハンカチで包まれた使い捨てカイロだった。
 じんわりと温もりが伝わってくるそれに。私は、いつしかこぼしていなかった涙を、ぼ
ろぼろとこぼし始めていた。

 あれから私達は何事もなく、また街に戻ってきた。
 ばかは意外にも律儀に私を家まで送ってくれた。お茶でも飲んでく? と聞いた私の台
詞も断って。ただ、帰り際に一言。ぽつりと呟いたけど。
 その台詞は、いまでも私の胸の中に残っている。
「俺さ。マジで加奈ちゃんに惚れたみたいだからさ」
 なんなんだろう。あいつは。
 今まで回りにいなかったタイプだと思う。
 今でも、織田先輩の事が好き。他の人の事は考えられない。
 でも、ほんの少しだけ。考慮してもいいかなって、そう思えた。
 まだ由紀さんと出会う少し前。クリスマス・イブの出来事だった。
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